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【勉強会】「アジアに生きるイスラーム」ミャンマー編


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「アジアに生きるイスラーム」の書籍を元にした勉強会の備忘。ミャンマー編ということで、クーデター周りのお話もあるかと思い興味が湧いたためさんか。下記は書籍の紹介文からの引用。

「アジアに生きるイスラーム」
イスラームというと、一般的に中東や北アフリカの国々を思い浮かべる人が多い。だが実は、ムスリム人口の多い国の中でも上位を占めるのはアジアの国々だ。<中略>
本書では、フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、スリランカ。アジアをフィールドに13組15名の研究者が、暮らしや文化に息づく「アジアのイスラーム」に実際に触れ、その欠片を集めてきている。多様性に富んだ「アジアに生きるイスラーム」を身近に感じるための一冊。

1.ミャンマー概要・民族分類など

南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと接する。 多民族国家。

ミャンマーのムスリムの多くは植民地時代に、同様にイギリスの植民地であったインドからの移民とその子孫が主流となって形成されている。
ミャンマーにおけるムスリム分類は推計220万人のうちのおよそ半分がロヒンギャおよび政府が土着民族として認定している、カマンという民族で全員がムスリムである。それ以外にも中国系ムスリムやマレー系のムスリム、インド系中心のその他のムスリムなどが全国におり、ミャンマーのムスリムはとても多様だといえる。

かつて王から土地をもらい金のあるムスリム商人が地域のモスクを建設し、そこでムスリム達は礼拝などをしていた。歴史あるモスクも数多くあり、近年では古いモスクも他の宗教的建造物のように価値があるとして保存などの動きが出てきているそうだ。

ミャンマーの多様なムスリムは、「ロヒンギャ問題」に代表されるようにそれぞれ生きにくい環境でミャンマー社会で過ごしているのが現状である。

2.ミャンマーの民主化と反ムスリム暴動

軍政時代にもムスリムに対するミャンマー内での差別的感情はあったが、軍政下では表立った反ムスリムの活動は抑えられていた。しかし、2011年3月末のミャンマー民主化後から、反ムスリム暴動の動きが活発になる。理由は軍による言論統制が無くなったこと、そして民主化による「言論の自由」の誤った解釈による差別的発信の横行が大きいという。また、携帯電話の普及は、発展途上の民主化課程を土台にした脆弱なネットリテラシーに後押しされ、FacebookをはじめとしたSNSなどによる「言いたい放題」の反ムスリム活動を加速させた。

2013年以降、反ムスリムの暴動や運動は大小様々に起こり続けた。印象的だったのは、TIMEで「The face of BUDDHIST TERROR」として表紙に取り上げられた反ムスリムのアイコン的仏教僧侶ウィラトゥの存在。説法とセットで反ムスリムのヘイトスピーチを説きまわり、多くの信徒を扇動したとされる。ウィラトゥだけではなく、彼のように反ムスリムを説く僧侶は多くいたという。

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かつて、暴動の焚き付けは軍政権下において軍が<地方で暴動を起こし→納め→都市部に噂を流す>などの操作をし、国民の軍への不満を反ムスリム感情へ逸らすために行われる場合もあった。また、急進派の僧侶は反ムスリム活動において軍とよく似た動きをしていたという。僧侶の扇動は(当時愛国者と呼ばれた)仏教徒国民を動かしていた。

コロナ禍においては人の集まりが禁止され、大勢の集会などを制限されたこともあり、反ムスリム暴動はやや納まっていた。2020年2月ミャンマー国軍によるクーデターが発生し、またミャンマーの状況にも変化が起こってきた。

3.宗教間の相互理解や新たな動き

反ムスリム運動が活発化した当初は「モスクに爆薬や化学兵器を隠し持っている」などといった噂が横行していたが、ムスリム側からの働きかけで「モスクの見学会」を実施するなどの、相互理解に向けた動きがみられるようになっている。

急進派の僧侶や軍の扇動はあまりに過激なため、宗教的分断を狙った様々な発信や活動について、今では国民も徐々におかしさに気づき始めているという。(とは言え仏教上、僧侶に対して反論などは出来ないそうだが)
そんな中、ムスリム側からの働きかけだけでなく、仏教徒側からも歩み寄りのムーブメントが新たに起こっていった。代表的なのは「ホワイト・ローズ・キャンペーン」である。仏教僧侶と若い世代のNGOとのタッグで行われた活動で、礼拝場所を追われたムスリムに対して白いバラを贈り、国内の少数民族への愛と連帯を示した。(講師の方の余談では、写真の僧侶は今回のクーデターにより国軍に早い段階で捕まってしまったとのことだ…)

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コロナ禍のミャンマーでは、入院中の食事の確保は本人がせねばならない。そんな中、モスクで調理した食事を無償で宗教を問わずに提供し続けたというニュースも話題になった。全て寄付で賄っていたこの活動は、ムスリムからの寄付だけではなく、活動に感動した仏教徒からも多くの寄付(金銭だけでなく、魚や米などの食材も)が寄せられたという。しかしクーデター後、このモスクに軍が押し入り、強制的にストップさせられている。

4.民主化後の新たな差別/クーデター

宗教間の相互理解に向けた新たな動きは起こりつつあるが、ミャンマー国内におけ様々な差別はまだ根強い。

「土着ではない」とされる人々に対する差別、偏見。未だに植民地時代に移住してきた民族として、「土着」の国民からは不信感を持たれ続けている。国籍法には明記されない「国民」と「準国民」を分かつ制度。(正しくは、「国民」「準国民」「帰化国民」。土着民族のみ「国民」になれる。)

非土着民は公職(軍も含む)では高官にはなれず、慣習上、履歴書に国籍・民族などを書くため民間会社での採用にも影響がある。国民民主連盟(NLD)での立候補者擁立にも壁があるという。2020年の選挙では少数のムスリム候補が当選したが、クーデターにより解党させられてしまった。

5.まとめ

ここでは講師の方の言葉を引用させていただきたい。

●民主化により、宗教の相違を乗り越え「国民」の一員として暮らせると考えていたムスリムだが、ロヒンギャ問題の影響も含め、暮らしにくさは変わらない。あるいは民主化前より(言論の自由があるために)悪化、と感じる人も。

●クーデターにより、民族的、宗教的マイノリティへの無理解、無関心がある意味表面化。ただし国民統一政府(NUG)の中でも少数民族、宗教問題に対する理解度は差があるように見える。今後の対応に注目していく必要があり、国民へどのような呼びかけをするのかも重要。

これまで軍政権下で表面化してこなかった問題が明るみに出て、今は変化の途中なのだろう。宗教間の融和に向けた活動を牽引している代表的な層はジェネレーションZといわれる若者やその少し上の世代だという。この世代は他宗教の相手と行動をすることに対する躊躇が少なく、SNSなどで呼びかけあってムーブメントを起こし始めているそうだ。一方でまだまだ年長者との意識GAPは大きいらしく、国全体のムードを変えるには課題が多い。

宗教問題や民族問題は本当に根深いものだと思う。ただ、国軍によるクーデターが起こってしまった今、国民同士が宗教や民族の違いで争うのではなく、その差を越えて団結するきっかけになれば、、などと楽観的過ぎるが願わずにはいられない。いつの時代も仮想敵がいないと団結できないなんて、なんだか悲しいけれども。

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