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【数理落語(2)】  『数学根問』

 マイナス×マイナスがどうしてプラスになるか、数学的に言える人はいますか?あれはちゃんと数学的に説明ができるんですけれど、そのためにはまずマイナス1っていうのが、1を足すと0になるものだ、っていうことがわかっていないとならないんですよねえ。
 さて、自称物知りな「先生」にこの手の質問をいたしますと……

「先生、こんにちは」
「ハア、お前か。まあまあ中にお上が……なんだ、もう上がっているじゃないか」
「おじゃまします、先生」
「普通挨拶が先、どうぞと言われてから入るもんだな。おまえはあべこべだ」
「まあまあ、そう細かいことは気にせずに。先生、仲間内と散髪屋で話していると先生の話題になりましてね、先生はありゃあいつもぶらぶらして暇そうだけど、いったいなにして飯を食ってんだ?っていう話になりましてねえ。とても働いているようには見えないな、と」
「ほう、それでなにをしているように見えたんだ?」
「あ、俺が言ったんじゃないですよ。みんながですけれどね?」
「だからもって回ったような言い方をしないで、早く答えないか」
「だから、やってたな、と」
「なんだその、「やってたな?」というのは」
「俺が言ったんじゃないですからね。怒らないでくださいよ。ギーサーですよ。ギーサー」
「だからなんだその、ギーサーというのは。おまえたちの使う言葉は正確でないからいかん」
「サギですよ、サギ。昔詐欺だったんだろうって」
「どうしてひっくり返すんだ。詐欺だったら詐欺と正しくいえばいいだろう」
「仲間内っていうのは、そういう風に言葉をひっくり返して使うもんなんですよ」
「それはさておき、なんということを言うんだ。人聞きの悪い。人を詐欺呼ばわりとは」
「いや、だからあたしが言ったんじゃありませんって」
「言わなくても、黙って聞いていないで、止めるもんだろう」
「あ、だから言ってやりましたよ。『先生が昔詐欺をやっていたとは何事だっ!』てね」
「ほう、男気を見せることもあると見える」
「『……今もやってる』ってね」
「なにを言うか。あきれたな。とんでもないやつだ。私はいつも本当のことしか言わないぞ。お前に知識がないから、嘘のように聞こえるだけだ。私はねえ、若い頃は身を粉にして働いたんだよ。今は隠居して、倅が米などを送ってくれるから、書を読んで日々学んで暮らしているんだ」
「ああ、そうなんですかあ?」
「ぶらぶらしているのはお前たちだろう。日銭は稼ぐが、それ以外は飲んで、博打をして、バカ話をしているだけだろう。人間、学がないといかんぞ?」
「学ねえ。そんなもん、なんの役に立つんですかねえ」
「役立つ。人生の問題を考えるのに役立ち、人の心を豊かにする」
「へええ。俺は博打をしているほうがよほど豊かになりますがね」
「豊かではなく、貧乏になっているだろう」
「あ、こりゃ一本とられたかな。いや、だけどですよ。たとえば数学なんて、あれはなんの役にも立たないでしょう?訳の分からない理屈もたくさんありますよ。ありゃあ、数学者ってのが暇なくせにバカに頭がいいもんだから、わざと難しいことを内輪で喋って楽しんでるだけなんじゃないですかねえ」
「お前が知らないだけだ。数学は、世の中のあらゆる問題に関わっていて、役に立つところではちゃあんと役に立つ。それに、素人のお前が、訳がわからないと思っている理屈も、ちゃあんと筋が通っているんだ」
「へえ、役に立つし、みんな筋が通っていると。それじゃあ今日も、学があって何でもご存知な先生に、聞けば分かりますかね」
「いいだろう。学があって何でもご存知な私が答えよう」
「自分で言っちゃってるよ」
「さあ、加減乗除、和差積商、四則演算、なんでも聞くが良い」
「いろいろならべたけど全部同じですね。じゃあルートってあるじゃないですか。あんなもん、なんの役に立つんですか?いらないでしょう?」
「ルート?ルートルートルート……」
「一辺が長さ1の正方形の対角線の長さはルート2だっていうんですけど、そういうやつですね」
「わかっとるわ。それくらい。だからルートは、そういうことだよ」
「は?どういうことです?」
「道を四角く移動してばかりだと、四角四面で角が立つだろう」
「なんかうまいこと言っているような気もしますけれど、角は……立たないと思いますねえ」
「いや、飽きるんだよ。それに対角線で横切って行くほうが近いだろう」
「まあ、それなら認めてもいいかな」 
「だから、そういう近道をしたときの長さを知ることが必要になる。つまり、別ルートの道のりの長さを知るためにあるからルートなんだよ」
「あ、そうなんですかあ?ルートってつづり、同じだったっけ?混合しているような気もするけど」
「お前はよく物を知らないから、すぐ疑問に思うんだ」
「へええ」
「次!」
「じゃあ虚数ってあるでしょう?マイナス1のルート。あれこそわかりませんよ」
「今度は虚数だと?」
「ほら、2乗したらマイナス1になるiってやつ。よくわからないですよねえ。でもまさか、愛とは不可解なものだ、なんてことは言わせませんよ?」
「ううっ……」
「あれ、どうしたんですか?先生。またこの間に屁理屈を考えるんですか?」
「考えているとはなんだ。思い出していたんだ。あれはだな、かつて2乗のことを自乗ととも云っただろう」
「ああ、はい」
「つまりだな、愛には愛の事情があるんだ」
「なんかまた来ましたね、強引なのが。愛の事情ってどんなんでしょうね」
「お前、皆まで聞くかねえ。なんとも野暮なやつだ。察しろ。事情をひっくり返すとどうなる?」
「事情……情事?ああ、そういうこと?」
「だから事情があるといっただろう」
「なんでひっくり返すんですか?」
「マイナスだからプラスの逆なんだよ。そういう裏事情のことを計算するために、少し遠回しな表現を使って、素人には分かりにくくしてあるんだな」
「はあはあ。えー、三角形の内角の和はどうして180度なんですか?それがなんだっていうんですか?」
「三角関係のもつれを解こうとしてもだな、内輪での見方でもの見て言うと角が立つんだよ。それを和やかに解決するには、見方を180度変える必要があるんだ。そういうことを解いている、いや説いているんだ」
「数学の問題を解くって言うことは、男女関係のもつれを解くっていうことなんですか。じゃあ次、マイナスで。マイナス×マイナスってプラスじゃないですか。借金に借金をかけると、どうしてプラスになるんですか」
「あれはだなあ。片方のマイナスはたしかに金を借りているんだが、もう片方はあれは金ではなくて人を借りているんだ」
「なんですか、その人を借りているんだ、ってのは」
「借金をしている人を借りる、ということだな」
「するってえと……どうなるんです?」
「昔、借金取りに追われているかわいそうな一家があってな、娘が借金のかたに売り飛ばされそうになっていた」
「そんなことがあったんですか」
「それで私はその娘をかくまってやった。借金取りからみれば、いわば人を借りているようなものだ。借金ならぬ借人だ」
「はあ、それがどうだって言うんでしょうか?マイナス×マイナスがプラスにならないでしょう?」
「まあ話は最後まで聞け。その娘はせっせと働いたな」
「はあ」
「たぶん、私がかくまってやったことにずっと恩義を感じていたのだろう、ある日多大なる金を残してなあ。それで私の元からなにも言わずに去って行ったのだよ」
「はあ」
「だからプラスだ。はい、次の質問」
「あれ?そういうこと?なんか、強引に持ってってすぐ次の話しにしようとしますね。いやそうですかあ。人を借りる、そんな話がねえ。借金の問題にまで関係しているんですねえ。はあ、そうですか。じゃあ、0・999999999…っていうのはどうして1と同じなんですか?」
「おまけだよ。そりゃ厳密なことを言ったら同じなわけがないよ?」
「いや、厳密に同じらしいんですけどね」
「見た目が違うだろう。だけど、それを違うと言ったら角が立つんだ。だからそれくらい目をつぶるのが人情というものだ。それで世の中丸くおさまる」
「はあ、人情ねえ。あ、丸くおさまるとで思い出した。3・1415926……っていうあの、円周率の終わりってどうなっているんですか?」
「あれはずーっと行くと、また元の数字に戻ってくるんだ」
「え?循環小数なんですか?」
「円だから一周するんだよ」
「へええ。そいじゃあ、角の三等分ってどうして定規とコンパスでできないんでしょうかねえ?」
「安い定規とコンパスを使っているからだ。いいのを使え」
「一般に、5次以上の方程式が解けないのはなぜでしょうね?」
「安い計算機を使っているからだ」
「なんか荒っぽくなってきたなあ」
「っていうかお前、かなり数学に詳しくないか?」
「いえいえ、なにをおっしゃる。博学な先生にはかないませんよ。ええと、それじゃあ、『すべてのクレタ人は嘘つきである』って言っているクレタ人は正直なんですか?嘘つきなんですか?」
「嘘つきつき」
「はあー、なるほど。それじゃあ算数の質問にしましょうね。単純なほうがごまかしが効きませんからね。ええっとー、割り算ってどうしてゼロで割っちゃいけないんですか?」
「なんか割り切れないから」
「こういうダジャレはうまいんだよね。よくそういうのが思いつきますね。微妙に正しいしね。じゃあ、分数の割り算って、あれどうしてひっくり返してかけるんですか?」
「そんなのは……あれ?それは……」
「『5分の2で割る』とかってもう意味が分かりませんよねえ?さ、先生。どうしてですか?小学生にもわかるように。さあ」
「んんー、それは……数学者の仲間内で、ひっくり返すのがはやってた」

〈了〉

ver1.1 2020/4/30

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