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2020年12月23日(2) 狭山市を観光する(2)

前回記事の続き。狭山市駅を後にし、近くの八幡神社に参詣。

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新田義貞駒繋ぎの松を見物。

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1333年5月、新田義貞は上野国(現在の群馬県)で倒幕の兵を挙げ、鎌倉に攻め上った。その道中、この神社で戦勝を祈願。その際に愛馬を繋いだのがこの松という。

画像中央の立派な松は近年植えたもの。傍らにある朽ちた幹がそれらしいが、確かなことはわからない。何しろ現地に説明板がない。

今回は訪れなかったが、すぐそばにある徳林寺は入間川御陣(入間川御所)があった場所と推定されている(入間川は川の名前であると共に、街の名前でもある)。

鎌倉公方・足利基氏(尊氏の四男)が9年もの間、ここに陣を構えていた。それは鎌倉府(室町幕府が東国統治のために鎌倉に置いた機関)がここに9年間存在していたことを意味する。それゆえ基氏は「入間川殿」と呼ばれた。

現在「埼玉県狭山市」と聞いても、近隣住民以外はピンとこないだろう。しかし鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての一時期、ここが動けば国が動く土地だったのだ。

境内からの眺め。この辺りの高低差がわかる。

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階段の脇に狭い急坂があった。

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車椅子の方はこちらへ……というわけではなさそう。柵もないので危険だ。少しバランスを崩したら転がり落ちてしまう。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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