4月29日(水) 季節の記憶

穏やかな気持ちで目が覚める。昨夜は何か暗澹たる気持ちでインターネットを眺め続けていたが休日の朝というのは全てをリセットするらしい。
上半身を起こし鉄分のグミを噛む。頭が冴えていく。

しばしスマホを見たのち、外に出て暖かな日光を浴びる。母が卵を焼くバターの匂いがどこからか漂ってくる。世界の全てが穏やかに見える。
こうして外で空でも眺めている方がスマホを見るよりずっと楽しくて有意義だ。

朝食はいつも同じで、納豆ご飯と味噌汁とたんぱく質の何か。ここ数日食欲の無さが続いていたが今日はいつもよりは美味しく素早く食べられた。
花粉シーズンの間放ったらかしていた布団を久々に洗う。

今日は映画を観るのもアリではないかとPrime Videoを漁っていると矢崎仁司監督作品がPrime入りしていた。ずっと観たかった「ストロベリーショートケイクス」をいよいよ観ようと思いつつそれは午後に回す。

一昨日の夜から急に保坂和志が読みたくて読みたくて泣きそうになる程の飢餓感が渦巻いていた。初夏の気配が迫ることもあり「季節の記憶」が読みたくなっていた。

それで本当は土曜からの連休で読むつもりだった。明日明後日は労働で、労働時間を挟んで保坂和志を、ましてや「季節の記憶」を読むのは私の中では冒涜に近かった、本来は仕事を辞めてから読むのが最も真摯だとすら思った。
けれどもう我慢が出来なかった。今すぐ読みたかった。本棚の前で逡巡した。手に取った。

およそ三年ぶりの再読となる。一ページ目をめくるのにうっとりするような躊躇いがあった。どんな書き出しか全く覚えておらずドキドキしながら読み始める。

僕が仕事をはじめるとさっき昼寝についたはずの息子がニンジャの格好で部屋に入ってきて、
「ねえ、パパ、時間って、どういうの?」
と言ったのだが、僕は書きかけの文の残りの数語を書ききるまで答えなかった。
保坂和志「季節の記憶」冒頭

ああ・・・良い・・・。ニンジャの格好、で笑いそうになってから「時間って、どういうの?」でそうそうこの小説はこういう感じでクイちゃんはこういう子だったなと思い出した。
そのまま親子が会話していく最初のシーンは、ここだけ切り出して短編にしても一つの作品として成り立つだろうなというくらい完璧に良かった。

僕とクイちゃんと美紗ちゃんと松井さん、四人が稲村ヶ崎で暮らす空気感が故郷のように愛おしく、一シーン読むごとにグイグイ満たされていく。
夜にスープを作る場面になり、阿久津隆さんの「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」に引用されているのをこの間読んだばかりだったからなんだか嬉しい気持ちで読んだ。これはスープを作りたくなる。

章の切れ目でぼんやり浸っていると机でそのまま眠ってしまった。起きると目の前に「季節の記憶」があり即読み始める。起き抜けに「季節の記憶」を読めることが愉快で幸せだった。

昼食前にまた外へ出ると自然界の色が「季節の記憶」じみて見えた。稲村ヶ崎ではないのに稲村ヶ崎にいる気持ちだ。馴染んだこの街を飛び出すのなら、稲村ヶ崎の海辺に住んでみたい。

部屋に上がろうかと思われた時、空の高い所に白線を描き始めた飛行機を見つけた。雲のない薄青にそれは映えた。飛行機雲を久々に見た気がしてしばらく目で追おうとしたがあまりに天頂に近いため眩しくて見ていられない。それでも手で目を覆ったり、数秒おきに休んだりしてどうにか眺め続けた。

消える飛行機 僕たちは見送った
眩しくて逃げた いつだって弱くて
あの日から変わらず いつまでも変わらずに
いられなかったこと 悔しくて指を離す

という「鳥の詩」を聴きたい季節がもうすぐやって来る。
と、何故私は梅雨さえ迎えぬ四月に夏、夏とはしゃいでいるのだろう。

昼食はうどん。驚くほど美味しかった。食欲減退がこのうどんには適用されなかった。

食後、外で「季節の記憶」を読みたい衝動に駆られ、細い木製イスを出してそれをやっていると母がキャンプ用の布製イスを差し入れてくれた。すっかり忘れ去られていたイスだった。座り心地が段違いだ。
空を感じながら「季節の記憶」を読む。ちょうど蛯乃木が電話を掛けてくるくだりで、蛯乃木は保坂さんの小説の中でもずば抜けて好きなキャラクターだから嬉しく読んでいた。
とてつもなく満たされた時間を過ごしたがページの眩しさと風の寒さに耐えきれず離脱。

長い時間働いて人並み以上の収入を得ることは良しとして、逆に、収入は人並みより少なくてもかまわないから働いている時間を短くしていたいという人間には文句をつけるというのは労働を美徳として疑わなかった時代の残り滓で、僕は労働をいいことだとは思っていないから収入よりも暇な時間の方を選ぶ。
中公文庫「季節の記憶」p.77

もっともだった。この一節が96年の小説にふと入っているのがかっこいい。「僕は労働をいいことだとは思っていない」という風に書いていいんだ、と凄く励まされる。
かつて山下澄人氏が言ったか書いたかした「労働を軽蔑している」という表現に触れた時の気持ちを思い出した。きちんとそれを言う堂々とした潔さに憧れる。

部屋でもしばらく読んでから本を置き、「ストロベリーショートケイクス」を二時間どっぷり観た。四人の女性の生活を描いた映画だ。

あー・・・・・・・・・・・・良かった。
全てが良かった。矢崎仁司あるある:全てのシーンが良い。

四人の女性の生きているところを見て、生きていこうと思った。最後のシーンにすごく何か励まされた。
矢崎監督の友達である保坂さんの出演シーンもようやく観ることが出来た。保坂さんを存じている身としてめちゃくちゃ笑ってしまった。

それにしても00年代の日本の風景に感じるノスタルジーはなんとも良い。それは時代に対するノスタルジーというよりも、平成仮面ライダーシリーズの初期作に映っていた風景だからかもしれない。「龍騎」に映っていそうな街並みやファッション、だから良い。
スマホのない世界の人々は朗らかに見える、というのもある。

良い映画を観た後特有の、日常を映画に撮られているような感覚になりながら干していた布団をベッドに戻し、窓を開け、掛け布団の上に寝転んで天井を見ていると黒い点が動き出した。虫は明るいところに集まるというから電気を消して飛び去るのを待ってみたが西日射す部屋は充分明るかった。
怯えつつもぼーっと虫を目で追う。

そうしていると、良いものを読んだり観たりぼーっと浸ったりして一日を過ごしていた"あの頃"の感じが湧いてきた。何もせず生きていた、保坂和志に出会った2017年。あの頃のリアリティが今ここに呼び覚まされた。嬉しかった。寂しかった。

夕飯は唐揚げ。食欲がかなり戻っている。
昭和の日、祝日と言うが夕方のニュースを観ながら夕飯を食べられることが何よりの祝福だ。明日の今頃はまだサボりながらも働いている。私もまた労働をいいことだとは思っていない。

7時。そろそろ日記を書き終える。お風呂に入ってから「季節の記憶」を2時間くらい読める。3時間読んで寝不足になっても明日は在宅ワークだから構わない。すぐこの後のことなのに想像しただけで楽しみだ。
私にとって"保坂和志"がどれだけ大切な栄養素であったか自覚した。鉄分のグミを噛むように、日頃から補わなければならない。

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