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【数理エッセイ(3)】 『無限より大きい無限とは』


無限もいろいろである。


「星の数ほど」あるいは「砂の数」ほどといっても、これらは無限ではない。人が生きている間には数えられないかもしれないが、数としては決まってはいる。「だいたいこれくらい」ってのでいいなら結構正確に言える。そういうのを当てる『フェルミ推定』という、遊びというか企業面接ではやった当てっこもある。


では数そのものはいくつある?これは無限だ。普通数というと、1、2、3、4…という数のことを思い浮かべるだろう。

「え?ルート2とかπとかもあるじゃない」とかいう人がいたら、ちょっと自分は特殊な部類に入っているという認識を持ったほうがいい。できればあんまりそういうことは言わないほうがいいかもしれない。東京で「阪神ファンです」と言うくらいの迫害を受けてしまうかもしれない。


で、1、2、3、4・・というのはいくらでも数えられる。99999999999、とか、かなり大きな数字を挙げたつもりでも、「それに1を足せば?」と問えば、その答えもまた数になる。永遠にこれは続けられる。限り無い、つまり無限である。


最大という言葉も変だが、「無限」が、最も大きな数量の概念のように思える。


ところがところが、この無限より大きな、別の無限がある、というお話である。


先ほど「ルート2」だの「π」だのと、まあ聞いたことはあるが食ったことはない、いかにもチェック柄を着てる青年が言いそうな「数」の例があったが、ああいったものも含めると、とたんに同じ無限でも、その数は膨れ上がる。

まあ、1、2、3、4…(自然数と言う)という数に加えて、その途中の数字まで加わっているのだから、「数が増える」というのは想像に難くないかもしれない。でもちょっと待ってくれ。


1、2、3、4……


っていうのに、


0、−1、−2、−3…


っていう、マイナスの数を加えたらどうなるか?

ここに無限ならではのマジックが起こる。なんと、その総量は変わらない。


「え?マイナスの数だけでも無限にあるんじゃない?だったらざっと2倍になるんじゃない?」


と思うのは真っ当な感性である。

だが、無限に無限を加えても、あるいは無限を2倍とか3倍にしても、やっぱり無限は無限なのである。同じ大きさの無限である。


「こっちの無限とあっちの無限、どっちが大きい?」という問題を考えるとき、基準がある。1対1対応が作れれば同じ大きさ(『濃度』と言う)ということにしている。だが、まあ細かいことはいい。

とにかく、


1.414213…


だとか


2.71828…


などと小数点以下が無限に続く数(実数)を含めると、ただの無限自然数の数)をはるかに上回ってしまうのである。対角論法という、それほど難しくない理屈によってそれが証明されている。

さらにツッコんだ話をすると、ルート2とかπとかを混ぜても、そういう綺麗な値(人間が知りうるあらゆる数と言っていい)を入れても、実はただの無限と同じ無限であることが知られている。ただの無限を上回るには、人が知り得ない数を加える必要がある。


ここまでが、「ただの無限」の上に「ただならぬ無限」があるというお話である。


…話には続きがある。

タイトルを『無限より大きい無限とは』としたが、私が説明したい「とは」は、そんなものではない。ただ、『連続体仮説とは』というタイトルでは、食いつきが悪かろうと思って、とっつきやすくしたまでだ。


私を魅了する数学の分野は「数学基礎論」という。「数学とは何か?」ということに、飽くまで数学によって迫る、極めて魅力的で、数学の中でもとりわけ役に立たない度合いの強そうな領域である(役に立たないほど魅力的だ)。

その数学基礎論の中でも重要な問題、「ただの無限よりは大きいけれど、ただならぬほどではない(実数の濃度ほどではない)無限ってのはあるのか?」という問題が大好きなのである。中間の無限はないという主張には『連続体仮説』という仰々しい名前がついている。

(連続体仮説の小説はすでに書いた


中間がないもの、というのは実は珍しい。「人数に2分の1人はなかろう」という主張もあるかもしれないが、そこはそれ、のこぎりで切ればよい。切った瞬間に死ぬから0人になる、というなら、「半々の確率」で1人ということにする手もある。2つ合わせると1人分とする方法はいかようにも考えられる。

量子力学を持ち出さず古典力学の範囲内で考えれば、数字が飛び飛びになるということはほぼなく、あらゆる変数は連続である。たとえば時速10キロメートルで走っている車がどんなに急ブレーキをかけても、速度が0になる前にその途中の時速0.1キロメートル、時速0.00000001キロメートルになる瞬間は存在する。


微分にだって2分の1回微分があるし、2.5次元というのは何も舞台の世界でなくて数学にもある。私はこういう話にもときめく。


だが、「ただの無限」と「ただならぬ無限」の間に中間はないというのだ。これは私の数理における秩序・美観を損ねる一大事であった。


私は、この仮説の反証に挑みたい、と思ったのである。


だがこの問題は、実はすでに解決されている。平たくいうと「解決できない」

「はあ?解決していないではないか?」と思われるかもしれないが、この仮説を採用するにしてもしなくても、現在ある数学の体系内では「矛盾のないことを証明することはできない」ということが、数学的に証明されている。


それでもというかむしろそれ故に、ロマンは増しましである。ここにはお宝が眠っていそうだ。


2020/9/28 Ver 1.0


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