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ただひたすら、聞いてもらった(無名人インタビュー)

無名人インタビューさんに、1時間のインタビューをしてもらった。
(後に記事が公開されたら、また改めてご案内しますね!)

自分から申し込んで実現したインタビュー。顔出し無し、匿名OK。

それでも、インタビューって緊張する。ちょっとドキドキしながら約束の時間を待っていた。

パソコンの前で接続を待つ時間というのは、ソワソワする。顔を出さないから映りは気にしなくて良いけど、上手く話せるだろうか…、どんな反応をされるのだろうか…、どんな人がインタビュアーなのだろうか…。
どこか逃げたくなるような緊張感。

顔を合わせて対面で行われる会話は、お互いの表情で場が和んだり、カフェの雰囲気や飲み物などで気がまぎれたり、お互いの声以外の要素が沢山あるので、緊張するといっても、また違う。少し気持ちが変わる。出向くのに時間や交通費がかかる分、向かう間に気持ちが整ったりもする。その場に到着さえしてしまえば、さすがに「忘れてた!」とは、なりにくい。でもオンラインで行われるとなると、家にいるから、極端な話、1分前まで他の作業をしていても成立する。だからこそ遅刻してしまいそうになる。パソコンの前にいて、ZOOMに繋ぎさえすればいいのだけど、それを忘れて時間が過ぎてしまいそうな不安。実際に人と会うのとは、また違った緊張感。

ZOOMで行われる面接やインタビューが一般的になってきた昨今。私は、まだまだ慣れない。場所はホームなのに、どこかアウェイという違和感。家にいながら外と繋がっているという、電話と似ているけれど、ちょっと違っていつも不思議。ビデオがオフだと、必要以上に自分の表情は気にしなくていい、どんな格好でも良い。髪型もメイクも気にしなくて良い。

とはいえ、相手の様子も見えないからこそ、ちゃんと聞こえているか不安だ。特にインタビューとなると私が一人で話し続ける時間も長いから、何か接続上の問題があっても気づかないんじゃないかと心配になる。どう受け取られているか、自分の言葉が届いているか、そんな不安もある。自分もだけど相手も顔を出していない、声以外の要素がないとコミュニケーションが取りにくい。電話すら、もともと苦手な私。

今回のインタビュアーさんは、女性の方だった。当然ながら私の前職・メンズエステについては詳しくないと言う。それは想定内。そこで仕事の説明をするところから始めた。

今回、私は「これを話したい!」というものを持って臨んだわけではなかった。ただ、このメンズエステという仕事を辞めたタイミングで、自分の気持ちの整理のためにも、インタビューを受けてみようと思った。このアカウントで、このタイミングで受けることに意味があると思った。

一人で綴る言葉をマイペースに並べたいつもの記事とは違って、パソコンの向こう側で聞いてくれている人がいて、テンポよく質問をしてくれる、というのはだいぶ気分が変わる。問いかけられたことで出てくる気持ち、思い出す過去、言われてみれば…と出てくる記憶。

今回、インタビューを受けて私が気づいたのは、

この2年余りのメンズエステのセラピストという経験を、私は決して黒歴史だとは思っていない、ということ。

色々あったし、結果辞めることにしたし、もう一度戻る気はないけれど、私の人生から消したい経歴…とまで思っているわけではない。

そこまで後悔するような日々を送っていたのなら、きっと私はこのアカウントを作らなかった。ここに綴っていた言葉たちは、決して表面的な建前ではなかった。しっかり本音だった。言葉にする以上、そりゃあ少しは格好つけていたかもしれないけど、嘘じゃなかった。だから読んでくれていた人たちには、私の楽しさ、やる気、ポジティブな気持ちも伝わっていたんだと思う。私が綴ってきた言葉たちは、ちゃんと心から出た言葉だった。

そして、当時の私にはこの仕事が必要だった。ある意味、薬でもあり、私の居場所であり、生き甲斐だった。荒療治だったかもしれないけど、私は2年前のあの時、この仕事に出会って、ある意味救われたのだと思う。

それが、
「もしも、その仕事をしていなかったとしたら、今頃何をしていたと思いますか」という質問をされて、気づいたことだった。

リスクも大きい仕事だった。
警察に摘発される可能性もあったし、消えない傷を負って元には戻れなくなる怖さもあった。幸運にも私は、障害が残るとか、まともに昼の仕事の人たちと会話が成立しなくなるとか、心を病んだり、男性不信になってまともに恋愛ができなくなったり、そういうことはなかったけれど、それはあくまで幸運だったに過ぎないと今でも思っている。危なかった。そういう場所にいた。

でも、温かさもあった。感動もあった。楽しさもあったし、刺激もあった。指名してもらえるというのは、女性としての自信にもなった。

染まり切る前に、卒業したのは結果的に良かったと思う。

だけどそれは決して、メンズエステの否定ではない。水商売の批判ではない。必要な仕事だと思う。私が働いている間、うちのお店には予約の電話が絶えなかった。それだけ求めている男性が多いのだ、と感じる日々だった。
形は変える必要が出てくるかもしれない。だけど多くの男性の楽しみ、それを提供している仕事なのだと思った。

私がこれからどんな仕事をしようと、きっと様々な形で「お客さん」を抱えることにはなるだろう。違う形で喜ばせればいい。そうすればまた、私は居場所を作れると思う。

インタビューを終えて…、

ありのままを、赤裸々に、格好つけずに、本音を…とは思っていたけれど、
やっぱりどうしても、どこか取り繕ってはいたんだろうな…と思う。

会ったことのない顔も知らない相手だからこそ話しやすいのか、知らない人だからこそ心を開けなくて本当の気持ちが言いにくいのか。

どう思われてもいい。ドン引きされても良い。別に変に良く見せようとか、隠そうとする必要は何も無いのに、後ろめたいことは、どうしても口が重くなる。

将来のことを聞かれたり、これからどんな暮らしをしたいですか、と聞かれて、ハッキリ答えられない自分を恥ずかしい…と思ってしまった。
目標や理想の暮らしを即答できない自分を、かっこ悪いと思った。

ついつい聞こえが良い表現をいつも探して、自分を綺麗に見せたい願望に捉われているんだな…と、改めて思った。それは今回に限ってのことではない。情けない(と自分が思う)自分をありのまま見せるのが怖い。褒められていないと、自分の価値を感じられない。そういう弱さが自分にあるのは、薄々自覚していた。

子供のころから、褒められたい子供だった。勉強もできて日頃の行いも問題のない「良い子」でいたかった。迷惑をかけない、大人の手を煩わせない子供でいることが大事なのだと思ってワガママは言わなかった。成績のつかない大人になった今でも、どこかそんな部分を抱えている気がする。

そういえば、インタビューを受けている時は出てこなかったのだけど、やりたいと思っていること、他にもあった。

・のど自慢に出たい
・カラオケコンテストに出たい
・人前で歌いたい

・ノートパソコン1つ持って、どこで仕事しても食べていける。旅行中でも、隙間時間にちょこちょこ仕事ができる。そんな風になりたい。

・色んな人と会う仕事をしたい。色んな世界の多種多様な人と関わりたい。一つのプロジェクトが終わればチームが解散する、そんな流動的な環境が理想だ。ドラマや映画の撮影が終われば、また違う人たちと仕事をする、そんな俳優さんのような形で仕事がしたい。

今回は、インタビューだったので、インタビュアーさんは、ご自分の意見をほとんど言われなかった。質問をされて、私が答える。ほとんどそれだけだった。コーチングに似ている。質問者は自分の意見を言わない、ただひたすら深堀りする質問を繰り返して、回答者に考えさせる。回答者本人に気づかせる。特定の方向に導こうとか、答えを提示しようとするのはコンサルティング。自ら自分の望みに気づかせるのがコーチング。そんなイメージ。

私は今回、インタビューに申し込んだわけで、会話が行われると予想していたわけではなかった。だけど一人で喋り続けるのは少し寂しい。良くも悪くも相手の反応がないというのは、ちょっと手ごたえがない。そういうものだから仕方がないし、以前にコーチングを(英語で)受けた時も同じような感情を持ったのを思い出す。

だけど最後に「なかなか聞けないジャンルの話だったので、不謹慎かもしれませんが面白かった、興味深かったです」と言ってもらえて、ちょっと嬉しかった。

私は女性だから特に、だろうか。相手の感情が気になる。面白いとか、嬉しいとか、そう思ってもらえると嬉しい。相手の気持ちがネガティブに動くのは怖いし、寂しいし、できれば避けたいと思ってしまう。

普段のコミュニケーションでは、何となく感情を伝え合う会話がほとんどだから、議論とか対話とか、一方的なインタビューとか、そういう目的が違うやり取りに慣れていないというのもあると思う。日本人は特に。

そういう意味でも新鮮で、考えさせられる刺激的な体験だった。
インタビュアーさんのニックネームは、ここでは書かない方が良いのかな?
無名人インタビューさん、ありがとうございました。


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ありがとうございます、また書きます。思い出したら、また読みに来てください✨