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第一回阿賀北ロマン賞受賞作②小説部門・高校生の部 『星たちのカリオン』西村優輝

 この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は西村優輝さんが執筆された第1回阿賀北ロマン賞小説部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

 小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『星たちのカリオン』西村優輝

 月岡の田園を行く。日は落ちかけ、蒸し暑さが漂っている。工場の帰り、私は久しぶりに教会に寄ることにした。教会といっても、蔵を改装した小さなもの。さながら、キリストが生まれた馬小屋のようだ。教会は、年老いた木々に囲まれ、その周辺には田んぼが広がっている。神父の中山さんの屋敷以外、そばに民家はない。
 夕日を背に受け、教会を目指す。こんもりとした林が見えた。かすかにピアノの音が聴こえる。私は駆け出した。門をくぐると、ちょうど中山さんが、教会の玄関に打ち水をしているところだった。
「お久しぶりです。中山さん」
「やあ、哲秀君。久しぶりですね」
「お体はいかがですか?」
「ああ、ありがとう。大丈夫ですよ。今日は早かったのですか?」
「はい。警報が多かったので、早上がりです」
「そうですか…良かったらあがっていきなさい。宏明君も来ている」
「お邪魔します」
 教会に入る。六脚の長椅子、鈍く輝く十字架。そして、一台の古いピアノ。そのピアノを、宏明が弾いている。扉を閉める音に気付いて、宏明がこちらを向いた。
「テッチャン!」
「よ!」
「どうしたんだよ、最近」
「工場が忙しくてさ。ヒロんとこは?」
「僕んとこはそうでもない。いっつも早上がり」
「いいなあ」
「お陰で、たくさんピアノ弾けるんだ」
「今何やってるんだ?」
「ん?別に」
「なんだよ、教えろよ」
 お茶を持って来た中山さんが教えてくれた。
「宏明君は今、曲を作っているんです」
 宏明の耳が真っ赤になった。
「ああ!テッチャンには内緒だったのに!」
 中山さんと私は笑った。宏明はまだむくれている。
「どんなのが出来たんだ?」
「まだ出来てないよ」
「途中でも良いから。聴かせて!」
「じゃあ…少しだけ…」
 宏明は小さくため息をついたが、次の瞬間、教会の隅々に音が充満し、身体中の水分が振動した。しかしけっして乱暴ではない、一滴の雫のような音。ステンドグラスを抜けた西日が、彼とピアノを虹色に染めた。
「とりあえず、ここまでだけど…」
 私と中山さんは、心からの拍手をした。宏明はまた耳を赤くした。
「まだ途中だし、気に入ってないところもあるんだ」
「それでもすごいよ!きっと良い曲ができるよ」
 宏明は照れくさそうに笑った。
「僕、いろんな曲弾いてるうちに、どうしたらこんな曲が書けるのかなって思ってさ。誰かの心にのこる曲が書けたら素敵だなあ、なんてね。結局、自分が楽しくてやってるだけなんだけど…」
 中山さんが、お茶を飲みながら言った。
「宏明君がそう思っているのなら、素敵な曲が作れますよ。技術が簡単、難しいではなく、宏明君の心のたくさんつまった曲が」
 そう言って、中山さんは微笑んだ。
 お茶を飲み終え、教会を出ると、蒼と赤の交わる空に一番星が輝いていた。分かれ道まで、私と宏明は語り合った。
「また来いよ、僕夕方はたいてい教会にいるから」
「ああ、そしたら曲聴かせてくれよ」
「そんなすぐ出来るものじゃないよ」
「いつでもいいさ。気長に待ってるよ」
 蛙の声。一番星は、蜉と燃えていた。
*  *  *
 宏明と知り合ったのは、小学校の時だった。宏明は私と違い、活発で明るい少年だったが、歌の授業が好きだったこともあって意気投合し、一緒に遊ぶようになった。
 ある日、宏明がピアノを習うようになった。宏明に誘われ私も習うことにしたが、それが中山さんとの出会いだった。初めは、キリスト教の神父だと聞いて驚いたが、素朴でゆったりとした人柄に、私たちは引き込まれていった。心臓が弱いらしく、無理は出来ない身体だったが、いつも私たちを熱心に指導してくれた。
 私も宏明も、キリスト教の信者ではなかったが、そんなことは関係なかった。中山さんの音楽が好きだった。三人で音楽を通して心を通わせること、それが幸せだった。
 しかし、戦争が激しさを増すにつれて、私たちは工場に借り出されることが多くなった。それでも時間があれば、三人で音楽に触れた。義務ではなく、身体にしみた習慣のように。
 それは突然だった。数日後、また教会に寄った。久しぶりのレッスン。指が動かず、宏明に笑われた。今まで、蜉と繰り返された光景だった。レッスン後、談笑していた時だった。
「そういやヒロ、曲は出来たのか?」
「まだまだ」
「ああ、早く聴きたいなあ」
 その時、中山さんが微笑んで言った。
「大丈夫。時間がかかっても、生きていれば、その時までの君を、曲にすることが出来ます」
 私たちは黙った。中山さんは遠くを見つめた。
「…私は…死ななくてはなりません」
「え…」
「…召集令状が来たのです」
「そんな!中山さんは、心臓が…どうして」
「これで良いのです。これで私の分の飯が子供たちに与えられ、少しでも早く工場から開放されるよう手助けが出来るのなら」
「僕たちが良くありません!」
「俺たち、まだ教わることがたくさんあります!」
「中山さん!もっと音楽を教えてください!」
「中山さん!」
 もう声にならなかった。少年二人が、わんわんと声をあげて泣いた。中山さんは私たちを抱きしめた。
「…君たちに教えることは、もうありませんよ。君たちは音楽を愛している。それで十分なのです。ただ、約束してください」
 中山さんの目が、光った。
「生き続けなさい。老いて死ぬまで」
 教会に、光が満ちた。
「生きて、またいつかこのピアノで、君たちの音楽を…」
 中山さんは、もう一度私たちを抱きしめた。西日が、私たちを虹色に染めた。
*  *  *
 教会は二人だけになった。私は作業が長引くことが多く、宏明が一人ピアノを弾いていることも多かった。そのうち、宏明の通う工場も忙しくなり始めた。残暑が和らぎ、涼しい夜が続くようになった。
 赤とんぼの飛び交う田園を、私は駆けた。向こうから駆けてくる人影は、宏明であった。二人はそのまま、教会まで駆けた。息が切れるのにも構わず、ピアノに向かう。久しぶりの連弾。二人の泥だらけの指が、鍵盤を汚した。ステンドグラスが輝きを失うまで、ずっと弾き続けた。
 教会を出ると、鈴虫の声が響いていた。
「…中山さん、元気かな」
「…大丈夫。きっと…」
「…テッチャン」
「ん?」
「裏山行かない?」
「いいけど…あんまり遅くなるとヒロ怒られるんじゃないか?」
「平気だよ」
田園の向こうにある小高い丘。私たちはそこを、裏山と呼んでいる。私たちの、大切な隠れ家だ。頂上にある一番高い木に登り、私たちは空を見上げた。
 漆黒に浮かぶ、阿賀北の星たち。その勇壮で、慈愛に満ちた静寂さは、きっと人間が一生かかっても手に入れられないものに思われた。
「…きれいだね…」
「…うん…」
「…テッチャン…」
「ん?」
「僕…この星空みたいな曲を作る」
 宏明の目に、光が映る。
「あんなにたくさんの星たちが、黒いキャンバスに散りばめられている。でも何一つとして余分な星なんかない。蜉い星も、闇に蜉まれた星も、無駄なものなんてなくて、静かだ」
 私たちは、光に包まれた。
「いつになるか分からない。一生出来ないかもしれない。でもやってみたい。あんな曲を書いてみたい」
 宏明は私を見つめた。
「もし曲が出来たら、一番にテッチャンに弾いて欲しい。僕たちの…中山さんのピアノで弾いて欲しい」
「…わかった」
「…いいの?」
「もちろんだ、ヒロ」
「…ありがとう」
 あの時の青白く輝くヒロの顔、今でも忘れることはない。
*  *  *
 寒さが身にしみる頃だった。私の父の楽器店が潰れた。潰されたというべきか、時世にそぐわないという達しが重なった結果だった。私たち一家は、父方の親類を頼って、東京に移り住むことになった。私はわずかな合間をぬって、教会に走った。宏明には別れを言いたかった。
 宏明は絶句した。だが、すぐに気を取り戻すと、いつ発つのだと聞いた。明後日の昼だと答えると、宏明は口の中で私の言葉を繰り返した後、わかったと言った。私たちは泣かなかった。
 故郷を発つ日は、慌しくやってきた。月岡駅は静かだった。木枯らしが吹き抜ける。私たち一家は疲れ果て、考える余裕はなかった。汽車が蜉とともにやって来た。その時だった。
「テッチャン!」
 振り向くとそこには、肩で息をし、膝を擦りむいた宏明が立っていた。
「テッチャン…これ」
 宏明は、胸に抱いたノートを私に差し出した。
「本当は、もっと年をとってから書きたかったけど…」
 私はノートを開いた。
「今の僕の、精一杯の曲だよ」
 宏明の曲。
「…ヒロ…ありがとう」
 父の呼ぶ声がした。もう行かなくては。蜉ぶような汽笛を合図に、汽車は動き始めた。
「聴かせてね!あのピアノで、また三人で!」
 小さくなる宏明に、私は窓から身を乗り出し、手を振っていた。頬の冷たさは、風のせいだけではなかった。 汽車は田園を行く。またいつか、虹色に染まった西日に照らされることを想い、私はノートを抱いた。鐘の蜉が、遠く響いている。

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