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【短編小説】ボストンバッグ・エスケープ

こんにちは、深見です。
冬の電車は、足元が暖かいのが良いですね。


ボストンバッグ・エスケープ


 足元には渋い色をしたボストンバッグがある。
 渋い色というのは私の主観であって、でも私はこの色の名前を知らないので、主観的言語で表現するほか手立てがない。茶色じゃないし、灰色でもないし、黄土色でもないし。とにかくそういう色のボストンバッグが、私の足元に、ある。私の全財産が入っている。

 そう大きくもないバッグの中に、ちんまりと収まってしまう私の人生。そういう生き方をしてきたのなら誇れるのかも知れないけれど、私は結果としてこれくらいになってしまっただけ。もう少したくさん持ちたかった。せめて海外旅行用のキャリーバッグぶんくらいは。

 逃避行よ、つまり。

 向かいのシートに座っている女子高生に、無言で囁きかけてみる。彼女の耳にはイヤホンが刺さっていて、そのイヤホンはどこにも繋がっていない。初めは理解不能なオシャレか、奇妙な流行りなのかと思ったけれど、最近知ったところによると、どうやらワイヤレスイヤホンというものらしい。コードなんてなくても良いのだ。

 目には見えない繋がりね、つまり。

 不可視のもので、私も繋がっている。たぶんどこかの誰かと、ワイファイだかナントカトゥースだかを飛ばし合っている。
 ただ今は、交信先が分からないだけ。分からないだけで、繋がっているはずだ。だから私は、そこへ行く。渋い色のボストンバッグを持って、ローカル線に揺られて。

 逃避行。彼女みたいな若い子だったら、映画か小説の題材になりそうね。それか、私みたいなオバサンでも、もっとドラマがあれば。
 例えば、悪い奴に追われてるとか。それか逆に、悪いことをして逃げているとか。逃げて、どこかに行く。だから逃避行。どこにも行かない場合、ただの逃避。

 渋い色のボストンバッグに、私の人生が詰まっている。嘘。詰まっていない。端っこの方によれて固まっている。斜めにしちゃったお弁当箱の中身みたい。ぐちゃ。潰れて。私の人生。
 不可視の絆なんてものはない。ケーブルはどこにも繋がっていないし、私とどこかの誰かの間にワイファイなんて飛んでいない。行くあてもない。何から逃げているかも分からない。

 でも、逃避行なんだから、どこかへ行かなきゃね。
 ローカル線でどこまで行こう。どんな電波も届かない場所がいい。


おわり

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