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卵(ラン)タン

一週間ほど前に上司に退職を伝えました。人員の補充や引き継ぎ等があるので、早めに伝えました。来年の春からは新しい生活が始まることと期待しております。

今の仕事は好きではありませんが、嫌でもなかったので10年以上続けられました。僕はそれまで、最長でも3年以上同じ職場で働いたことはありませんでした。それは、忍耐力がないとか、継続力がないとか、トラブルを起こすとかそういった問題ではなくて、一言でいうとタイミングの問題で生活が切り替わってきたのです。

最初に退職したのは、25歳の時でした。大学は心理学を専攻していたのですが、勉強もせず部活ばかりに力を注ぎ、いざ就職となると技術があるわけでもなく、大学院に進むでもなく、結局営業職に就きました。大学の学友に営業をやるといったら、皆驚かれました。なぜなら、僕にとって最も似合わない職種だと思われていたからです。当時の僕は不愛想というか、人の好き嫌いが激しいと思われていたようで、そんな人が営業で笑顔を向けられると思えなかったようです。

まあ、それは自覚もあったのですが、僕は3年すれば退職しようと最初から考えていたので、それならば、最初の仕事は苦手なことをしようと思ったのです。先輩にこの話をすると、3年もすると責任もできて仕事から離れられなくなると言われましたが、そうなればそれで良いと思いました。

当時の僕の希望として海外を見たいという思いがありました。しかし、大学時代は部活ばかりで、オフシーズンの間にバイトで貯めたお金は、合宿代に消え海外へと向かう経済力も時間もありませんでした。なので、3年間働いて貯めたお金で海外へ行こうと思っていたのです。

営業の仕事は辛かったですが、成績は良いほうで何回か表彰もされましたし、同業者から一緒に仕事をしないか?とか、顧客からもうちに来ないかとお声を掛けていただいておりました。そんな中3年目のある時に上司の課長と営業車で移動していた時に、ふいになんの脈略もなく、「おまえ辞めるなら半年前に言ってくれよな?」と言われました。僕は、職場ではそんな話などしたことなかったし、そぶりもなかったはずですが、何かを感じていたのでしょう。一瞬驚きましたが、「じゃあ、そろそろお伝えしないといけませんね。」と答えました。課長は、「まじか?」と驚かれましたが、その後、話はスムーズに進んでいきました。

僕は、退職後ワーキングホリデービザを習得してしばらく海外で生活したいと思っていました。年齢的な制約もあって、最終的に選んだのは、ニュージーランドでした。そこのオークランドという町で3か月のホームステイを行い、語学学校に通いました。

海外での生活は、やはり日本とは違っていました。そんな違いに海外にいる日本人は、日本はダメだという人が多かったのですが、僕は逆に日本の良さに気付くことが多かったです。それでも、一番自分の認識に影響を与えたのは、仕事に対する考え方というか態度というか、別にニュージーランドの国民が仕事に対していい加減に働いているという意味ではないのですが、人生、それでも良いんや。という感じを強く受けました。一言でいうと、「俺、もう日本で社会復帰できないかもしれんな。」と思ったのです。この思いは、当時、一緒につるんでいた現地の日本人友達も同じでした。

日本人は、仕事の為に人生を使っている。良い仕事をすることが、人生の目的であり社会への貢献である。しかし、彼らは、自分の人生を楽しむために人生を使っている。そう強く感じました。それから、僕は帰国後、仕事に関する感覚が他の日本人と違ってしまったのかもしれません。

帰国後、縁あってブラジルで1ヶ月滞在する機会があったのですが、この経験は更に強烈でした。日本と反対に位置していると言われていますが、まさに日本の感覚とも反対の常識が支配する国でした。まず時間が存在しないというか、何時に待ち合わせといった約束が通用しません。好きな時に好きな事をするといった感じです。週末には、シェラスコというバーベキューを楽しむのですが、宴もたけなわというかお腹が膨らんで、誰かが歌を歌い出すと、3日は、パーティーが終わらないと言います。実際は、強制的にお開きになるのですが・・・

歌が大好き、踊りが大好き、スポーツが大好き、食べる事が大好きです。楽しむために人生を送っているという印象を受けます。まあ、これだけでは経済が持ちませんので、当時のブラジルの経済事情は良くありませんでした。なので、日本とブラジルの中点辺りが、一番現実的な生活になるのかなと思いました。

日本は、一つの極端です。韓国や中国も同じかもしれません。中国はさらに極端になり仕事の為というよりお金儲けの為に人生を費やして、最上の目的にしているように思います。資本主義で出来上がったピラミッドの構造は、下層の人々の労力と苦役の上に成り立っています。彼らは、よりより生活という人参をぶら下げられ、僅かなご褒美を糧に自分自身の人生を送ることができなくなっているように思います。

僕は、そういった労働意識が育ってしまい、今や扶養する家族もなく、ローンも借金もないので、自分一人の、社会的に見るなら無責任な生活を続けることができます。僕は、たとえ社会的無責任であっても、もしかすると社会不適合者の素養があったとしても、自分にとって自分は一人でしかなく、こればかりは他人に変わってもらうこともできず、自分自身に嘘をつくこともできないので、こういった人生を送るしかなく、やはり、そういった意味で、不特定多数の他人の社会よりも唯一絶対の自分を優先した人生であるしか生きようがないわけです。

今回、退職を願ったわけは、一言で説明するなら、辞め時が来たからです。退職は、もう1年程前から考えていました。ただ、こういったご時世なので、再就職を考えた場合、もう少し様子を見ていたのです。好きではないけど嫌でもなかった職場は、大きく変化をし、嫌な環境に変わり果てました。そういった環境の中で、毎日の貴重な時間を費やすには、人生は長くないと僕は思っています。経済的には難しくなるかもしれませんが、経済設計を見直して、なんとかやりくりしていこうと思っています。その前に、少し休息をとって鋭気を養います。労働だけが人生ではありません。限られた人生を有効に使いたいものです。


あ、タイトルの卵(ラン)タンですが、特に意味がありません。今年の春にnoteを始めた時に、ある夜の夢に記事を書いている夢を見ました。そのタイトルが卵(ラン)タンだったのです。記事の内容はわかりませんが、タイトルの画像ははっきりと覚えていて、なんとかそれに近い画像を探したのですが、見つからず、一番近い感じで、今使用しているタイトル画像になりました。ただ、何を書くべきかわからず、noteでは、小説や日記を書いていたので、文学的な形にしたくて、エッセイにすることだけは決めていたのですが、なかなか書けませんでした。有料で性に関するつっこんだ記事を書いたりとも考えていたのですが、今は、誰かに寄り添えるような記事を目指したいと思っています。ただ、僕自身、共感してもらえる記事を書けるわけでもなく、少数派というか、もともとマニアックなものなので、自分らしい文章が書ければ良しとしたいと思っています。とりあえず無料で公開を基本にしますが、時には有料にする時もあるかと思います。

こんなテーマですが、もし、楽しんでいただける読者様おられましたら、嬉しい限りです。

他の作品共々ご愛顧いただけますよう、お願い申し上げます。

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