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【長編小説】 春雷 4

 ――春先の雨は、切なくやさしい。こんな雨が降る時期になると、いつもなぜだかほんのちょっと、泣きたいような気分になる。
 
 こんな文章が浮かんだあと、ふとある美しい言い回しが咲子の脳裏に浮かんだ。それは温かな情感を帯びて、これから生きていく上での希望にさえなりそうなほど、大切な言葉のように思われた。けれど咲子はそれをすぐに忘れてしまった。
 
 ――男は大きく力強い仕事ができていいなあ。
それに比べて女は毎日毎日、目の前の小さな手仕事の繰り返し……。
 
 昔観た古い映画の冒頭シーンで、こんなような台詞を聞いたことがある気がする。思い出そうとする言葉の代わりに、ふといまの状況とはまったく無関係のその台詞が思い出されてきた。
 確か、灯台守の家族の物語だった。その台詞は本当に映画のなかにあった台詞なのか、咲子の想像の産物なのかは判然としない。けれど、そのニュアンスが咲子の記憶の隅に引っかかり、いつまでも消えず残っていて、ときどき何のきっかけもなく思い出されてくるのだった。
 そんな昔の映画の台詞なんかは覚えているくせに、ついいましがた浮かんだ美しい言葉が、あとからどうしても出てこない。咲子は自分の奇妙な思考回路を歯がゆく思った。
 言葉はいつも、ほんの小さなきっかけでするりと咲子の脇をすり抜けてしまう。そしてそれを再び捕らえようとしてもがけばもがくほど、どんどん遠くに行ってしまうような気がする。
 心に浮かぶ言葉をきちんと捕まえたい。そしてもうどこにも逃げないように、しっかりと紙やパソコンの画面の上に書きつけてしまいたい。咲子はそう願う。けれどいつもぬかりなくそれをやり遂げるのは、至難の技だ。
 たいてい言葉は突然胸の真ん中に湧いてきて、特殊な感情を彼女に覚えさせる。けれどほとんどの場合、頭のなかに固定しようとした瞬間に、何かほかの邪魔が入ってしまうのだ。そして言葉が浮かぶのは、たいてい家の用事や仕事をしている最中だというのだから始末が悪い。そのあいだには、紙と鉛筆を用意する余裕も、パソコンを立ち上げる時間もない。しかもそういうときに限ってその言葉は胸に浮かんだときの鮮烈さとは裏腹に、綿雪のようにふわっと溶けて消えてしまう。それだけに、もう二度と取り戻すことはできないほど貴重なもののように思われるのだった。
 咲子は、逃げてしまった猫を探すかのように、懸命にそれを追いかけて見つけ出そうとする。 
 ……何だったっけ、さっき浮かんだ言葉は。
 限定された文字は失われてしまったものの、その情感だけは、余韻としてまだ咲子のなかに残っていた。目を閉じ、それに再び行き合うことはできないかと慎重に気持ちを巡らせる。
 
 春先の雨は、切なくやさしい。こんな雨が降る時期になると、いつもなぜだかほんのちょっと、泣きたいような気分になる。
 この○○気持ちを胸に抱いて、やさしく慰めよう。
 
 そんな感じの文が浮かんだのだった。けれど肝腎の○○のところが出てきやしない。どんなに思い出そうとしてみても、意地悪な何かが通せんぼするように、隠れてしまって出てこない。
 ふう、と、力ない溜息を咲子はつく。その瞳は焦点を失い、いつもの胡乱うろんな物思いに沈んでいく。
 すると薄暗がりのなかから、心優しい女友だちのように、再びそれはふっと浮かび上がる。
「このやる方のない想いを、抱き締め、愛おしみながら生きていこう」
 それではなかったか? 「やる方のない想い」そうだ、それだった。
 
 春先の雨は、切なくやさしい。こんな雨が降る時期になると、いつもなぜだかほんのちょっと、泣きたいような気分になる。
 このやる方のない想いを、抱き締め、愛おしみながら生きていこう。
 
 咲子は早速大急ぎで目の前にあったメモ紙にそれを書きつけた。
 
 ――あるころから、二人の姉妹の母は〝荒野の魔女〟のようになった。それは勿論、あの有名なアニメに登場するキャラクターのことでもあり、またそうでもない、別種の、ひとり荒野を旅する魔女のイメージでもある。魔女は、アニメに登場したキャラクターより数倍も弱り、彼女のように豊満な体の肉が溶けて流れそうになっているわけでもなく、母の場合それは力なく萎縮してしまっている。ちょっとしたことにでも必要以上に怯え、いついかなるときも姉妹の助けを必要とした。
 かと言って、〝魔女〟は終わってはいなかった。ひとり荒野を旅しながら、彼女はふらふらと人生の終着地点を探しているようにも見えた。あるいは不自由な体で、どこへ行けばいいのか行き迷っているのか。そこは一面、味気ない雑草の茂る冷え冷えとした丘陵地だ。山や谷のような大きな起伏もない代わりに、頂に立って太陽の恵みを独り占めすることもできなければ険しい断崖に走る裂け目のあいだに開けたささやかな谷間で水浴びをすることもできない。母はそんな世界をあっちに行ったりこっちに来たりしながら暮らしている。
 そんな風であっても、母はお喋りだった。持って生まれた言語的才能はいまだ健在で、時折もの忘れをしたり、情報を処理するのに以前より時間がかかるようになったとはいえ、母の脳はまだ現役で活躍できるに足る能力を十二分に有しているのだった。真咲の言うように、双子座生まれだから、自分が得た情報をほかの人に伝えずにはいられないといった性質があり、テレビで得たニュースの情報は元より、番組内の再現ドラマなどを見て、そこで起こった出来事を一からしまいまで言い尽くしてしまわなければ気が済まないといったようなところがあった。真咲と咲子はときには辟易しながら、ときには苦行のようだと笑いながら、その母の長い話を拝聴したものだ。お喋りの欲求と食欲だけが、いまの彼女に許された贅沢だとでもいうように。
 苦行。
 その言葉は、実際にまるで魔法のように二人の心に作用していた。お互いその言葉を直接言い合ったことは一度もなかったが、それこそまるでテレパシーのように、ある種の不文律のように、苦行という言葉を真咲と咲子は共有していた。釈迦の心、煩悩の滅却、滅私奉公などといった言葉が大仰に唱えられることなく、けれどたいていの人々の心のなかに存在するのと同じように……。
 
 「お母さんによくしちゃらないけんよ……。いまよくしちゃっちょったら、きっと先にいいことがあるけえ」
 眼科で母が白内障の手術を受けたときに、待ち合いで一緒になった枇杷本びわもとのおばちゃんが言った言葉を、咲子は思い出す。おばちゃんは若いときから目が悪く、もう何十年もこの坂木眼科に通っている。
 本当だろうか。咲子は思う。そして、半信半疑でおばちゃんの話を聞きながら、さも納得したと言わんばかりの、けれど中途半端なうろ、、で相づちを打ち続けていた。
 そういったことは咲子の得意技だった。というより、相手が芯から自分のことを気にかけ、自分の人生経験から得た貴重なヒントを分け与えてくれているのだということが充分心に響いていながらも、それに対して示す反応が少し鈍いのである。咲子は子どものころからそんなところがあった。常に周囲の世界に疑問を抱かずにはいられず、自分自身の考えずくで納得することだけしか信じることができない、恐ろしく不器用な子どもだった。そしてその性質は大人になってからも変わることなく残っている。疑うこと、疑問を持つことは咲子の奥に根付いている消すことのできない本能である。だがそれを常にさらけ出して生きていると、円滑にいくはずのことも上手くいかなくなってしまうことがあるのに気づいたときから、社交の際には相手に気取られぬよう半透明のカバーをかけるようになった。そういう技を、長い年月をかけて咲子は体得していた。
 
 ――脳梗塞を患って以来、体はものすごく不自由になったものの、生活においては皮肉なほど自由、、になった、と、虹子にじこは思う。子育てに忙殺されていたころ、全部ひとりでやっていた掃除、洗濯、食事の支度などの家のなかのことを、二人の娘が代わるがわるやってくれる。というより、やらざるを得ないのだが。
 いまある〝自由〟は虹子の生き残った体のほかの部分の動きが悪くなっていくにつれて、その度合いを増していったように思える。そしてそれによって娘たちの〝自由〟は相対的に減っていっている。そのことによって、彼女らがときどき不幸そうな顔をするのを、虹子は知っている。
 何しろ二人の娘には、幼いころから金銭的な面にせよ家事労働に関する肉体的な面にせよ、一切の苦労はさせず、どちらかというと甘やかして育てた。虹子の父は早くして亡くなったため、家の権威者となっていた母親であるトミの意向もあり、二人の娘には何を置いても一番に勉学に励ませた。幸運なことに、二人とも算数や国語など、学校の勉強はよくできるほうだった。下の娘には書き方や算盤そろばんを教えるのに多少苦労したが、おおむね自分としては文句ない程度に立派な大人に育ってくれたとは思う。
 けれど、そうやって勉学ばかりを推奨され、ほかのたいていの部分は甘やかされて育った娘たちに、いまさら母親を大切にし、不自由になった体で満足いくだけの生活の補助をしてもらう(もらわざるを得ないのだが)のは、簡単なことではなかった。まだ夫が生きていたとき、二人は遠くの街でそれぞれ自立した生活を送っていたはずだった。そのあいだ、社会のなかで多少揉まれたようだったが、夫が倒れて戻ってきたとき、どちらも家族の面倒を見るということにまったく慣れていなかった。特に長女の真咲に到っては、海外にいたとはいえ本当にこれで結婚生活が成り立っていたのかと呆れてしまうほど気が利かず、思いやりというものにも欠けているということを実感させられる瞬間が何度もあった。
 ――子育てには、失敗した――。
 時折、ひとり心のなかでそう呟く。でも、そう言ってみてもせんないことではある。高度経済成長の時代の最中さなか、忙しい薬屋を父親亡きあと夫と二人で切り盛りして、母親はまだ存命であったものの、家のなかのことはほぼ全部自分でやった。自営業の常として、五人の家族のために三度三度の食事をこしらえなければならなかったし、当時のこの田舎では給食などといったものは存在しなかったため、毎朝五時に起きて姉妹のお弁当を作った。掃除、洗濯、炊事は女の仕事と決まっていた時代である。かと言って、夫が配達や卸の会社への用事などで家を空ければ店に薬を買いに来る客の応対もしなければならない。文鳥と金魚と猫をいっぺんに飼っていた時期は、それら動物の世話も全部虹子の仕事だった。子どもに寄り添って密なコミュニケーションを取りながら教育するなどといった余裕は、頭になかった。
 まあ、私の人生がどんなに多忙で慌ただしかったか、考えてもごらんなさい。
 虹子は心のなかで呟く。それなのに想像力に欠ける二人の娘たちは、それぞれ自分だけが心に抱え持っている思い出について母が共通認識を持たないことを、人非人のように攻め立ててくる。そんなときは、泣きそうな気持ちにもなるけれど、八十近い齢を迎えた者の持つ知恵で、鉄面皮を決め込むことにしている。
 ――せんねえことよ。
 今日も虹子は心のなかで呟き、そして考えを巡らせる。自分がこんな体になってしまった理由、娘たちがこんな風に育ってしまった理由、そして今日二人ともが揃って同じ屋根の下に住み、いつも自分の側にいてくれるという、この時代においては僥倖ぎょうこうとも言えるような稀な境遇について。
 浦の誰もが口を揃えて言う。虹ちゃんは幸せやわ……。
 幸せなのだろうか。こんな体になって。けれどこんな体になったからこそ、娘たちが二人とも一緒にいて面倒を見てくれるという恵まれた環境で暮らしているというのは事実だ。
 時折、不幸と幸運が、自分のなかでマーブル模様を描いて溶け合っているのが見えるような気がすることがある。それは色んなものが複雑に入り乱れてもはや原型を留めず、細い線となっていつまでもぐるぐる回っている、奇っ怪な代物だ。それはいつでも虹子を幸せでも不幸でもない、何とは断じがたい不可解な気持ちにさせる。そして八十も近くなって思考力が弱ってきているのか、それを腑に落ちるほど明確に整理するなどということは、到底できないように思える。
 いつか、このマーブル模様が綺麗に溶け合い切って、均一な色になるときが来るのだろうか。そのときそれは、どんな色をしているのだろう? 虹子は想像してみる。
 ――けれど、いくら頑張ってみても、どんな色になるのか、皆目見当もつかない。
 せんねえことよ。
 この言葉だけがいま、虹子に言えるすべてなのである。

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