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【数理落語(1)】 『立坪算』 (バナッハ=タルスキの定理)

  ここにある組木バズル、バラバラになっているのをこうやって組み合わせると、ほら、球になりました。何ということはありませんな。さてこれを、またバラバラにして組み合わせると、同じ大きさの球が2つできる、と言ったらどうでしょう?もちろん中身は空洞じゃなくて、ちゃんと詰まっています。そんなパズルは作れるでしょうか?

 そのパズルを解いた数学者がいます。球を2つにするだけでなく、豆1粒を何個かに切りわけて組み合わせると、太陽の大きさにもできると言うんですよ。本当にそうなったらお金だって増やせるし、食べ物だって増やせてしまいますが。
 こんなことを言いだすと、当然混乱をきたすわけでございまして……

       *          *          *
 
「おーい兄貴ぃー。いるかーい?兄貴の力を借りたいんだよ」
「なんでえ、どうしたい」
「買い物なんだ。うちの樽に穴が空いちまってさ、新しいのを買いに行きたいんだ。それも二荷のやつをね。そしたらうちのかかあが、あんたは買い物が下手だ、その点兄貴は理系でオタクっぽいから買い物も上手だろう、だから一緒に行ってもらいなと、こう言うんだよ。付き合っとくれ」
「そうかいそうかい。わかったよ。俺は理系でオタクっぽいから買い物上手……って、おい。えれえ失礼だな」
「あ、いけねえ。言っちまった」
「まあいいや。買い物に付き合ってやるよ。ただ、俺が店のもんと論議する間、おめえは口を出すなよ。じゃあそこにある天秤棒と荒縄を持って行くぜ。
 それにしても、おめえは数学が不得手でいけねえよ。だから文系のかかあの尻にしかれるんだ。論理的思考を身につけさえすりゃあ、筋を通してぴしっと言ってやれるんだよ。って言っているうちに道具屋街に着いちまった。よし、この店がいいな。……ごめんよっ」
「いらっしゃいませ。なにをお探しでございましょう」
「一荷の樽を買いに来たんだ」
「一荷の樽でしたら、手前に並んでいるのがそうでございます」
「そうかい。ほお。こりゃあいい樽だ。いくらだい」
「はい、πシルバーです」
「おおっと、瓶じゃなくて樽っていうのが微妙だけど、でも長屋に天秤棒と出て体積の単位も「荷」ときたから江戸の話だろうなあー、と思っていたら、πシルバーとは、そうきたかい」
「はい、一杯入る、というのにかけて、πシルバーにいたしました。最新のアナログコンピューターを導入いたしまして、無理数も扱えるようになりました」
「それはちょうどいい。OSは最新かい?選択公理もアップデートした?オッケー。それはさておきπシルバーだが、俺は超越数や洒落がわからねえというわけじゃねえんだけれどよお、既約分数で表せねえっていうのは、あまり気持ちが良くはねえわな」
「そういうことでしたら、いっそ3・14シルバーに致しましょう。それくらい負けるのでしたら、うちも困りませんので」
「もう一声!運ぶのは俺たちでやるからさ」
「いやあ、樽というのは儲かりませんで。これが精一杯でございまして」
「じつは樽が欲しいのは俺じゃなくてこいつなんだよ。だけどこいつ、ゆとり教育世代なんだよ」
「ああ、そういうことでしたらしかたありません。3シルバーにいたしましょう」
「よしきた。じゃあ、3シルバー。さっ、荒縄で縛って、お前はそっちを持って」
「いや、でも兄貴ぃ。俺が欲しいのは一荷の樽じゃなくて、二荷の樽で……」
「シーッ!いいからかついで早く出ろ。よし、その角を左に曲がれ」
「でも、うちはまっすぐだよ」
「いいから曲がれ。よし。次の角を左に曲がれー。よし、その次の角も左に曲がれー!」
「あれえ?元の店じゃねえか!」
「これでいいんだよ。……ごめんよっ」
「いらっしゃ……あ、先ほどのお客さま。いかがなされました?樽に漏れでもございましたでしょうか?」
「おうっ。覚えててくれたかい。いやあ、違ったんだよ。この野郎がそそっかしくてよお。この樽がいいっていうから買ったのに、本当はこっちの樽が欲しかったって言うんだよ」
「兄貴ぃ。違うよ。俺は最初から二荷の樽が欲しいって言ったのに兄貴が……」
「シーッ!黙ってろっ!……いや、なんでもねえ。それでよお、この樽はいくらだ?」
「はあ、そうでございましたか。かしこまりました。こちらは二荷の樽でございます。うちは容積が値段にぴったり比例しておりまして、ですから二荷でございますと……あ、そういう……いやー、手の込んだことをなさるお客さまだ。参りましたなこれは。私の負けでございます。いいでしょう。6シルバーで」
「容積で値段が決まるんだな?いいねえ。ところでこの樽の中の空間は、3次元空間の有界で内部が空でない集合だな?」
「え?ええ。それはもちろん。空間をさすならそうですな」
「よく言った。するってえと、こっちの空間に入る球を考えて、ちょいちょいちょいとこういうふうに回していっても重ならないように選択公理を用いて点を選んで、またちょいちょいちょいっと、バラバラバラバラっと、集めて、繰り返して……どうだ?」
「あれ?えーと、どちらのピースも同じ形で、大きさ、同じ個数ですね」
「この空間を並べ替えると、一荷の樽の空間と同じ形になるっていうことだよな?」
「そういうことになりますなあ」
「ということはこれは3シルバーだな」
「え?いや、お待ち下さい。このような分割は実際の物質には不可能ですから……」
「おいおいおい。いくら俺だって、こんな分割が樽でできるなんて思っちゃいねーよ。あくまで樽ん中の空間の話だ。言ってみればおまえさんは空間を売る商売だろう?」
「左様でございます。容積に値段をつけるのが売りになってございます。はあ。たしかに空間ということであれば、これは成り立ちますなあ」
「じゃあどちらも同じなんだから、3シルバーでいいな?もらっていくよ」
「ああはい、3シルバーで。ありがとうございました……」
「さ、樽を縛って。よし、いくぞ。えっほ、えっほ」
「おお、兄貴、すげえなあ。なんだかまったくわかんなかったけれど、3シルバーで買っちまった」
「いいから、早く行け!」
「あのー、お客さま、ちょっとお待ちを!」
「もたもたしてっから、呼び止められたじゃねえか。しゃえねえ。引き返すぞ」
「ああ、お客さま。どうしても3シルバー足りないような、空間が減らされているような、満たされないのでございます。なんだか樽の体積が定まっていないような……」
「(ドキ!)なにおかしなことを言ってやんでえ」
「ええと、一度有限個に分割するときに、どうも……」
「ああ、だからこの証明を用いると、ほら、こちらの一見大きな樽と、こちらの一見小さな樽。中の空間は分割して組み合わせるとそれぞれ同じ形だろう?」
「はあ、合同ですな」
「重複させるとか、無限級数を使うとか、そういうセコいごまかしをしてるかい?」
「いえ、してません」
「つまり組み替えると?」
「同じ形」
「てめえんところでは空間に値段をつけている。ってえことは値段も?」
「同じでございます」
「そうだよな。これでいいかい?」
「ああ、はいはい。左様でございましたな。たしかに組み替えると、そうですねえ。なんか直感に反するような気がしていたんですが、なにひとつごまかしはありません」
「もう文句はねえだろう」
「あ、いや、お客さまのおっしゃるとおりで、失礼いたしました」
「よし、早く天秤をかつげ。行くぞ。えっほ、えっほ……」
「お客さまあ、お客さまああ!お戻りをー」
「ああ、戻れ戻れ。……なんでい」
「ああ、お客さま。お勘定が、空間がちょっと」
「またかい」
「私、どうしてもひっかかるのですよ。心の空洞を埋められないのでございます。いや、たしかに同じ大きさの空間にはなるんでございますよ。なるんでござますが、なんというかその、体積を測ろ……」
「いやいやいや、そこまでそこまで。そこでやめよう。難しく考えすぎちゃいけないよ。だったらアナログコンピューターを持って来な。こういうときはこのアプリ、『樽空きくん』を使うといいぜ。まずOSの選択公理をオンにしておきな」
「はい、いたしました」
「それでこっちの空間を分割しな」
「はあ、分割されました」
「で、組み合わせると?」
「ああ、同じ大きさになりますなあ」
「そうだろう?」
「少しお待ち下さい。ええ、こちらの樽は二荷の容積であったはずで……あと、この選択公理を用いているというのもなんか微妙にいけないような……」
「おいおいおい。数学が命の商売人が、まさか選択公理を採用しないのかい?」
「いええ、選択公理が認められなければ、多くの定理が導かれませんから、せっかくアナログコンピューターを買ったのに、もったいない」
「そうだろうそうだろう?選択公理が悪いわけじゃねえよ。つまりは?」
「二つの空間は分割合同で問題ない、と」
「つまり、この店では値段は同じ、と。じゃあもういいな。持って帰るよ。もう呼び止めちゃだめだよ。じゃあな」
 
       *          *          *
 
「兄貴ぃ!」
「どうしてえ」
「あの樽、せっかく値切って買ったのに、不良品だったんだよ。穴があいていて、水が漏るんだよ。交換しに行くのにつきあってくれよ」
「俺じゃなくてもいいだろうよ。もうあそこには顔出したくねえんだよ」
「またなんか言われたら俺じゃあ太刀打ちできないよ。頼むよ」
「せっかくごまかせたのに、しゃあねえなあ……」

       *          *          *
 
「ごめんよおっ」
「ああ、またあなたがたっ」
「いや、こないだ買ったこの樽なんだが、穴があいていてさ。水が漏るんだよ」
「え?穴が空いていて水が漏る?そういうことでしたら、お値段は無限大いただきます」

                                〈了〉

ver1.1 2020/4/30

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