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カサンドラの嘆き3 『北北西に進路を取れるものなら取れ』

タカシくんが大人になって運転免許を取りました。

駅から時速60キロメートルで東に車を走らせました。

タカシくんは2時間後にはどこにいるでしょう?

    *            *            *

前回は、根拠があるっちゃああるがもっとも単純な予測、「前回と同じ」という予測の話であった。たとえば「宝はA地点にあった」という情報だけがあり、「またA地点にあるだろう」と考えるのだから、「理論」と呼ぶほどのものでもない。

さすがに一度宝を見つけてそれを手に入れてしまえば、その宝はなくなってしまう。だからここに時間経過をおくことにしようか。表現を少し変えてみる。

「今日1丁目でタカシくんを見つけた。だから今日も1丁目にタカシくんがいるだろう」

これが前回の話だ。



今回は2つ以上の情報を使う。「宝はA地点とB地点にあった」というようなものだ。A地点とB地点は違う。ここに時間経過をおくと、


「昨日1丁目でタカシくんを見つけた。今日は2丁目でタカシくんを見つけた」


とでもなる。このとき


「明日は3丁目にいるだろう」


という予測をするのである。


タカシくんは1日目には1丁目、2日目には2丁目、3日目には3丁目にいる。タカシくんは、地図上でまっすぐ移動し、人はその線の先にタカシくんが来るだろうと期待する。

この「直線の予測」は、多くの場面で使える。その例をあげる。

1. 「きのこを1口食べたら1時間、2口食べたら2時間お腹が痛くなった。3口食べたら3時間お腹が痛くなるだろう」

2.「『1、2、3、4…』次の次の数字は?そりゃ6だろう」

3.「細君の怒り指数が、5分間で10%ずつ上がっている。あと数分後にはマックスだ!」


どこが直線かというと、グラフを描くと直線になるのである。


1については医学・生物の話であり、あまり正確な予測は見込めず、誤差が大きくつきまといそうだ。そもそも1口という単位があいまいな気がする。

それでも2口食べると1口のときのぴったり2倍の時間お腹が痛くなったり、3口で本当に3時間お腹が痛むとしたら、その後の正確な予測も期待していいかもしれない。そこまでのデータがなくても、3口食べたら2口食べたときよりは長い時間お腹が痛むことくらいは見込めそうだ。

でも、おそらくトイレに行く翌朝くらいには、この法則は崩れるだろう。


そこで現実の限界を考えなくて良いよう、2についてはただの数字の列にしてみた。だからクイズに近い。出題者にでたらめを言われてしまうと終わりだが(数学的にも6以外の数字に持っていく手はある)、素直に1つずつ数学が上がるとすると、次の数字だけではなく、ひとつ飛ばしたその次の数字も予測できる。それどころかその先のどの数字も無限に予測できてしまう。



3については、「怒り指数」なるものが正しく測定できるのか、かなり主観が入る気がするが、それをおいておけば、これまでと違うのは数値データのほうを決めて時間のほうを当てに行っているところだ。

「10、20、30、40・・・はい、100は何番目?」

ということを当てている。物事をデータにしてそれを数式で説明するようにすることを数理化というが、数理化はこのように、方程式を解くという作業により威力を発揮し、当てる数字までひっくり返してしまえて便利だ。


前に予測は情報の錬金術だと言ったが、ここでは有限の情報から無限の情報を(もし法則が正しければ)取り出すことができる。


ところがこの直線の法則は、そもそも間違っていることもあるし、極めて限られた範囲だけでしか使えないことも多い。たとえば無限に丁目がつく町はないから、このタカシくんが1日一丁動くという法則は、せいぜい町の何丁目というのが割り振られている範囲内に限られる。

とはいえ、この直線の予測は強力である。直感的にも判るだろう。めちゃくちゃ複雑な計算を使うのに大して当てられない理論がある中で、極めて簡単な割によく当てられる方法である。つまりコスパが高い。


・キノコを食べてお腹が痛くなる話は、そのまま薬の処方に通じる話である。医者も大雑把に、薬が2倍になれば効果が2倍くらいかな、などと考える。効果は比例とまでは言わぬまでも、血の中の薬の濃さ(血中濃度)ならまあまあ比例しているんじゃないかな、と考えている。(実は薬による。線形に増加しない薬があるのだ)

・移動するものについて、我々がそう無理なくその動きを理解して予測できるのは、同じ速さでの移動までだろう。たとえば動いている的を矢や銃で狙い撃つ、あるいは写真を取る(こちらのほうが説明としては都合良い。下に記すように、矢や銃は直線には跳ばないからややこしい)とき、同じ速度で動いているなら、止まっている的を狙うくらい簡単だ。
予測ができるからである。

・ある感染症の患者の数が日々、10人、20人、33人、44人と増えるようなことがあったら、明日はたぶん50人台だと予想する人が多いだろう。長期的には直線で描けなくても、明日のことくらいは最近の数字の増えかたを参考にして「また同じ人数くらい増えるんじゃないか」と考えるのは妥当である。

・昔、船についていた大砲は横向きに設置されていた。弾がまっすぐに飛ぶと考えられていたからである(やがて力尽きて落ちる、と)。現代人でも、似たように考える人は多いのではないだろうか。テーブルトークRPGをやると、天井の低い洞窟で矢を射ようとするプレイヤーがよく現れる。銃などでも、まっすぐ的を狙ってしまうのではないだろうか。
だが、短距離で、威力のある銃を使うのであれば、弾道はほぼ直線とみなしても差し支えない。


未来に対する予測を数字でする場合、時間と何かの数の関係を明らかにする必要がある。時間を x と表し( t でもいいけど)予測したい数値を f(x) という x の入った式( x の関数)であらわす。ただ、f(x) という記号がややこしく思う人がいるかもしれないので、中学生にもわかるように yと書くことにする。 


予測は、 x と y の関係性が定まっているときにしかできない。データに法則性を見つけたあと、「次もまたこの法則に従うだろう」という形で行われるのだ。だからこの記事では、さまざまな法則(ほぼ、「数式」と同じ意味である)を紹介していくことになる。

その意味では、前回の「前と同じことこが起こるだろう」という予測と本質は変わらない。


「昨日1丁目でタカシくんを見つけた。だから今日も1丁目にタカシくんがいるだろう」(『タカシくんは1丁目にいるの法則』)

「昨日1丁目でタマを見つけた。今日は2丁目にいた。明日は3丁目にいるだろう」(『タカシくんは1日に1丁だけ移動するの法則』)


どちらも「○○だろう」と予測する際に、カッコ内の法則そのものは変わらないという前提に立っている。


前回の予測法では、使われる数学(関数)は y = 一定 という、ほぼ数学を使っているとは言えないようなものであった。今回、数字は変化する。それは


y = ax


という簡単な関数(比例)である。


(この式に +b をつけても良かったが、簡単にするために消しておいた)


たとえば前回は


y = 1


などが考えられた。xが1であろうが2であろうが、zがなんであろうがどうでもいい。「だれがなんと言おうと y が1といったら1なんですよ」っていう式であった。

今回はたとえば a に1を入れて


y = x


などと表される。タカシくんが移動する例がそれになっている。x は昨日を1日目としたときの日数、x日目を表している。y はそのときいる丁目、y 丁目だ。

このような関係は「線形性」と呼ばれる。


極めて小さな目で見れば、たいていのものは直線である。

我々は誤差があっても無視し、グラフや軌道に直線を探す。運動に対し、一定の「速さ」というものを感じられるようになっている。場所は次々と変わっているのに、「速さは同じ」という感覚を持てるのである。だからこそ、我々はそれを、直感的に秩序的に捉え、直感的に予測するのである。


そうは言ってもいくつか例を述べたように、直線ではないもの、いつか直線ではなくなるものを直線だと思うと、予測は裏切られる。そう、また予測は外れる。


次回はまっすぐにはいかない話だ。

    *            *            *

「あれ?タカシくんが駅から東に120キロメートルの場所にいない」

「ああ、タカシくんならスピード違反で警察にいるよ」

「……」


Ver 1.0 2021/2/13


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