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司法領域の対人援助

例えば無期懲役になるような犯罪者に対して「罪を憎んで人を憎まず」という態度を貫くのはとても難しいことだ。

「俺はコイツほどには罪がある訳じゃないし」と思えば、キリスト様にどう言われようと、罪人に平気で石を投げられる。それで後ろめたくも思わないだろう。罪人を攻撃することは自分だけでなく、自分の所属する共同体の危機を減らすことにもなるから、これは利己的な振る舞いとも言えない。

いっぽう罪人に優しくする人もいる。我々はその姿にも何らかの正しさを感じるように出来ている。人は誰しも、罰することにも許すことにも傾き得る。今どちらかには寄っているかもしれないけど。


「前科者の罪を責めるよりも、助けてあげるのがいい」

そう言うのは簡単だけど、、、いやそんな事ないか。炎上する。倫理的であることは、道徳性とは異なる。

断罪するのではなく救済者たるのが、例えば更生保護施設の職員などの司法領域の人の仕事である。だがそれでも良かれと思ってか、罪のある人を断罪する職員が多いし、そのことで責められもしない。犯罪者のために優しく救いの手をのべるということはあまりに難しい。そういう人間技ではないことは、宗教者に何とか望めるくらいか。

非常識は、俗人には背負えない。現代に生まれた数々の対人援助職と呼ばれる仕事は、専門職とは言われても、せいぜい学校で学んで資格を取るくらいで就くことができるものである。そこから、犯罪者の幸福のために尽くすという特殊な存在になるのには、元から心優しいか、そうでなければ特別ななにかを自身に課さないとできないのではないかと思っている。


それでもやっぱり、そういうことを生業にしているというだけでも、尊いのだろうな。


Ver 1.0 2021/1/30

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