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【数理小説(2)】 『無限の帝国1 無限の自転車操業』

 城の前には無限の勝利を祈って作られた「∞」のマークの旗が掲げられているが、心なしか頼りなげに見える。それがぴくりともなびかぬのを見て、宰相のチョイスは「我が国に追い風なし」と解して、ため息をつきながら塔から王の間に続く橋を渡った。
 インフィニティー帝国は、大国のつもりでいる実際には中くらいの国だ。王の名はアレフ。仕掛けた戦は連戦連勝だといいなという思いを抱きながらどちらかというと負けつづけの将である。インフィニティ―帝国の城、『無限城』の中心部、王の間にたどりついたチョイスは、力なく王に報告する。
「王様。先刻申し上げた通り、カントール国の使者は書状を持って参られました」
 おそらく報告前から、王はそれが良い知らせではないと察していることだろう。嫌な空気だ。宰相は、窓から帝国の領土を見やって沈黙している王の背中を見つめた。
「そうか。して、手紙には、なんと書かれてあった?」
「重要なことが書かれてございました」チョイスが口ごもる。
「そうであろう。使者をよこしてきたのだからな。して、その重要なこととは?」
「はあ。王様。これはいかんともしがたい事態です。どうか、慎重なご判断を」
「ふむ。あい判った。だからなんと書いてあったんだ。はっきりと申せ」
「それが……」
 チョイスはこれまでのことを考えた。アレフ王は、向こう見ずだ。奇策を考えては試したがるので戦火が絶えない。インフィニティー帝国の軍は弱く、近隣諸国は自分たちが負けるとは思っていない。だが度々戦をしかけられるのは煩わしくてかなわない。そこでこの度、カントール王国が使者をよこしてきたのだ。カントール王国の勧告を伝えると、王は全面戦争だとも言い出しかねない。そうなると、今度こそこの国は終りだ。
「王様。全面戦争はなんとしても避けたいところでありますな。いや、さすがカントール王国。そのへんのことはよく解っているようで、宣戦布告ではございませんでした」
「ほう。つまり向こうから我が国の属国に下ると。これは吉報だな」
 チョイスは心の中でずっこけた。
「王様。「この世のすべての国を我が国に」の目標がまもなく叶おうかとも思われる、飛ぶ鳥を落とす勢いのカントール王国が、なぜ無限とは名ばかりの我が国に下ることがありましょう。それはあまりに……」
 甘く考えすぎです、楽観的にすぎます、状況を見誤っております……偉い人に話をするときには言葉を選ぶ。どう言ったらよいものだろう。
「……ユニークで心強い発想……ですなあ」
 王は笑顔になった。
「そうであろう。余のような優れた王ともなると、常人には測れぬ発想を持つものだ。飛ぶ鳥を落とすのは平凡だ。我が国は、泳ぐ魚を飛ばす勢いだ。不可能を可能に。我が国の領土は、無限には少しばかり足りてはいないが、未来と我が思考は無限だ。ハッハッハ」
「(果てしないバカだな)」チョイスがたまりかねて、こっそりつぶやいた。
「ん?なんか言ったか?ハハハ」
「いえ、無限万歳!アレフ王万歳!でございます」
「ハハハ。この国は無限に栄えるであろう」
 彼が暴君タイプでないのは幸いだ。そもそもチョイスは宰相として就任してからが浅い。アレフ王の臣下の者たちに、どうか我が国とその近隣諸国を救うと思って来てくれと頼まれたのが、ほんの二ヶ月ばかり前だ。それまでは、とある国を治める王の家庭教師をしていた。元々チョイスは軍師であり、大きく政治を任される名義の役職に就いたことはない。自分は軍師として働くわけではないのか?と尋ねるとインフィニティー帝国の使者は、
「アレフ王が自ら次々と戦略を立てますので、軍師の役職は不要です。王に次いで国を動かす権限をお渡ししますので、どうぞ我が国に」
 と請うてきたのだ。チョイスが決めかねていたところ、一緒に来ていたインフィニティー帝国周辺の国々の重鎮たちが「我が国からもぜひ、アレフ王に良き助言を述べられる方に、行っていただければと思います」「我が国からも、ぜひ」と口々に言った。そうか、他国からの信頼も厚い王なのか。ならばぜひそのような王に遣えてみたい。次々と戦略を立てる王ならば、むしろ自分のほうが学びを得るだろう、と思ったのが、果てしなく続く大きな間違いの始まりであったのである。
「読み上げます。『カントール王国は、インフィニティー帝国との間の戦争を終結することを望む。全面戦争は、貴国においても、望むべき事態ではないと判断する。よって、先の戦争に対し、賠償金を以て、和平協定を結ぶことをここに提案する。この案をのむのであれば、インフィニティー帝国は先の戦における賠償金10万ゴールドを……』」
 王は身を乗り出した。
「くれるのか!」
「あの、どうしたらそのような発想が生まれるのでしょう?払うのですよ。こちらが」
「先の大戦については、我が軍は負けてはおらんであろう?」
「王様。あれは決して大戦ではありません。小競り合いでしょう。我が国の小軍隊がカントール王国に乗り込み、敵に大砲を一発放たれただけで後退して終りました」
「一時退却だな」
「ずいぶん長い一時退却ですな」
「10万ゴールドか……」
 王が思案する。チョイスは唾を飲み込んだ。アレフ王に、「再度攻撃だ」と言われると面倒だ。だが、賠償金を払うのも厳しい。
 王は意外な意見を述べた。
「払おう」
「え?はい。解りました。では気が変わらぬうちにそうするとしましょう。その資金の捻出ですが」
「それだ。1カッパーも払わず、支払いを済ませよう」
 チョイスは、ついに王は思考力を失ったのだと思った。それでも自分の役目として、王には一応言い聞かせなければならない。
「王様。「払わずに支払う」とは、完全に言葉が矛盾しております。不可能で……」
「余の辞書に不可能はない!」  
 可能もないけどな、とチョイスは思ったが言わない。
「そうは言っても……」
「支払う方法はある。これから余の言った通りにお前が動いてくれれば、大丈夫だ」
 王が、例の物を、と従者に言うと、資料が届いた。『ゼロから資金を産む計画』というタイトルだけに丸まる1ページを費やし、その後には無駄に字が大きく、無駄にカラフルなページが続く。意味もなく「∞」のマークが振られており、正直言って全体的に見づらい。それにしても、いつのまにこのようなものを用意したのだろうか?とチョイスは首をかしげた。賠償金話は、今自分が王にしたばかりであるのだが……
 アレフ王は気取った声で説明を始めた。
「ゼロを何倍すれば、10万ゴールドになるか」
 ならないよ、とチョイスは思う。もうチョイスの頭の中ではすっかりタメ語で悪態をついている。それがうっかり口に出ないように気をつけなければならないな、とチョイスは思った。
「ハッハッハ。ならない、と一般の人は思う。計算してみよう。10万ゴールドを0で割るといくらになるか。無限大だ。我が国はその無限大、すなわち不可能を可能にすることを信条としておる。だからゼロも10万ゴールドに膨らませられる」
 説明が微妙に不正確だな、とチョイスは思う。0では割れない、と言うべきだ。
「その方法は?借金だ!」
「はあ?資料まで作って、出した案がただの借金?」

「……ということでございまして、A1国のポール王の寛大な心によりまして、我がインフィニティー帝国に、10万ゴールドを貸していただけば、と存じます」
 チョイスは、A1国の城を訪れていた。
 大体、この国に金を貸してくれる、それも賠償金である大金を貸してくれる国など、どこにあるというのだろう。いくら頭を下げたところで無理だ。チョイスがそう思っていたところ、ポール王は断らなかった。
「ああそう。利息がつくならいいよ。5%のね」
「利息をお取りになるのはもっともですな。妥当な金利かと。ではその通りに」
「一週間でね」
「ええ?一年じゃなくてですか?」

「……という大変な事態になってしまったのです」
 インフィニティー国、王の間である。
「なあに、案ずるな。そこで、その借金をA2国のピーター王からお金を借り、それで返すのだ」
「いや、それは……」

「……ということでございまして、A2国のピーター王の寛大な心によりまして、10万5千ゴールドを貸していただけば、と」
「ああ。利子は一週間で1割ね」
「今度はトイチ?」

「……という事態でして」
「では、A3国のパーシー王からお金を借るのだ」
「はあ……」

「一週間で2割ね」
「トニ?はああ」

「……こんな感じで、借金は膨れ上がっております」
「大丈夫だ。借金を繰り返せば、どんな支払いをすることもできる!」
 たしかにそうだ。だが、とうてい受け入れられるものではない。
「余はこの戦法に」
 戦法じゃないよ、とチョイスは心の中でツッコミを入れた。
「『ゼロから資金を産む計画』と名前を付ける!」
 王はチョイスが感動するとでも思っていたようであるが、すでにその名前は以前もらった資料で見ている。
「やはり無理です!」とうとうチョイスが言った。
「はあ?なにを言っておる。うまくいっているではないか。借金をして早々に返しているので、各国に信頼も得られている」
「要するに自転車操業でしょう」
「自転車操業?なんだって?しまった」
「とんでもないことをしていると、判りましたか」
「余が発案したと思ったのに、先に「自転車操業」戦法という名前を付けた者がいたとは」
「そこですか!」
 宰相は頭痛に襲われた。
「自転車操業という言葉は異次元にある、とある島国の言い方です。自転車のように次々とこがないと倒れてしまうところからそう言われ、返すあてもないないのにそのような借金を申し込むと、詐欺の一種とみなされ、犯罪にあたります」
「犯罪?借りつづける限り、返すあてはあるではないか」
「現実には貸し渋られます」
「そう簡単にはいかんのか。貸し渋られると?」
「では聞きますが、王様。もし隣国に、同じ様に借金を申し込まれたらどうします?返すあてはあるからと言われたが、その実は別の借金で充てようとしているだけ。それなのに、大金を貸すように求められたら?」
「ううむ……」
 これで納得するかとチョイスがほっとした途端、
「貸すなあ。余なら」
 チョイスが、何を言っても無駄だと思った瞬間であった。
「だって、返してくれるのであろう?利息もつく。良い話ではないか。だれも損をしないぞ」
 果たして、王の言う通り自転車操業をつづけることとなった。


 ところがチョイスの心配はよそに、それがうまくいってしまったのである。それには、この世界、平面世界ならではの理由があった。

〈つづく〉

ver.1.0 2020/5/2

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