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マルコと銀河竜を終えて

このエントリはネタバレを含みます。未プレイの方は回れ右推奨。

マルコと銀河竜をプレイし終えた。

本作の良い点と悪い点は以下のレビューとインタビューによくまとまっていると思う。

本エントリはレビューではなく、単なる日記である。まっとうなレビューを見たい方は上記リンクを参照してほしい。

サウンドモードとサウンドトラック。排他的に収録されている楽曲の存在

「サウンドモードに収録されていないが、サウンドトラックに収録されている曲」と「サウンドトラックに収録されていないが、サウンドモードに収録されている曲」の両方がある。できればサウンドトラックはサウンドモードのスーパーセットであってほしいと思う。

「「惑星」より「木星」」、「「惑星」より「火星」」、そして「仕方のないこと」の3曲はサウンドモードに収録されているが、サウンドトラックに収録されていない。(間違っていたらご指摘ください)

「ドヴォルザーク「スラブ舞曲第10番」」、「飢餓と宝玉 OP ver.」、「飢餓と宝玉 inst.」、「見えない宝」、「ショパン/ピアノ協奏曲第1番第1楽章(抜粋1)」、「ショパン/ピアノ協奏曲第1番第1楽章(抜粋2)」、そして「ショパン/ピアノ協奏曲第1番第1楽章(抜粋3)」の7曲はサウンドトラックでのみ聞くことができる。タランテラがサウンドモードに収録されているのに、スラブ舞曲第10番がサウンドモードで聞けないのは謎である。「見えない宝」はサウンドモードに収録されていないが、「見えない宝 piano ver.」はサウンドモードに収録されている。分かるような分からないような……

尚、Steamではサウンドトラックがロスレスではなくmp3であることに対する不評のレビューがついていた。個人的にはそこはそれほど気にしていないが、ロスレスがあった方がいいというのはまぁ、そうだろう。

選択肢の存在意義の謎

本作には選択肢が存在するが、唯の一度しか存在しない。しかも、それによって物語が大きく変わることはなく、存在意義がよく分からない。さらに、唯の一度しか存在しないが故に「次の選択肢へ進む」機能を使用すると、何故か一瞬花のワルツが流れたあと、タイトルに戻ってしまう。

もしおにあまのように、タイトルに戻ってしまうことを防ぐためだけに選択肢を用意したのだとしたら、「次のムービーまでスキップ」などの機能に置き換えることはできなかったのだろうか。ノベルゲームエンジンの実装上の都合で変更が難しかったのだろうか?

その他、細かな気になった点

いくつかのアニメーションは、ノベルゲームエンジンの限界を感じてしまった。また、小さいオブジェクトを表示する場面で大きめのリソース極端に縮小しているためか、ジャギーが気になる場面があった。私が4K環境でプレイしているのが原因かもしれない。

操作面では、ホイールをスクロールでバックログを見ることができるが、オートモード時はバックログに入ることができない点が気になった。

読み返したくなった時、区切り区切りでのオートセーブがないのも地味に困った。

また、ミニゲームは別のアプリケーション扱いとなるため、アプリケーションごとの音量をWindows標準の音量ミキサーで調整しているとミニゲームの際に突然爆音になる。

そして、刹那の見切りは不明だが、シューティングパートはUnity製だった。

体験版は非常に密度が高い本作の、更に重要な部分をギュッと凝縮していくつかのエピソードをカットしたような構成になっている。丁度、テレビ放送で映画の内容がカットされるのによく似ているが、どこが既読でどこが既読でないか分かりづらかった。これについては仕方ないだろう。

クラシックの使い方が異様にうまい

本作はマルコがピアノを演奏するシーンから始まる。そこで流れるのがモシュコフスキーの「タランテラ」である。そして、物語の終盤、ハクアとガルグイユの対決シーンでこの曲は再び流れる。厳かな、そして絶妙な緊張感のあるピアノの旋律はこのシーンに絶妙にマッチしており、ハクアが幼い時にマルコの演奏を聞いていた、という設定ともリンクしている。

ハクアがラヴについて語るシーンではショパンのピアノ協奏曲第一番が流れ、作中ではもっぱらカレンのテーマとして扱われる他、アスタロトとマルコが対峙するシーンでも流れる。これもまた、とても良い。

その他のポップな楽曲も魅力的なので、是非低音の効いたスピーカーやヘッドホンで、大音量で聞いてほしい。(前述のクラシックとはあまり合わないかもしれないが)

お気に入りのキャラ

私のお気に入りのキャラはハクアとエル・スケルトン、そしてドスゴロである。

ドスゴロの、時折マルコの父親として振る舞おうとするところが良い。いかにもギャングらしい所はあまり好きになれないが、きれいな所だけを描かないのはキャラクター造形に説得力を持たせるためには必要なことだろう。

エル・スケルトンはもう、分かりやすく「憎めない悪役」「正々堂々とした武人」そして「善人」として描かれており、苦労人らしきところも含めていいキャラだと思う。アスタロトに従っているのはハクアを心配しているが故だろうか?

そしてハクア。私は色素が薄くてクールなロリが大好物なのでハクアが可愛くて仕方ない。太ももとお腹を撫で回したい。

Don't think. Feel.

本作を彩るキャラクターはみな魅力的だが、その魅力はあまり描かれない。これは前述のレビュー記事でも指摘されている通りで、マルコとアルコを描くことに徹底的にフォーカスしているが故に、その他のキャラクターはあまり掘り下げられない。

ねとらぼの記事では、本作が「5秒で面白い」と思わせるような作品を作ろうとした、と述べられており、それ故に枝葉末節はバッサリカットされたのであろう。そこに一抹の寂しさ、あるいは勿体なさを感じてしまったが、同時にまた、あったらあったで冗長さを感じてしまったのだろうとも思う。

アスタロトはマルコとアルコ、二人の友情を描くための「強大な敵」としての役割を殊更強調されており、二人にフォーカスしているが故にその行動理念こそ提示されど、その背景までは描かれない。アスタロトの目的が単なる銀河の支配であれば納得できるのだが、その目的は支配というよりも破壊である。丁度、ANUBIS ZONE OF THE ENDERSに登場するノウマンによく似ている。それはただ、悪としての舞台装置であることに終始しており、利己的ですらないが故に共感できない。(あるいは、そもそも共感できないようにキャラクター造形がなされている)

ストーリーがやや緻密さに欠ける点、底が浅く感じられる点は残念だが、吹き抜ける一陣の風、冒険活劇としてのあり方に終始しているとも言える。

アスタロトは、最後は自分が蒔いた種によって滅びる。マルコ、ガルグイユ、そして娘であるハクアに行ったことが、巡り巡って3人と、3人を取り巻く人々の間に縁を結ぶ切っ掛けとなり、それ故彼は滅びる。因果応報。それもまた「銀河の摂理」なのかも知れない。

そして、物語の最後、「たとえ記憶が失われようとも縁は失われず、そして二人は再び出会う」。縁は理屈を蹴っ飛ばして、蝶のように運命を導く。それはロジカルではなくフィーリング、そしてパッションである。そこに理屈はいらないのだ。

体験版をプレイして、気に入ったら買ってみてほしい。