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映画『チィファの手紙』感想 影の中に射す光の想い出


 『ラストレター』よりも、岩井俊二作品ロマンが薄いので観やすかったです。映画『チィファの手紙』感想です。


 姉のチィナンが亡くなった後、妹のチィファ(ジョウ・シュン)はそれを伝えに姉の同窓会に向かうが、姉と勘違いされて、そのまま言い出せなくなってしまう。初恋の相手、チャン(チン・ハオ)とも再会するが、亡くなった事実を言えず、チャンのチィナンへの想いを知りながら、姉のふりをしたまま手紙を送り続ける。一方、チャンが送った手紙はチィナンの実家へと届き、チィナンの娘であるムームー(ダン・アンシー)とチィファの娘であるサーラン(チャン・ツィフォン)の手に渡り、二人も悪戯心から、チィナンの振りをして返事を書く。その手紙のやりとりから、学生時代のチャン、チィナン、チィファの思い出が浮かび上がる…という物語。

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 岩井俊二監督による初の中国映画で、こちらで感想書きもしました『ラストレター』の中国版になりますが、『チィファの手紙』の方が先に撮影、本国で劇場公開されていたそうなので、映画作品としてはこちらが原型といえます。

 あらすじ的には、若干設定の違いはあるものの、ほぼ『ラストレター』と同じ内容になってはいるんですけど、印象は結構な別物になっているように感じられました。
 まず、『ラストレター』は夏の時期の物語なので、すごく画面の陽射しがキラキラとして明るいんですよね。けれど、今作では冬の時期に設定になっていて、天候も曇り空が多く、若干の暗さを持ちつつ、そこに少しだけ差し込む光が、際立っているように感じられます。

 『ラストレター』が光を全面に使うのに対して、『チィファの手紙』では影を中心に使用しているように思えました。日本版の方は少しコメディ色が強かった印象でしたが、中国版は総じて、暗くシリアスな印象です。ジャン(フー・ゴー)にチィナンの顛末を伝えて、チャンの心がどす黒く染まる場面、表情が影で暗く見えなくする演出が、古い漫画っぽくて凄く好きでした。

 この暗さで、一番象徴的なのがジャンというキャラクターですよね。日本版では豊川悦司が演じたキャラで、トヨエツの方はあまりバックグラウンドが掘られず、どういう人物かが語られないままだったので、影の部分の象徴というキャラでした。今作でのジャンは、教育を受けたくとも受けられなくて、居場所を見失い、作り出すことも出来ず、壊すことを選んでしまった人間なんですね。はっきりと輪郭のある人物として描かれていました。貧困格差によって生み出されたという背景も、中国が舞台になることで、説得力のあるものになっていますね。
 日本版ではこのエピソードが浮いているように感じられたんですけど、中国版ではしっかりと必要なものとして感じられました。クライマックスで読まれる卒業スピーチの「未来に無限の可能性」という言葉は、それを閉ざされた人、あるいは閉ざしてしまう人もいるという現実を感じさせるものになって、ただの優等生の言葉ではない刺さり方に変わっていました。

 それと、もう一点、重要な設定の違いとして、妹家族の弟だった少年が、姉家族の弟になっているんですよね。日本版は物語の外側にいるキャラだったのが、母親を亡くした当事者となり、その哀しみを癒すグリーフケアの役割を、叔母であるチィファがするというエピソードが用意されています。
 『ラストレター』では中盤以降、物語が姉の話に変化していたのに対して、このエピソードがあることで、妹が物語の中心部分にしっかりと存在しているんですよね。こちらの方が、物語に一貫性が出て、死んだ姉ではなく、生きている妹の物語であるということがはっきりと出ていたと思います。

 人気キャストを起用した『ラストレター』も良い作品だと思いますが、『チィファの手紙』の方が、地味ながらもしっかりと物語の美しさを堪能することが出来たので、個人的にはこちらの方が好みでした。同じ物語だからとスルーせずに観に行って良かったです。


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