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山に登る  山根さんの企画


本編 【975字】  *本編中に雪は積もっていません

僕がリュック一つで山に入ったのはお昼過ぎだった。自宅からよく見える標高1,000mにも満たない山。どうして登ろうと思ったのか、自分でもよくわからない。頂上に何かある、そんな気がしただけだ。
本格的な登山の経験がある訳ではないが、観光登山なら何度か参加したことがある。
 
会社とは不条理なもの、社会はそれを容認している。そんなことはわかっている。
やる気に満ちていたころは様々な企画を出した。採用され、実現したものも何件かある。しかしそれはいつの間にか僕のものではなくなっていた。この僅かな逆風に僕の気持ちは急ブレーキをかけられた。僕はいつしか向かってくる逆風に身をまかせ、敢えて流されるようになった。
木々の間から差す光に慰めてほしい。そう思ったのかもしれない。僕は額の汗を拭った。
 
黙々と獣道を辿っていく。剥き出しの山肌が僕の足を拒む。泥土に容赦なく転がされる。それでも弾む息が心地いい。僕はひたすら前へ進んだ。
 
一気に視界は開け、頂上が見えた。僕は一度、二度と屈伸をして、ようやく頂上に達した。
 
眼下に見える僕の街は輝いている。会社もきっとこの輝きの中にあるのだろう。
ある日気が付くと、所属していた営業プロジェクトの販売戦略の失敗の責任を押し付けられていた。僕はそのプロジェクトの末席にいるに過ぎなかったが、その転嫁の仕方は巧妙だった。その手腕をどうして本業に注げないのかと思わずにいられない。
僕は課長と共に部長の前で項垂れ、失策を謝罪するしかなかった。
僕は営業に向いていない。会社に向いていない。社会に向いていない。
しかし、社会とはこんなものだと思ってしまえばなんてことはない。
人が何と言おうが知ったこっちゃない。僕は足を前に出せば頂上に到達できる人間だ。僕はそれを暗々裏に自分自身に証明したかったのかもしれない。
 
僕は下山を始めた。時計は午後3時を指している。
静かに聳える木々の緑は力強い。
僕もこうあればいいんだ。
立ち止まって小鷹を撃ちながら見渡すと、こんなところを通っただろうかという不安が過る。
振り返ると、その拍子に僕の体は岩肌を気が遠くなるほど滑落した。膝がひどく痛む。僕の右脚の膝から下はあらぬ方向を向いていた。
急いで携帯を取り出したが圏外。周囲を見渡しても道はおろか、人工物は何も見えない。
僕はただただ自然の大海の中に浮かんでいた。オワタ。


山根さん
よろしくお願いいたします。


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