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映画『ミッドサマー』感想 致死率の高い猛毒の美しさ


 期待値爆上がりだったんですけど、そのハードル軽く超えた恐怖の変態アート作品でした。映画『ミッドサマー』の感想です。


 不幸な形で家族を失い、悲嘆にくれるダニー(フローレンス・ピュー)。そんなダニーを恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)は密かに重荷に感じていた。人類学を研究しているクリスチャンと友人たちは、論文取材と観光を兼ねたスウェーデンへの旅行を計画し、ダニーも同行することに。友人の一人であるペレ(ヴィルヘルム・ブロングレン)の故郷ホルガ村で90年に一度の祭が開かれるというのだ。ダニーたちは、楽園のように美しい村で歓迎されるが、どこか歪で奇妙な風習、幻覚のような光景を目の当たりにしながら、徐々にその恐ろしさを味わうことになる…という物語。

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 前作『ヘレディタリー』で長編映画1作目にして、ホラー映画の金字塔的作品を創り上げた、アリ・アスター監督の新作。
 僕は『ヘレディタリー』を公開時、見逃していて、半年後くらいにレンタルでようやく観たのですが、マジでぶっ飛ばされましたね。
 その恐怖演出も凄まじいんですけど、何よりも観終わった後のアッパーな感覚、とてつもなく悲惨な絶望が繰り広げられた後なのに、物凄く高揚感があったというのが何よりも新しい快感でした。

 今作『ミッドサマー』は、公開してすぐに観たいと思っていましたが、あまりにも大きいインパクトが予想されるので、色々と観たい映画を観終えてからでないと、他の作品鑑賞に影響が出そうだなと考えて、ちょっと後回しにしていました。
 その間、方々で前評判が耳に入る度に、期待値がどんどん上がっていき、ちょっと肩透かしの気持ちになったらどうしようと懸念するくらいになって鑑賞に臨んだんですが、そんな考えがミンチにされるくらい、今作もぶっ飛ばされました、凄まじかったです。

 アリ・アスター監督作品は、監督本人もホラーではないと言い張っているし、今作の世間の感想もホラー映画ではないというものが目立っています。先述したような、鑑賞後のアッパー感が今作にもあるからだと思うんですけど。
 けど、前作『ヘレディタリー』でも、今作『ミッドサマー』でも、物語の状況とかお膳立ては、物凄くベタなホラー作品なんですよね。今作で登場する、SEXのことしか頭にないマーク(ウィル・ポールター)、好奇心を抑えられずにタブーを破るジョシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)なんかは、ホラー映画の中では恰好の獲物になるキャラですね。

 そして、ホラー映画表現としてとても斬新で上手いのが、ずっと続く「不安感」なんですよね。
 『ヘレディタリー』の時も、暗闇に何かがいるような気がするという演出を繰り返して、物語が進むにつれて、それがはっきりと確実にいるのが分かる演出になっていくんですけど、これが襲いかかってくるわけではなく、本当にただ「何かいる」だけなんですね。これが襲われるよりも、むちゃくちゃ怖い効果になっていたんですよ。
 そして今作『ミッドサマー』でも不安を表現する演出が、ドラッグのトリップ感という形で、随所でずっと続いているんですね。幻覚なのか現実なのかわからない、何となく楽しい気もするけど、ちょっと気持ち悪い…みたいな感覚を常に味あわせる映像なんですよね。
 特に、ホルガ村に向かう車を上からのカメラで撮りながら、その視点が前にでんぐり返っていき、時間をかけて逆さまになっていくショットがあるんですけど、この場面で、ゆ~っくりと脳がパニックになっていく効果がありました。異界への入り口という表現でもあり、ドラッグ的に観客を酔わせるという仕掛けでもあるんですよね。

 余談ですが、この後、森を抜けて、ホルガ村の入り口に着くシーンがあるんですけど、そこの風景が、フジロックの一番奥にあるステージ「フィールド・オブ・ヘヴン」の入り口に酷似していて、これからあそこに行く度にホルガ村を思い出すのかと思うと、複雑な気持ちになりました。

 ホルガ村の描写は、とても奇妙な風習で、最初は牧歌的で美しく感じていたものが段々と恐怖に変わっていくという印象ですが、この当事者たちにとっては不気味でしかない村の風習も、俯瞰して観ているとめちゃくちゃ笑える要素なんですよね(メイクイーンを決めるダンスバトル、あまりにもルールが意味不明過ぎて、声出さずにずっと爆笑していました)。笑わせようとしているのは、確実に意図してやっていることだとは思います。

 ただ、こんな恐怖と不安感の中で笑えるのは、これとは対極にある現実の恐怖を描いているのも要素としてあるかと思います。
 冒頭でダニーに降りかかる不幸が、あまりにも鬱過ぎて、のっけからかなり落ち込まされるんですけど、その出来事自体は現実にあり得ないことでもない恐怖なんですよ。
 その時点で、こちらは麻痺させられているというか、どこか茫然とした状態になるんですね。そこに現実感の薄い、確実におかしいのに、どこかぼんやりとした恐怖を見せられても、映画にも出てくる薬物を嗅がされているような感覚に陥っているので、笑えてしまうこともあるのかなと、後になってから感じました(それに気づいてますます怖くなったんですけど)。

 結末まで到達してみると、ホルガ村での体験が、ダニーの「グリーフケア」(身内など親しい人が亡くなった哀しみへのケア)の役割を果たして、様々な「しがらみ」から解放されるという物語だったのがわかるんですけど(それも世にも恐ろしい方法で)、ダニーの目線で観ていた僕は、これを最初、アリ・アスターなりのハッピーエンドと解釈して、不気味だけど恍惚とした快感に浸っていました。
 けれど、日が経って色んな感想や考察を読んだり、この文章を書くために思い出していたりするうちに、やっぱり恐ろしさの方が増していくんですよね。

 ホルガ村で動いているルールというか、システムのような仕組みは、かなり全体主義的なものなんですよね。全員が家族という謳い文句で理想的な印象を与えつつも、性交相手も儀式のように決まり、寿命ですらも決められてしまっているという完全管理社会なんですね。

 その生命管理を表現するために、最もショッキングな場面が出てくるわけですけど、この老人ダンを演じるのがビョルン・アンデルセンで、名作『ベニスに死す』で美少年のタジオ役をやっていた役者なんですね。「あの人は今」的な配役ではなく、世界を魅了した美と若さの象徴だった人間に、この役柄を与えるという、きちんと意味のある(それも最悪の)キャスティングなんですね。

 管理社会による全体主義を描いたものだと、テリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』や、ジョージ・オーウェルの小説『1984』なんかで描かれるディストピアもののイメージが強いと思うんですよ。
 ただ、管理社会のディストピアを描く場合に、今までは、テクノロジーが発達し過ぎた未来社会という設定が多かったのに対して、それとは正反対に位置するイメージの、オーガニックで牧歌的な村社会に設定しているのが他にない脚本ですね。

 それを恐怖として強調することなく、ダニーの眼を通すことで、アッパーなエンディングを迎えて快感に浸らせることに成功していると思います。僕は、自分が恐怖と思っていないという事実に気付いた時が、一番この映画の恐怖になっていたように思えました。


 初見の通常版を観た後、しばらくおいてから公開となったディレクターズカット版も鑑賞しました。
 通常版と比較すると、ダニーとクリスチャンの溝がより決定的なものになっていて、主人公グループのギスギスした感じも強調されているように感じました。その結果、ホルガの完璧過ぎて気味の悪い「同化」に近い結束感が、より際立っているように思えます。なぜ村から逃げ出すことが出来ずに、搦め取られてしまったのかが、とても納得できるものになっているんですね。

 改めて観ると、笑いよりも恐怖の方が強くなっていたんですけど、あの恐ろしいクライマックスがやっぱり美しく見えてきてしまい、今回も陶酔するような恍惚感があって、もはや涙が出そうになってしまいました。ここで流れる楽曲も、『ベニスに死す』で流れるグスタフ・マーラーの交響曲5番『アダージェット』によく似ていて、オマージュになっているのかなと感じました。


 これほど、アングラで尖った表現をしつつ、きちんと作品としての面白さや、芸術的な美しさまで備えているというのは驚異的です。アリ・アスター自身の失恋体験がインスピレーションだそうですけど、ちょっと異常な創造力ですよね。
 「劇薬」どころではない「劇毒」とでもいうべき大傑作だと思います。「愛すべきB級ホラー」という言い回しがありますが、今作は「愛さざるを得ないS級ホラー」とでも呼ぶべきでしょう。

 アリ・アスター監督、これからどんな作品を創るのか、恐ろしいけど期待してしまいます。表現規制に負けずに楽しませてもらいたいです。


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