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陰の書 ネコミミ村まつり サブ会場


過激な表現・不快な表現があります


いんの書    【3509字】


夜は私の棲家。
日中はゆりかごに揺られている。

新月の昨夜、奇妙な事件が起きた。ほぼ10m間隔で3つの死体が転がっていた。それらはどれも見事なやり口だった。
最初の遺体、数え方によってはこれが最後という向きもあるだろうが、私はこれが最初と見た。なぜなら、その30mほど先に、立派なカテドラルを備える教会があるからだ。
この遺体は首を斬られていた。本人は何も気づかなかっただろう。ある意味突然訪れた幸福な死。切り口はうつくしく、食道、気管、血管の細部に至るまで、何一つ組織の潰れは見られなかった。
次の遺体は右腕、右脚を含む身体の右側が切り落とされていた。これは苦痛を伴っただろう。とはいえほんの数秒。
そして最後は身体の左側だった。
3体とも元あったところに切り落とされた部位が置かれていた。これは切断後、誰かの手によって置かれたものと想像できる。おそらくは犯人その人だろう。ただ過信は禁物だ。
警察が到着するまでの間に私はこれらを検分する機会を得た。これも何かの恵みといっていいかもしれない。
この事件に常識しか持ち合わせていない警察は手を焼くだろう。
おそらく何かの儀式、もしくは報復のように見える。

古来より伝わる資料をあたってみると、同じような事件が100年ごとに起きていることがわかった。
最初は1824年のロンドン。この年は東南アジアに勢力を広げていたイギリスとオランダが予め植民地とする地域を決めておこうという英蘭協約が結ばれた年だった。おわかりのように、イギリスが世界の覇権を手にしていた時代。そのロンドンの外れで一人の商人が殺された。
新月の夜、背後から首を斬り落とされたとあるが、それ以上の情報はない。

第二の事件は1924年のアメリカ。第一次大戦終結を経て、アメリカが世界を主導する立場に立った年。アメリカにとっては重要な年だ。そんな時に起きた猟奇的な事件だが、世間の注目を浴びることはなかった。それはこの事件の特殊性による。
ニューヨーク郊外の小さな教会で若い宣教師と15歳の少年が殺された。二人とも腹から上半身、下半身を真っ二つに切られていた。特筆すべきはこの二人の遺体は上下お互いに挿げ替えられていたということだ。今回の事件とはそこが違う。

そして今年、2024年、ここ東京はどういう状況だろう。華やかな話題は全くないと言っていい。政治は荒み、経済は混乱を極めている。ここも上記2つの事件と違うところだ。
過去の2件は未解決のまま。そして今回の事件も・・・。

ではこの一連の事件の背景はなんだろう。今回の事件を考慮すれば、国の状況は考えなくてよさそうだ。
共通点は鋭利な刃物、今回はレーザーだろう。そして体の切断、それと教会だろうか。残念ながらロンドンの事件についての詳細は不明だが、商人が教会と関係があったということは十分に考えられる。今と違って、当時はまだ教会の影響力は大きかった。その街で商いをしようと思えば、まず教会の許可を得るというのは当たり前の慣行だった。
明日には警察の見解も明らかになるだろう。それを踏まえて調査を行えばよい。

しかし翌日の警察発表は歯切れが悪かった。被害者を特定できていないとはどういうことだ。衣服はしっかり身につけていたし、財布も所持していた。それなのにわからないとは。やはり教会の関係者なのか。影響を慮って公表を控えることにしたのか。

まぁいい。犯人の方に目を向けてみよう。これだけの長い間隔スパンでこんな似通った犯罪を犯すとなると結社だろう。個人という線はまずないわけだから。
1924年の事件はおそらく同性愛。当時はそういうことが容認されなかった、忌避すべき、唾棄すべき行為だったことは間違いない。それを教会関係者が行ったことで、結社に粛清の火を付けたと考えれば納得はいく。ただ想像の範囲を出るものではない。
1824年の事件もなにかしらそんなことがあったのかもしれない。
では、それを基に今回の事件を考えたらどうなるだろう。右側と左側、そして頭を落とされた。1924年事件と違って、身元を秘すべき事情のあるこの3人が共に何かの事件の加害者だとすれば、気の毒な被害者がいるはずだ。
それを探し当てれば、この事件はほぼ解決と言っていいだろう。
教会の関係者、若い女性、そして来週の礼拝にやってこない人物。他に条件は何かあるだろうか。大物の子女でないことは必要だろう。親が大物なら犯人も二の足を踏む。

次の日曜日、上の条件に照らしてそれが今年大学生になったばかりの一般家庭の子女ではないかとの予想を立てた。あとは検証が必要になるが、そこはもう曖昧でもいい。私の目的は被害者の救済でも、加害者の告発でもない。ただデータを調えることだからだ。
ではどうして、何故狙われたのか。それは単純な暴行目的だったのか。何かの口封じのためか。怨恨ということは考えにくい。

月曜日、街の明かりが灯って、私は公園のベンチに腰を下ろした。来ぬ人を待つつもりは毛頭ない。
ぼんやりと浮かぶ丸い時計の針が7時を回ったころ、目当ての女性は現れた。
「ちょっとお嬢さん」
女性は慌てた様子を見せた。
「驚かせて申し訳ない。ちょっとお時間をいただきたい。大事な用件です」
「何ですか?私忙しいのですが」
「いえ、野瀬さん、野瀬恭子さん。あなたにこれから用事はありません。どうぞお座りください」
ベンチを指し示したが、女性は動く気配を見せなかった。
「私は公の者でもジャーナリストでもありません。私立探偵でも。どうかお時間を」
「何ですか?ここでお聞きします」
「では。先日の事件のことです。おわかりですね。彼らはあなたの加害者でした。もちろん存じています。あなたが犯人ではないことは」
女性はたじろいだ。
「そ、そんなこと、どこで?」
「言っておきましょう。私にとってそれはネコミミをかじるようなもの」
「帰ります」

私は仕方なく蝙蝠コウモリの姿となって彼女を追った。
「これで信じていただけましたか?」
女性はさらに走った。
「あなたにお答えいただかないと、方々に聞き回ることになる」
私は人の形で再びベンチに腰を下ろした。
舞い戻った女性の肩は震えていた。
「大丈夫。捕って食ったりはしませんよ」
「はい」
「あなたは私に話したら忘れればいい。誰も知ることはありません」
「はい」
「襲われた理由に心当たりは?何でもいい」
「暇つぶしでしょ?代議士の息子とその取り巻きだそうですから」
「どうしてそう思うんですか?」
「自分でそう言ってましたから。何を訴えても無駄だからと」
「あなた、政治的な活動は?支持政党はありますか?」
「ほとんど無関心です。初めての投票には行きましたけど」

立ち上がって座るように勧めると、今度は素直に腰を下ろした。
「隣、失礼しますよ。その取り巻きについてご存知のことは?」
「あの人たち、先月から教会に来るようになって、私も普通に接していました。そんな意図があるなんて知りませんでしたから」
「教会で襲われた?のですね」
「そうです。祭壇の前で」
「取り巻きたちがあなたを両側から捕まえて、首謀者が後ろから?」
「それが違うんです。後ろからされたのは取り巻きの一人です。それからもう一人の取り巻きが次に。あの代議士の息子は何もしませんでした」
「不能者か同性愛か、どちらかということか。しかし図ったのは代議士の息子でしょう」
「はい。それと神父」
「噛んでましたか」
「遠巻きに見ていました。そして自分でその・・・」
「それを誰かに?」
「まさか」
「それで教会に通うのをお辞めになった」
「当然でしょ?あんな下衆なところ」
「もっともです。神父に天罰は必要だと思いますか?」
「いいえ、もう二度と会いたくないだけです」
「もし神父が接触してきたら『神が天の袖で見ていた』とおっしゃってください」

彼女は初めてホッとした表情を見せた。
「このお話は表には出ないですよね」
「もちろんです。私は言わば歴史資料の編纂者です。ただそれだけです」
資料を開いて見せた。
「これらの文字はこの世のものではありません。私たちにしか読めない」
「あなたは蝙蝠?」
「そういう訳ではありません。最後の審判のデータを作っています」
「神のみ使い?」
「そうともいいますか。華やかなものではありません。私どもは陽の光を嫌います。陰を記す者です。陽には陽の係がある」

私は立ち上がった。
「むごい殺され方でした」
「ご存知でしょ?もしあなたの目が欲情を引き起こすなら」
「その目をえぐり出して捨てなさい。*マタイですね」
「彼らはこの社会の欲情の目でした。どうぞ、健やかに」
「あ、あ、私、どうすれば」
「思うようになさい。あなたの名前は天の書に書かれています」
      了


*マタイによる福音書 第5章 29節、30節
ですから、もしあなたの目が情欲を引き起こすなら、その目をえぐり出して捨てなさい。体の一部を失っても、体全体が地獄に投げ込まれるより、よっぽどましです。 また、もしあなたの手が罪を犯させるなら、そんな手は切り捨てなさい。地獄に落ちるより、そのほうがどんなによいでしょう。

新約聖書より


こちらはモスクの画です。イスラムの。
節操がなくてすみません<(_ _)>
あまりにもステキな画だったので


大橋さん
よろしくお願いいたします

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