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カーブアウト実務シリーズ(3/?)価格調整

カーブアウト実務シリーズの3回目となります。第2回はカーブアウトM&A全般を対象とする内容としましたが、今回は「価格調整」という局面にフォーカスして述べていきます。
カーブアウトM&Aにおける価格調整は論点が複雑になると同時に、案件において実際にトラブルとなることも多いテーマとなります。第2回で述べたこととも関係しますが、通常のM&Aの単なる延長としてカーブアウトM&Aを扱ってしまうことによって生じる問題の1つでもあります。実際に、カーブアウトM&Aの価格調整をいわば「甘く見た」ために高い授業料を支払うことになった例も見られます。
なお価格調整それ自体についてもM&Aプロセスの中で大きなテーマの1つですが、ここではカーブアウトM&Aの論点に絞って議論をするため一般的な価格調整の概念に関する内容は最低限触れるに留めます(この稿を読まれるような方であれば先刻ご承知という前提でいきたいと思います)。価格調整というコンセプトの概要や具体的な方式等についてはウェブ上の情報や市販の専門書も充実しているかと思いますのでそちらをご参照ください。

(なおこのシリーズのこれまでの記事はこちらです)



クロージングBSの作成

クロージング時点で暫定的な対価(金額)をやり取りし、クロージング時点の貸借対照表(後日作成される)に基づいて事後的に対価の調整を行うやり方はコンプリーションアカウント方式と呼ばれます。この方式はそのコンセプト上クロージング時点の貸借対照表を作成することが前提となり、「クロージングBS」などと呼ばれます。なおクロージングBSは正規の財務会計上の用語ではないため、SPAなどにおいて別の名前で定義されることも当然あり得ますが、ここではクロージングBSで統一します。
クロージングBS自体は、コンプリーションアカウント方式を採る案件であれば通常のM&Aにおいても作成されるものです。クロージングBSはその作成結果が対価の調整額に直結するものであり、案件上の重要性が高いことから、その条件についてSPAの中で定めを置くことが通常です。具体的には、少なくとも作成時点、作成者、作成期限について規定を置くこととなるでしょう。

作成者

ここで通常のM&Aであれば、作成者を買い手側という形を取ることが一般的です。これは以下のような要因によると考えられます。

  • 実際にBSを作成する作業は必然的にクロージング以後となるところ、クロージング時点で対象会社は買い手の傘下(子会社)となり、決算作業に必要な様々なリソース(対象会社の過去からの会計資料、会計システムおよび経理人員等)や直近の決算に必要な情報(債権の回収可能性などの営業情報など)が買い手サイドに移管していることとなるため、作成作業もそれらに基づき買い手の下で行われるのが自然である

  • クロージング直後には買い手(親会社)にとって対象会社はまだ傘下に入ったばかりの会社(新参者)ではあるものの、その会計方針や主要な会計論点は事前に行われる財務デューデリジェンス等を通じて買い手(親会社)も把握しているはずであり、上記のようにシステム、人員、情報を会社ごと手に入れている前提であれば、買い手(親会社)がそれらを適切にコントロールしながら決算を行う(行わせる)こと自体は実務的にも十分可能である

このため、買い手側の責任でクロージングBSを作成し、然るべきのちにそれを売り手に提示するようSPAにおいて定められることが一般的と言えるでしょう。

一方カーブアウトM&Aにおいては、作成主体が逆転するケースが多いと考えられます。

  • カーブアウトM&Aにおいて買い手に移管されるのは一部の事業のみであり、当該事業を含む会社全体の経理リソースが必ずしも買い手に移管されるとは限らない(典型的には経理人員は移管対象でなかったり、工場経理のみが移管対象となったりするケースがある)

  • カーブアウトM&AにおけるクロージングBSはデューデリジェンスにおいて売り手から買い手に提示されたカーブアウト財務諸表の作成方法を踏まえて作成されることが多い(これに係る論点は後述)が、当該作成方法は売り手側の案件担当者(企画部等)や売り手側外部アドバイザーによって整理されている部分も多く、買い手はその概要はプロセス中に把握できたとしても、実務のディティールについての情報(実際のデータ入手方法やセグメント区分方法など)まではクロージング以前に精通することができない可能性が高い

  • 売り手側はクロージング直前まで当該事業を含む会社全体の決算を行なっていた立場であり、クロージング後と言えども移管された人員への人的なアクセスや必要なデータを取るための知見を(少なくともクロージング直後であれば)通常有しており、作成に必要な条件を整えることができれば、すでに自分の傘下ではなくなっている事業であっても売り手が作成することは実務的にも可能である

すなわち上記を背景として、売り手の責任においてカーブアウトBSを作成し、買い手に提示する旨がSPA上定められることとなります。
このとき売り手の立場からは必要な情報アクセス等についても合わせてSPAに定めることで買い手からの保証を受けることが重要と言えるでしょう。すなわち、クロージング後であっても、クロージングBS作成にあたり必要と認められる範囲において、会計情報へのアクセス、移管した人員(例えば営業部門や製造管理部門など決算に必要な情報を有している従業員)へのアクセスおよび必要な場合にはオフィスや事業所への立ち入りなどを認めるといった内容が考えられます。

一般的にM&Aでは売り手と買い手の間の情報格差が大きいことが指摘されます。通常のM&Aにおいてはクロージング後になってやっと買い手が自分のコントロールの下でクロージングBSを作成し、価格調整プロセスを主導することができるようになるわけですが、カーブアウトM&AではM&Aのいわば最終局面である価格調整においてもなお売り手の情報作成に依存しなければならないという面が残ることになります。それに加え本項で述べるような様々な追加論点もあり、買い手にとってカーブアウトM&Aの価格調整を理解することが通常よりもさらに重要と言えるでしょう。

作成期限

通常のM&Aであれば、クロージングBSの作成は、基準日こそ正規の決算日と異なる可能性はあるものの、作成プロセスは通常の決算の延長として捉えることが可能です。したがって平時の決算に要する時間に基づいてクロージングBSの作成期限を定めることも不合理ではないと言えます。
一方カーブアウトM&Aにおいては、クロージングBSと全く同じルール(本稿ではクロージング会計方針と呼ぶことにします)で決算を行うのは究極的にはこのクロージングBSが最初で最後となると考えられます(何故そうなるのか、またクロージング会計方針については次の項目で詳しく触れます)。作成者たる売り手はクロージング以前から作成方法等を綿密に整理し、全社の決算情報が完成するスケジュール等を踏まえて、そこからプラス何日(あるいは何週間)時間が必要か、といった観点でクロージングBSの作成期限を検討する必要があります。SPA交渉において買い手から短期での作成を求められる場合には、こういった作成プロセスの時間的な積み上げを示しながら十分な作成期間を確保するといったことも場合により必要となるでしょう。

クロージング会計方針

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