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トラぺジウム観たら絶対に小説を読んでくれ(感想、ネタバレ込み)


彗星の如く現れたスターの原石、アイドルVTUBERの星街すいせいです!!

今回この映画の主題歌を担当している星街すいせいのいつもの挨拶である。彗星のようにスターは得てして輝くものである。映画を見終わった後、なんとなくこの挨拶を思い出していた。

話を戻してなぜこの映画を見るに至ったのか、少し退屈だろうがお付き合い願いたい。
5月14日、いつもの如く大学に行くと人がいない。まさか・・・と思うと今日は休講。しまった、と思いながらすることもなくコメダでコーヒーを飲んでいるとふと星街が主題歌を担当している映画の存在を思い出した。時間はあった。やらなければいけない課題のことはいったん忘れてとりあえず見てみるか、ぐらいの軽いノリでコーヒーを飲み干し見に行った。(そのあとにとんでもない衝撃を受けることになるのだが・・・)
カフェインによる利尿作用にビビりつつチケットを購入。この時は事前情報ほぼなしで行ったのでアイマスみたいなライトなアイドルアニメを想像していた。席について映画が始まる。この時は星街の歌だけを楽しみにしていた。ただ一つ、Xで主人公の行動原理がわからないという意見だけ見かけていたのでそこだけ注意してみようと思ってた。

あらすじをざっくりと説明するとアイドルになりたい女子高生、東ゆうが「SNSはやらない」「彼氏は作らない」「学校では目立たない」、そして「東西南北の美少女を仲間にする」という4箇条を前提に知略を用いて多くの人間を巻き込みながらアイドルへの道を駆け上がっていくが…?という物語である。
これだけ聞けばまぁフツーのアイドルものである。だが今作がただのアイドルものとは明らかに違う点が存在する。

言い方は悪いが主人公がロクデナシなのである。

これを受け入れられない人はぜっったいに合わない。
なぜならこれはアイドル作品ではないからである。夢に対してもがき、苦しみ、あがく等身大の少女への成長物語なのである。
あまりの初見の強烈さにトイレ行くのも忘れてしばらく見終わった後も放心状態だった。
その後ふらふらと売店に行ってパンフを買い、またその足で紀伊國屋行って小説を買った。
計3200円の出費である。(なお2回目もみたので4700になった。)

①映画の中での東ゆう


東ゆうはとにかく作中通してずっと行動原理が一貫している。アイドルになりたいのである。これだけが彼女の目標であり夢である。そのために西南北のアイドル候補を探し、またボランティアの山登りや城の紹介を通して芸能界の足掛かりを作っていく。それらすべて計算ずくであり、また彼女目線で物語は進んでいき、彼女の中ではこれらはすべて必要な努力として考えている。
だがこれを映画では第三者視点で展開される。小説版とは違い東の感情はほとんど描写されない。その結果どうなるのか。

怖いのである

例えば南と西、華鳥とくるみを仲間に引き入れた時に嘘をついている。友達を探している、ロボット工学に興味があると話に嘘をつきながら距離を深めるムーブはかなり何やってんだコイツ・・・となる。
その後も山登りボランティアで4人で一緒にボランティアしている写真を撮れずに露骨に拗ねる、文化祭でステージに興味をもたせようとしてバンドの演奏にさそっても来ないことに明らか不機嫌になるなど自分の計画に支障がでるととにかく機嫌が悪くなる。
これが巷では異常者、クレイジーサイコなどと呼ばれる所以である。人を人とも思わないなんて言われている。
さらに立ち回りはド下手くそである。くるみが壊れかけるのにも(寝てて)気づかず壊れた後も仕事のために言い聞かせると言い始める、ライブで自分以外が口パクすることに切れる、彼氏がいた美嘉にとんでもない罵声を浴びせる(まあ彼氏いたのが悪い)などとにかくアイドルになることにしか興味がないのでメンバーのケアとかしないのである。
というかこれは映画でも原作でも共通で東には根本的に共感力が足りないのである。自分の中ではかわいい女の子の中にアイドルになりたくない女の子はいないというある種脅迫めいた観念をもっているので周りが見えていない。みんなアイドルになりたいものだと思い込んでいるのである。
これは小説で山登りをしている際に「裏切り者」といわれたことにガチでグループの亀裂だとおもって一人でビビるぐらいにはKYである。
(ここ恋人がいるっていいものなの?って東が聞いたときに美嘉ができたらわかるよって答えたの、アイドルの押し付けの意趣がえしっていう投稿みてなるほどと思った。)

原作だとここ最低の一言で終わるのだが最強罵倒のオンパレードの上に南西コンビの反応が追加されている。エグイ。
かなりの行動が打算で行われている描写がありその上関係が切れた人間からはすぐに距離を置き始めるのも株下がりポイント。とにかく悪い描写には事欠かない。
俺も最初は軽く引きながら映画を観ていた。だが話が進むにつれてなぜか嫌いになれなくなっていく。それは

東はアイドルというものには誠実だから

である。
最初に見方が変わったのはここ

東がいやいや車いすの少女、サチの文化祭見学についって行ってるときにコスプレして写真撮るくだりがあるのだがそこで東はサチからアイドルの衣装を渡される。実際はサチの足が義足のため足元が出る服は着たくないという理由だが東はアイドルの服を着ることになる。
まあ文化祭のコスプレなのであんまり出来のいいものではない。だが衣装を着た東を見たサチはこう言うのである。
ほんもののアイドルみたいだと。
そしてそのことばを聞いた東はこう言うのである。
もし私が本物の本物になったらうれしい?
うん!
そっか。
そしてこう続くのである。

なるよ、絶対。

確かこう言った。(だいたい似たニュアンスのはず)
正直超しびれた。ここまでただのク〇野郎みたいに描写されていた東が初めてのぞかせた「アイドル」としての一面だったように思える。
詳しいことはまたこのあとに書くが東には最初からアイドルの素質があった、というのがこの話のオチなのだがこのシーンにその片鱗が見て取れる。
サチからすればこの時光って見えたのである。
次に東西南北解散後アニオリの電車が来るのを待つ間に古賀というディレクターから電話が来るシーンがある。この時東はせっかく掴んだアイドルへの道を断たれて絶望、学校でも散々な扱いを受けた後に番組で歌った曲のアルバムが出たという連絡が来るくだりがある。
この時の東はかなり絶望の淵に立っていたしもうどうしようもないのだが電話で連絡を受けた時
「今までありがとうございました」というのを唇を噛み締めながらいうのである。マジで良い(小並感)。人に当たったり冷たくしたりするのではなく最後まできっかけをくれた人への礼儀を貫き通すのである。
また東というキャラの解像度が上がるシーンがある。
それはシンジに「なんでオーディション受けないの?」と言われたシーンにある。
ここでシンジについて軽く説明すると西高専の制服好きカメラマンである。(原作だと東に連絡先渡されたのに対し映画だとシンジの方からラインを聞いてきたりと何故かキモメン的な描かれ方をしている。なぜ)
シンジというキャラクターは基本的に我々視聴者目線、要するに観測者的な立ち位置のキャラクターなのである。(それぞれのキャラクターを星としている今作において自分で星が好きって言っているシーンなどからも推察できる
あと恐ろしいほど東の言動を肯定も否定もしない)
ここまでの視聴者全員が思ってること、冒頭でも述べた通り


何故こんな回りくどい手を使ってアイドルになりたいという執念を持っているのか

という点である。ここがこの話で一番わかりにくい点でありいちばんのキモである。
ここがわからないというのがかなり感想で見る。実際意識しないとモヤモヤしたまま映画を見終わることになる。
ここの部分の考察は映画でも原作でもある一文によって考えることができる。
それは

だってオーディション全部落ちたなんて恥ずかしくて言えないじゃん

どう考えてもここである。さらにここの考察を深めるエピソードが原作には存在する。
それはカナダに住んでいた時のエピソードである。
移住して間もない頃にレモネード買いに行って辿々しい英語しか喋れずに相手にしてもらえなくて悔しい思いをしたというものである。
東はどのタイミングかわからないが英検準一級を取得している。(羨ましい)
確か小4から中2までカナダにいたはずなのでその期間に英語のレベルをここまで上げているわけである。
単純に負けず嫌いなのである。
これはアイドルを目指す過程の中で表れていて実際にオーディションは落ちている描写が追加されて(opにしれっと)入っておりそれでもアイドルになりたい、だからこんな無茶な計画を通す、言うなれば純粋な狂気である。いや純粋な狂気というのも少し違う。言うなれば超独善主義である。
東がこうなったら理由の一端にほかにもたまたま蘭子が上手く行ったからと言うのもあると考えられる。
元から東西南北から一人ずつ可愛い子集めてアイドルデビューするなんてかなり無茶苦茶な話である。
多分東も最初は半ばヤケクソだったが南、西と上手く行ってしまったせいでもう引けなくなってしまった、と言うのも理由と考えられる。


②トラペジウムの構造

この物語をハマるハマらないの前にしっかり理解する為に必要なのは物語の構造を把握することである。
この物語をただ観てるだけだとわからない点、東の行動原理以外にもう一つ、最後なぜ展望台に集まってその上和解できたのかである。
初見時、俺は(なんで東は夢グチャグチャになったのに他3人のこと許せてるんだろう…)と割とおかしい疑問を持っていたのだが初期感想見てるとなんで西北南の3人が東を許せてるんだろうみたいな感想はかなり見かけた。
この答えをわかりやすくいうと

友達だったからである。

いやいやいやと。あんだけ自分勝手に他3人のこと巻き込んで友達だというのは烏滸がましすぎないかと。ここがこの物語の一番のキモである。
確かに東は割と自分のアイドルになるという目的のため、他の3人を巻き込みメチャクチャしている。だかは東本人が偽善と思う行為(ロボコンの手伝い等)もしていた。
ここがポイントで東が偽善だと思っていても他3人が善だと(おそらく)思っていたということが重要である。例えば上で挙げたロボコン、あの蘭子の家で3人でロボットの試作していた描写はあそこ実はアニオリなのである。あの場面蘭子と東は一緒の毛布くるまったり3人で花火している。普通に楽しそう。
この時東が仲良くしようとしていたくるみというキャラクターは基本的に他の人に心を開かない描写がなされている。そのためまともな友人関係が作れていなかった。それでも二人が最初に話せたのはシンジのおかげな訳だけどくるみからしてみると出会ってすぐの自分のロボコンの手伝いをしてくれる仲間が現れたのである。そりゃ懐くわと。
蘭子も部活内で浮いてる雰囲気が出ていたし美嘉に至っては東のガチファンのため全員東のことは好きなのである。
くるみは最終盤に東がアイドルなりたがってたのに気づいてたと言うシーンからもわかる通りくるみは人前に出るのが苦手ながらもとりあえず東のために芸能界に足を踏み入れたのである。もう好きじゃん。
東はおそらく全員の好意は最初から気づいていた可能性がある。ここで重要な概念になるのが東の癖、うなじタッチである。
初見だと気づかなかったが東はかなり色々なタイミングで首の後ろをを抑えている。南と西の勧誘、城ボランティア、スタジオ収録前、よくみるとちょくちょく抑えておりこの行為も当然意味のあるものとなっている。
最初は緊張か?と考えていたが2回目観た時に気づいたことがある。「偽善的な東ゆう」を取り繕うタイミングで抑えているのである。
意識的に東は一人(もしくはシンジと一緒に居る)時と外面を分けている。分けることで上手く素の自分を取り繕うとしていたのである。
(ただ東はくるみにアイドルになりたいことがバレてたなど上に書いた通りかなり立ち回りが下手くそである。)
ならなぜ取り繕っていたのか、それは最初から3人にうっすら申し訳ないと思っていたからである。(ここから少しオタクの誇大妄想)
東は自分がカスなことに最終的に自覚的になる。ただおそらくこの前からうっすら気づいていた、だからロボコンやボランティアを一応表面上しっかり行うわけである。
東は自分がアイドルになることが至上命題なので自分のカスな部分を罪として自覚していたからこそ最後まで東というキャラクターをやり通そうとしていたのである。
話を戻すと最後全員で展望台に集まった時、友達だから和解できたというのにもこれらの話を踏まえると説得力が出てくる。
アイドルとして全員で同じ方向を向いて夢に向かって行くことは出来なかったがくるみは友達、蘭子は新しい夢、美嘉は東との再会というかけがえの無い夢を手にいれ、その過程のアイドル活動も必要なものだったと受け入れられられたからこそ東の良いところも悪いところも全部ひっくるめて受け入れて和解できたのである。(だからタイトルがトラペジウムなんだよね)
東は最初から3人のアイドルに足り得ていたのである。
また東サイドはこの場面なぜ和解できたかというと3人の好意、その上自分のカスさに初めて向き合えたからである。この前からずっと東一人の反省タイムは続いていたのだが結局3人がアイドル活動を成長に必要なものとして受け入れてることがわかった後こんなことを言うのである。
「私往生際悪いからまだ夢諦められないんだ…」と。
ここでのポイントは東は別に生き方を変えたわけでは無いと言うことではある。
実際8年後アイドルになった時ボランティア活動で人を助けられるのは嬉しかったとかぬかしている。
東は生き方を変えずに自分のカスの部分に自覚的になることができた、という成長をしている。
そして自分の偽善で生まれた好意に向き合うことができた。
失敗して初めて周り、そして自分というものに自覚的になれた、だから和解できたのである。
ここかまわからないとただ最後急に集まってなんとなく仲直りしてるだけになる。
(おそらく他三人で集まるのは美嘉が計画したことである。それはラジオに手紙を出したサチと一緒にラジオ聴いていたからである。)

③オチ

最後はこの物語は8年後に四人が集まってシンジの写真展を見に行きそこで文化祭の写真を見るところで終わる。
映画だと「この時の私は今の自分よりも幼稚で、馬鹿でかっこ悪くて、格好よかった。(中略)当時の私に向けて言いたい。ありがとうと。」
こう言って終わる。
東にとってはこの時に仲間と出会い、また自分に向き合えたからこそ今アイドルとして大成できた、という終わり方である。まさにトラペジウムという作品を表すセリフである。
初見時綺麗な終わり方だなぁと思ったのだが原作だと少し違う。
原作だと最後にシンジが出てきて
「東さんは最初から輝いていたよ」と言うのである。ここ初めて読んだ時超びっくりした。
東が最初からアイドルの素質があった、というのを最後ここで表てるからこっちの方が超綺麗だし実際こっちの方が好きである。
ただ映画だと最後東のモノローグで終わるからこっちの方が収まりがいいのはわかる。もったいない…


④ちょい文句

個人的には神作なのだが一つだけ文句を言うとするならワンクールアニメでやってほしかった…
映画化するにあたって東の感情描写を映像に頼って文は全カットしてるためイマイチ何考えてたのかわかりにくくなっている。そのため初見だと他の人全員ただの駒として見てるサイコパス女だと思われるのも無理はない。
ただ1クールアニメだと最初のテネリタスの看板蹴ったタイミングで大半の人が見るのやめそう。難しい…


⑤あとがき

なんでこの映画ハマったかゆっくり考えてみると単純に夢に狂える東が羨ましかったからだと思う。
大学受験も終わって今とりたててやりたいこともなくなんとなく生きていたので目標があってそれに一心不乱に動き続ける東が素直にすごいと思えたからだろうか。
後書いてる途中に3回ぐらい書くの諦めかけた。
観て書こうと思ったのはいいものの大学自体が忙しくてしばらく書けなくてイマイチどんなこと書きたかったから忘れかけてたんですよね…だからもう一度見ました

ステッカー、勿体無くて貼れない


この時ずっと愉悦しながら観てたから他の人からみるとなんだコイツ状態だったかもしれない
でも東の感情を把握した上でみると超おもろいんよな…
あとこれ書いてる途中に東サイコパス説いつのまにか廃れててちゃんと考察する人が増えたからそんなに意味無くなったんですよね。
他の人の考察がしっかりしすぎて俺のは大したことなく見える(実際そう)
あと何人かの知り合いにnote書くって宣言しちゃったから書くのやめきれなかったんですよね
最後こんな雑になってスマソ…書きたいことの半分ぐらいしか書けなかったきがする…
とりあえずトラペジウム観た人も観てない人もみんな見よう!何か思ったことあったらなんでも話できるから!というか話してぇ!
トラペジウムはハマるかハマらないかの別れ方は凄いだろうけどどちらにしても意味のある映画なとこは間違いないので観よう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
またそれでは…




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