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『道』に思うこと

これまで生きてきて3つの『道』のつくお稽古事をやってきた。

『剣道』『衣紋道』『茶道』

剣道は8歳のころから10年間。衣紋道は大人になって10数年。茶道はしっかりとお稽古に通わせてもらうようになってまだ2年半。衣紋道と茶道はありがたいことに今も続けている。ちなみに、衣紋道とは十二単や束帯など、装束の着せ付けの方法を学ぶものだ。

このお稽古事に関して、特に衣紋道に至っては

「何のためにやっているのですか?」

とよく聞かれる。確かに、十二単を着る機会どころか、実物を見たことがないという人がほとんどだろう。私もお稽古の時か、お稽古の成果をみていただくための特別な会でしか、ご披露したことはない。

では何のためにお稽古するのか。ありていに言えば、精神修行のためであろう。それは剣道も茶道も同じだ。この現代社会で竹刀をふるう機会がどれほどあるのか。お作法どうりにお茶を点てる機会がどれほどあるのか。(京都で暮らしているとたまにお抹茶をいただく機会には遭遇する。お稽古に通う前は、フォーマルな場であれば同行者の所作を横目にドキドキしながらいただいたものだ)それでも、直接的に生きていくための知識としては、優先順位はひくいだろう。

先日、衣紋道のお稽古の終了間際に、先生が少し改まってお話をしてくださった。普段はとても和気藹々とした雰囲気のお稽古風景を先生もにこやかに(大目に)見てくださっているのだが、少々目に余るところがあったのだと思う。

『私は衣紋のお稽古は技術ばかりを求めるのではなく、皆さんには衣紋を通して心の持ちようを学んでほしいと思います。(装束をお着せする)お方様が苦しくないように、できるだけ短い時間でお着せする。お方様の視界を遮らないように、前の衣紋者は膝たち以上にはならない。尊い方の装束を扱うことを意識して、極めて丁寧に装束を取り扱う。所作を通してその心をしっかりと学んでいれば、日常生活のなかでもお相手に対する気遣いやモノを丁寧に扱うことが自然とでるはずです。衿の形やお袖の形も大切だけれども、50年近くお稽古をしている私が、いまだ一度も完璧な装束をお付けしたことがないのに、あなたたちが今日完璧に出来たら困ってしまうわ。ホホホ』

これが、衣紋道を学び、精進する理由。そして、少し忘れかけていた私たちに、にこやかに穏やかに喝を入れてくれた先生には感謝だ。

また、一番最近習いだした茶道の先生に『あなたは剣道をやっていたせいかとても姿勢がよいし、衣紋道をされているから手(所作)が綺麗ね』とほめていただいた。ほめて伸ばすタイプの先生なので、リップサービスも含まれていると自覚しつつ、それぞれの先生方の顔が浮かんで嬉しくなった。

剣道、衣紋道、茶道、他にも華道や香道、柔道など道のつくものはたくさんある。全く違う『道』であれど、どの道もそれを極めるべく日々鍛錬することにより人間力を磨いていくものなのだと思う。

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