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【数理小説(15)】 『三角形の市』

 トリー市は、マテマティ国が新しい統治下に置かれたことにより、あらたに作られた都市であった。市長に命名されたのはトリニティーという名の、多くの支持者を持つ政党の党首であった。
 国が定めたトリー市の形は、綺麗な三角形であった。その三角形の境界を挟んで、隣の市や町と接していた。
 さて、国も新しければ市も新しい。トリー市の市庁舎もこれから建てるところである。そこで市内の有力者が集められ、市庁舎をどこに建てるかということが今から話し合われるところであった。
 「・・ですから市庁舎が決まっていないにも関わらず、気の早い市民によって都市開発がすでに進んでいます。住みよい市のありかたを考えるにも、市庁舎をどこに定めるかは重要です。市の中心と呼ぶにふさわしい場所に、市庁舎を建てたいと思っておりますが、さてそれがどこなのか。皆さんにお知恵をお借りしたいというわけです」
 真っ先に手を挙げたのは、市を代表する教団の教祖であるピュタゴーラ司祭であった。
 「市長。それはほかでもありません。我がバランス教会の敷地内でしょう。文字通りの市の中心、まさに市のへそとでも言うべき場所に相当するのです。私に折れない針を与えていただければ、市全体をその針の上にバランスよく載せることができますぞ。これすなわち、三角形の重心であります」
 堂々としたその発言は、最近信者を増やし、教会の勢力を大きくしていることの自信の表れかもしれなかった。
「たしかに、あのあたりは教会のおかげで人通りも多く、栄えていますからな。しかも場所としても中心なのだということであれば便利で、市庁舎を置くにふさわしいでしょう。では・・」
 だがそこに異議を唱える者があった。
「待った!市の中心といえば、インナーヶ丘が相応しいのではないでしょうか?あの辺は景観もよろしいですよ」
 そう言うのはトリー大学の学長、アリストであった。大学のキャンパスは、インナーヶ丘にある。
「いや、景観もたしかにけっこう。ただ、市庁舎は便利であることと、中心にあることが大事なのでして、ですから先ほどピュタゴーラ司祭がおっしゃったように・・」
「ほほう。中心と。ならばやはりインナーヶ丘で決まりですな。インナーヶ丘こそ市の中心です。市内でもっとも大きな円形の道路である、環状1号線のまさに中心にあるのがインナーヶ丘です。これこそが便利な場所、中心と言わなくて何が中心でしょう。そう、インナーヶ丘は、三角形の内心であります」
 アリストは意味ありげに歩き回りながらそう言った。
「はあ、そうですか。ちょっと待ってください」
 彼はあらゆる学問を束ねている学府の長ではある。だが学者だって間違うことはあるのではないか?市長は隣にいる秘書に小声で言った。
 「中心って、2つもあるのか?」
 「あるようですな」
 「我が市と同じく三角形であるエキラテシティーは、真ん中っぽいところがすぐ判ったぞ」
 「そうですね。ですが、この市はどこが中心なのか、私にもよく判りませんで。どうやらエキラテシティーのようには簡単に決められないようです」
 「エウレカ!」
 後ろで立ち上がって奇妙な声を発したのは、アルキメ氏、発明家である。彼は、サーカム工業地帯に会社を持っている。
 「サーカム工業地帯こそが中心です。市の頂点を結ぶ、環状2号線のまさに中心にあるのです。市街への連絡の要となる、地理的に重要な地点です。そう、サーカム工業地域は、三角形の内心であります」
 「だが君、環状3号線は、市を囲うだけで、内側にはないからねえ。あのルートをもっと市内にずらすとかしてだね、形を変えたなら・・」
 「私の円を乱すな!」
 市長が驚いた。秘書が市長に耳打ちした。
 「彼の会社は我が国の主要な武器を作っています。怒らせないほうがいいですよ」
 「はあ、そうか。ちょっと待ってくれ」
市長は水を飲んだ。
「重心、内心、外心。3つもある。ハア」
 だかそれで終わらなかった。
 「異議あり!」
 後ろから手を挙げたのは、エウクレ博士、高名な学者である。彼は、オルト湖のほとりで弟子たちと暮らしている。
 「オルト湖畔こそが中心です。証明いたしましょう。市の境界線と直交し、そのまま頂点にまでつながる3つの主要道路がありますな。その3つが交わるところにあるのがオルト湖畔です。市の境界とこれら主要道路の交わる関所の3つはいずれも商店街としても栄えております。オルト湖畔からはいきやすく便利です。しかも、この地点と頂点のちょうど中間地点にもそれぞれ商店街が栄えております。6つもの商店街、および各頂点にも直通で行けるのですよ。
 また幾何学的に重要なことを申しますとトリー市の各辺に平行でな道路がそれぞれ各頂点を通っておるのですが、その3つの交点を通る環状4号線の中心でもあり、あーだこーだなんですが、詳しいことは私の本を読んでもらえばよろしいでしょう。とにかくオルト湖畔は、三角形の垂心であります」
 市長は彼の長い説明を途中から理解していなかった。
 「その幾何学なんだが、君、もっとわかりやすくできないかね。どうも話について行きがたくて・・」
 「幾何学に王道はありません!」
 この一言については、これまでプレゼンをした他のライバルたちも「そうだそうだ」とうなずいている。秘書が市長に耳打ちした。
 「彼は原理に基づいてものを言うのを得意としている学者です。理屈っぽいんですよ」
 「はあ」
 市長は意気消沈した。
 「重心、内心、外心、垂心・・」
 「あのー、傍心というのが市外に3つありまして」とだれかが言ったが、  
 「市外?それも3つ?論外」と却下した。
 ふと、市長は地図に目をやり、今まで挙がった4つの候補の場所について気づくことがあった。
 「どれも、オイラーストリートに面しているではないか」
 一同が顔を見合わせた。たしかに、とうなずきあっている。
 「あと、環状2号線の話は出てこなかったな。環状2号線は、さきほどエウクレが挙げた商店街をすべて繋いでいるではないか。あ、環状2号線の中心にするのはどうだ?」
 「環状2号線は、各頂点の中間地点である商店街をも繋いてはいるが・・」ピュタゴラが言った。
 「あ、中心がオイラーストリートの上にあるではないか」アリストが言った。
 「市長、しかもサーカム工業地帯とオルト湖畔のちょうど中間地点です!」
 コンパスを持ったアルキメ氏が言った。
 「いやこれはもう証明終わりですな……」エウレカが言った。
 「ああそうか。よかったよかった。もうこれでいいだろう。よし決定だ!」
 かくして、三角形の、中心の中の中心が決まったという。

〈了〉


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