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主張を恐れる国 2024年7月【1】

また新宿を訪れた。先日は南側を歩いたので、今日は北側を歩く。

シネシティ広場の階段に腰を下ろし、人々が行き交うのを眺めようと考えた。しかしこの日は階段も広場も立入禁止。イベント会場の設営をしている様子もない。なぜなのか理由を書いてほしい。理由のわからない禁止というのは嫌なものだ。

ステージ立入禁止

ふと、昔聞いた架空の国の話を思い出した。名前を忘れてしまったので、A国としておく。

A国の街には、不思議な空間が多い。5mの歩道のうち4mは立入禁止だし、公園の5分の4は立入禁止なのだ。理由は明らかにされない。しかし誰もそれを問題にしない。みんな愚痴は言うのだ。家族や友人知人に対して。あるいはSNSで。

でもそんなものは政治家にも土地の管理者にも届かない。少数の権力者が「昔は静かだった」「うるさいから嫌」といった個人的感情によって、街のあちこちを立入禁止にする。

A国は先進国のひとつで、言論の自由が保証されている。それなのに人々は主張することを恐れる。厳密に言えばパブリックの主張を恐れる。彼らの主張はいつもプライベートにとどまる。

彼らはインターネットを使って主張することを好む。現代社会においては普遍的な現象だが、この国には他の国にはない特徴が見られる。匿名が非常に多く、顔を出すことを避けるのだ。犬や猫、アニメキャラのアイコンがあふれている。

オンラインゲームにおいても、この国の人々の特徴は際立っている。独裁国家の行動様式に近い。政治的な発言をするとすぐに誰かが飛んでくる。運営者ではない。ただの一般ユーザーが叱りに来る。

その叱り方も独特で「禁止」とも「やめろ」とも言わない。「ほかの人が驚いちゃうから、ちょっと」だそうだ。「『ちょっと』、何ですか」と問うと黙ってしまう。

「いやあ」「まあ」「その」などと言い続けて、なかなか要領を得ない。1分ほどして、ようやく「ちょっと控えめにできますか」と言った。終始、口調は穏やかだ。

中には激しい人もいる。「やめて!」「他でやって!」と怒鳴ってくる。管理者ですかと問うと、そうではなく、この人も一般ユーザーだ。興奮していて、どうも言いたいことがわからない。

「私は」と言わない。その代わりに「周りの人が」「みんなが」という主語をくりかえし使う。

この人の言いたいことは「政治の話は嫌いだから、自分の前ではしないでほしい」ということのようだった。この人のほうが別の場所に移るという手もあるのだが、そのすさまじい感情の量に圧倒され、相手側が引き下がった。

この国の人々は主張をしない。その代わりに「お願い」と「感情の表出」をする。それによって相手を操作しようとする。

多くの国で、長きに渡り、女性の主張は価値の低いものとされてきた。そこで彼女たちは主張の代わりに「お願い」と「感情の表出」で男性に対抗した。A国ではそれが性別問わず、現在でも行われている。

A国の出身者で、オンラインゲームでは自国人を避けているという人がいる。彼はいつもA国の言葉ではなく、英語で議論をする。上記のようなA国の行動様式、行動原理から逃れたいからだそうだ。A国の人々は英語が苦手だから、英語で会話をしていれば輪に入ってこない。

英語だと主張ができるし、それを受け入れてもらえる。論理が通用する。A国では相手の感情を波立たせないことが最重要事項で、話の内容は深く考慮されない。

何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要。だから社会的地位や知名度が発言の受容度と比例する。それらは年を取るほど得やすいので、権力は自然と高齢者に集中する。

英語を話していると自由を感じる。英語なら若くても、無名でも、話の内容を聞いてもらえる。彼は嬉しそうに、しかし悔しさもにじませて、そう語った。

なお、シネシティ広場の立入禁止についてだが、ググってみたら、翌日にイベントがあったようだ。きっとそのための制限だったのだろう。

日本はA国とは違う。理由のない立入禁止はないし、自由に主張できる。noteに風刺記事を載せても咎められないし、その記事にスキを押してもいいし、投稿者をフォローしてもいい。「記事をサポート」ボタンから投げ銭することもできる。

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