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おかんが俺の名前を呼ばなくなった話

何年か前の話、実家のおかんの様子がおかしいと親戚からは言われていた。

当時、地方の実家を離れて首都圏で働いていた俺は、時々電話をかけておかんの様子を聞いてたり、こちらの様子を伝えていたりした。
でも自分としては特に変わりが無いように思えていた

時々実家に帰って様子を見ても特に異常は感じられなかった

異常があるとはっきりわかったのは、妹が駅までおかんの車に乗せてってもらって、その後で妹がおかんに電話したら「1人のドライブの帰り」っておかんが返してきたからだ。
数十分前の送り迎えしたことを忘れている

ボケるには早い年齢だった。若年性認知症らしい。
おとんは既に亡くなっていて、それでもおかんは一人でも生活はできていた。しばらく様子見をしていたが、でもさすがに、おかんが宗教勧誘されたということを電話で聞いた時は実家に帰る決意をした。

首都圏の会社を辞めて実家へ戻った。一時的に無職である。(今考えると新しい仕事先を決めてから帰るのも手だったかもしれない)

仕事を辞めてからの保険変更の手続きなどをして、就職活動もしつつ、おかんをどうすればいいか役所に聞きに行った気がする。介護福祉課だったかな?
そこでだったか張り紙でだったか覚えてないが、認知症関連は地域包括支援センターという組織に相談すればいいと分かった。電話番号が載っている。

デイサービスに送ることにもなった。
いつの間にか、おかんは俺のことを名前で呼ばなくなっていた。名前を思い出せないか、自信が無いのだろう。

おかんが言うことを聞かない、何度言っても同じことをする点は非常にイライラした。認知症だから、言っても覚えてないのは当然だ。
少しでも良くなるか進行を遅らせるために、家にこもりがちなおかんを外へ連れて行ったり、スーパーのセルフレジをやらせてみたりした。しかし、おかんは怖がってセルフレジに手を出さなかった。新しいものを扱えないのだ。
おかんは目に見えたゴミをすぐ捨てようとする。部屋も勝手に入ろうとする。言ってきかないのだから、部屋を勝手に開けるような場合はカギをつけるのような物理的な対処するしかない。

幸い羞恥心が強いのが良かったのか、おかんはきちんとトイレには行けていた。なので、認知症関連の話でよく聞く「漏らす」という事は、施設に預けなくてはならなくなるまではなかった。

このような認知症の人へのイライラへの対処法や心の持ちようについて書かれた本の存在を知ったのは、おかんを施設に預けっぱなしになってからだった。

デイサービスに行ってもらうような時期が一番イライラした。 家にいる言うことを聞かないし、言った通りに動いても忘れる手間のかかる存在にとてもイライラするのである。(デイサービスは、認知症の人などを週に何回か日中の間連れて行き、入浴や食事のほか、折り紙を折ったり体操をしたりといったレクリエーションをするものだ。)
俺の妹はもっとイライラが強く、おかんに会っても自分の娘と認識されていなかったのでとても辛かったようだ。
むしろ認知症がひどくなり、おかんを家に置いておけなくなったら逆に楽になった。手間をかけなくて済むからである。俺は今は時々、施設へおかんの面会に行っている。

今のおかんはもうしゃべることができていない。声は時々出すが言葉になっていない。歩くと倒れるからという理由で移動は車いすになった。食べ物も誤飲を防ぐ流動食のようなものになっている。

親の異常な様子は、常に一緒にいると逆に気付かない。アハ体験の動画のように徐々にすこしづつ変わっていくと気づかないのだ。普段合わない親戚のほうが異変に早く気付いたのは多分そのせい。

自分一人じゃ気づかないから、たまに会う人がいたほうがいい。そして異変に気づいたら精神病院地域包括支援センター、役所の介護福祉課の類に相談だ。ヒントをくれる。
このnoteを読んだ方、気を付けて。場合によっては40代でも認知症が始まってくることもあるらしいので。親も、祖父祖母も、そして自分自身や兄弟も友達にも気を付けて。

Vtuber活動していたので、この関係の話を動画にしていました。
4年前の動画がこちら。
まだ女性バージョンのアバターで男性ボイス使ってた頃ですね。



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