見出し画像

『金井美恵子全短篇Ⅲ』メモ

『金井美恵子全短篇Ⅲ』は『くずれる水』からはじまる。「河口」から、まさしく〈水で出来た膨張する迷路の無限の分岐点のはじまり〉から。枝分かれして行く。しばしば浸水し、混ざり合い、曖昧に不確かに溶け合い、合流と分岐を繰り返しながら。無数に広がって行く、細かに枝分かれして行く。戻るのではない、円環ではない、繰り返しでありながら、反復でありながら、けれど同一ではない。〈共有と分裂の原理〉…奪い合うのではなく、共有し合うのだ。Ⅲに至り、言葉が、小説がやがて『柔らかい土をふんで、』へと雪崩れ込んで行くことの必然性というもの、金井美恵子が〈長い長い一つづきの小説を書きつぐ途次のなかで〉書きつづけてきたことを確信する。
手渡されつづけるリンゴ。紅玉でなくてはならないと思う。宮沢賢治や岡本かの子の林檎がそうであったように。引きのばされる空間と時間。言葉は次々と引き起こす。書かれた言葉から、小説が引き起こされる。書くこと、書くという行為にまつわる欲望が、充足しきることのないものである以上。枝分かれする欲望と意思。それが充足しきることのないものである以上、時間や空間はひきのばされつづけ、増殖しつづける。きらめくガラスの破片をおうこと、飛び散る水の、きらきらときらめく破片をおうこと。ゆるみはじめる、ぬくめられて柔らかに溶けはじめるつららを生きながら見惚れること。官能的で、肉体的なことだ。金井美恵子を読むということはつねに。胸をしめつけられるような細部のなまなましい触覚。ありふれた物語と、無数の言説や噂話の集積の、只中にあって。触知する肉体の、肉体的な感覚の、唯一と言っていいほどの克明さと鮮烈さ。引き出されつづける欲望。深々とした接触。〈緊張の極点で、それがもう終ってしまうことの悲哀と、長く長く続く狂おしい幸福の不可能性が交錯する。〈あなた〉は爆発の寸前にいて、かろうじて肉体のかたちをとどめている溶けかかった別の肉体との境界を見失って境界を混りあわせながら、それでも、手や、そして全身で、もう一つの肉体に〈触れている。〉〉読むことは、書く指、今書きつつある指に近づくということは、いつだって官能的で、苦痛であり、快楽であり、過剰なまでに肉体的なことだ。書く指、欲望する指、〈それでも、なお、帰属先を奪われている言葉でもって、ほそいほそい境界線を、ほんの少しだけ越してしまうこと〉を、踏み外してしまう瞬間を、夢見、欲望しつづける〈私〉の指。

シューシューと音をたててのぼる月と水蜜桃、手渡され続けるリンゴの紅玉であること、境目なく繊維的な強さをもって絡まり合う記憶と架空と現実。引用とは引きのばすことだ、時間や空間を引きのばして増やして、過剰なまでのものにしてしまうことだ。金井美恵子の小説は過剰だ。書く指の欲望も読むことで与えられる快楽も何もかもが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?