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【数理小説(4)】 『e』

「頭取、大変ですよ。世の中、加速度的にインフレが進んでおりまして」

「いいねえ。インフレ。なかなかはやっておるな。うちも乗り遅れないうちに導入しなさい」
「あのー、頭取。インフレとはなにか、わかった上でおっしゃっていますか?」
「失敬だな、君は。もちろんだとも。あ、だが、解説してくれてもいいぞ」
「はあ。つまりですね、インフレーションとは、お金の価値が下がっているということです。かつて1ゴールドで買えたスーツが、今では100ゴールドですよ」
「そんなにするのか。だがうちは仕立て屋じゃないからいいだろう」
「スーツだけじゃありませんよ。あらゆる物の値段が上がっているのです。買い物はご自身でされないのですか?」
「そういえば最近、クラブでずいぶんボッタくられると思ったが、そういうことだったのか」
「そうでしょうね」
「次から次へと高い物をねだられるようになったのも、そのせいだな」
「微妙に違うようにも思いますが、女性の欲求が膨らむのと、頭取がお金を払うことで得ている魅力がどんどん下がっているということは、インフレの一種と言ってもいいでしょうね」
「いかんではないか、インフレ」
「今さらですか。それで、銀行においてはなにが困るかといいますと、預金する人が減っていきます。なんせ、お金の価値がどんどん下がっているので、物に替えておいたほうがいいですからね。後で値段が上がりますから」
「利息をあげればいいだろう。ざっと金利100%でどうかな。パーッと」
「ああ、金利が100%ですと、一年後には預金が二倍になるという。いや、これはまったくの冗談ではなく、インフレ率がすごいことになっていますから、ちょうどそれくらいでつりあいますな。さすが頭取。さっそくそのように手配いたします」

「頭取。政府も動き出しました。今や金利は百パーセントとすること、と政府から通達がされまして、我々はそれに先駆けたことになります。さすが頭取」
「ハハハ、なあに。ちょっと先を読めばいいだけのことだよ、君。三年後には三倍、四年後には四倍になるわけだろう?一〇年後なら一〇倍……」
「頭取、ちょっと、ちょっと」
「ん?どうした?」
「あなたそれでよく銀行の頭取になれましたね。一〇年後に一〇倍って」
「ん?ああー。あやうくだまされるところだった」
「ホッ。わかっていただけてよかったです。でも、冗談ではなくて、素で間違えたみたいですけれどね」
「いやいや、君をからかってみただけだよ。一年後が二倍なら、二年後は三倍だな。で、三年後が四倍。一つずれていたよ。ハハハ」
「待ってください!わかっていませんでしたね。やっぱり。これだから二代目っていうのは……」
「なんか云ったか?」
「いえいえ。あの、いいですか。一〇年後は一〇二四倍ですよ」
「ハハハ。いくらなんでも君、それが冗談だということくらいは、私にもわかるよ。バカにしないでくれたまえ」
「だから、ほんとなんですって。単利じゃないんですよ。複利なんですから」
「フクリ?ってなあに?」
「ああ……。じゃあこう聞きましょう。一年後に百万ゴールドが、二百万ゴールドになる。ここまではいいんですね?」
「ああ、金利100パーセントだから、当然だな」
「それで、頭取の考え方は単利なんですよ。最初に預けた金額の100%が毎年利子につく。だから毎年百万ゴールドずつ増える、という」
「タンリ、ね」
「ですが、定期預金じゃありませんからね?お客さまはいつでもお金を降ろすことができますよね」
「ああ。利子がつかないから、降ろすのはもったいないがな」
「それが、もったいなくないのです。降ろしたその日にまた預ければ」
「面倒なことをするものだなあ。預けっぱなしにしておけばいいだろう」
「ですが頭取、一年後に百万ゴールドが二百万ゴールドになっている。その日に降ろして、また預金をしますよね。そうすると、その日が預け始めの日ということになりますね」
「そうだな。最初に預けたのが二百万ゴールドだ」
「じゃあ聞きますが、その一年後には預金はいくらになりますか?」
「そりゃあ金利が100パーセントなんだから、二倍になって四百万ゴールド……あれ?」
「そういうことです」
「一回降ろしたほうが得じゃないか!」
「そういう面倒な矛盾が起きないように、銀行の金利というものは複利なんですよ」
「そうか、二年後は四倍か。それはすごいな。だが、さっきの一〇〇〇倍っていうのは、違うだろう」
「はあ。計算しますか?一年後は二倍、二年後は四倍、三年後は八倍、以下十六倍、三十二倍、六十四、一二八、二五六、五一二、一〇二四。ほら」
「本当だ。一〇年後は預金が一〇〇〇倍以上だ!大丈夫なのか、これ?副頭取くん」
「まあ、預かっているだけならパンクしますが、貸し付けた額も、それ相応の利率で貸しているわけでして。インフレが進み、どこでもお金の価値が下がっている分、収入となる金額は上がりますから、同じといえば同じことですが。計算はすごいことになりますね」

「副頭取くん。最近消費者団体から銀行業界全体に圧力があってね」
「ああ、頭取。その件はうかがっております。これだけ時代の変化が早いのに、金利が一年単位というのは遅すぎる、というやつですね」
「そうだ。お金を預けても、必要にせまられて短期で降ろす人が増えている。そこで、金利を半年単位、50パーセントにしろ、というんだな。それでいいんじゃないかな」
「期間を半分にする分、利子も半分にするというわけですね?わかりました。他に先駆けてやりましょう」
 
「頭取、金利を半年単位ではなく、四半期単位にしろ、という圧力があります」
「ん?そうか。ならそうするか」
「そうすると、四半期ごとの金利は」
「4分の1で、25パーセントだな」
「はいはい。お金の出し入れが本当に多くなりましたね」

「頭取、ついに金利が一ヶ月単位、一週間単位と分割されていき、ついには一日単位にまでになりました」
「はあ、つまり一日単位の金利が、ええっと365分の100パーセントということでいいんだね。毎日計算する必要があるけれど、まあそれが追いついているようなら、いいんじゃないの?」
「ええ、そうなんですが、何か気になりましてねえ」

「頭取、ついに金利が一時間単位、一分単位と分割されていき、ついに一秒単位にまでになることになりそうで」
「いいじゃないか。一秒でも遅く引き出せば、その分の金額があがるんだから。いや、それとて微々たるもんだろう?端数以下の」
「それがですねえ、私が計算したところ、大きな勘違いがありました」
「勘違い?」
「一年後の利息についてです」
「分割した分、利子も分けているんだから、一年単位では利子100パーセントと同じだろう。つまり二倍になる」
「それが違うのです。計算してみますね。半年単位であったときのことを考えます。金利が半年で50パーセントにしたから半年後には1・5倍です」
「ふむふむ」
「一年後は、その1・5倍です」
「あ!するといくらになるの?」
「2・25倍です」
「2倍より0・25も多い」
「はい。四半期単位では一年後に2・44倍以上」
「細かく分けて金利をつけると、一年後の利息はどんどん上がっていくのか」
「そういうことになります。これがどうやら、一秒単位ではすまなくなるようなのです」
「どういうことだ?」
「秒単位どころか、無限に細かく金利を定めることができるはずだ、と消費者団体は言うのです。高速化した社会にはそれが必要であると」
「必要なのか?本当に?」
「喫茶店に入ったときには支払えたコーヒーの値段が、喫茶店を出るときにはもう払えないほどの金額になっている、というぐらいインフレが進んでいますから、わずかな時間の違いの金利も惜しいようです」
「でも、そんなの計算不可能だろう」
「それが、政府が電子マネーを採用したのに合わせ、当行は端数の処理を不必要にするため、アナログコンピューターをいち早く導入いたしました。そのため、お金は実数を扱うことができるようになったのです」
「アナログっていうことは古いのかな?私も妻にアナログ人間なんて呼ばれてねえ」
「これからの時代はデジタル人間と呼ばれるほうが古い人ということになりますよ。指折り数えるっていう意味ですからねえ」
「それで、わかりやすく、なにがどう変わるのか教えてくれ」
「いくらでも細かいお金を扱うことができるようになったんですよ。0・003ゴールドとか、365分の1ゴールドとか、πゴールドなんてのも可能なんです」
「じゃあ、無限に細かく計算することが?」
「はい、可能です」
「もう終わりじゃないか。たったの四分割で、2・44倍だって言ったな。それが365分割どころか、1時間単位、一秒単位なんて。もう、何分割かもわからんのに、さらに無限分割なんて。預金は無限大になるじゃないか」
「ええと、私の試算によりますと、その前に一年後の利子が3倍になるようなことがあった時点で、当行は破産することになります」
「そんなのあっというまじゃないか。あああ。どうしよう、副頭取くん」

 かくして金利は無限に細かくなった。だが、預けたお金が一年後に、3倍になるということはなかったという。
 
 〈了〉
 

小説の中で度々出てくるアナログコンピューターとアナログショックについて述べられた作品です。

しかもシリーズになっていて続きがあったりします。

よろしければこちらも読んでください。5000字近くありますけど。


Ver.1.0 2020/5/8


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