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うらっかわの幻

今日も今日とて電車でこの文章をかく。お昼休みに何冊か本を買ってリュックが重い。明日と明後日、休日がくるのがうれしいというよりも、外にあまり出なくてよいのが嬉しい。あさ、電車から立ち上がったときに強い香水に当てられたときみたいなくらっとするめまいがきて、今日もまた、花粉の恐ろしさをしみじみと味わったところだった。
ここまでつらいのって今年が初めてな気がして、それをでも去年も思っていたような気がするから、もしかしたら来年もそう思うのかもしれない。それは、いやだなぁ…。
仕事ではたくさんのやさしさに触れて、なんだか逆に、人間関係がうまくいっているからこそ、なんとなく、不安になった。わたしだけ、かもしれないけれど、いつでもなにか、バランスがとれていないときもちわるい感じがして、今日は変な話だけれど少しみんな優しすぎた。やもすると調子よくなって、出すぎたことをしてしまう。それが怖いわたしなのかもしれない。
今日も弾き語りのアルバムを聴きながら帰る。
「真昼の中のくらさよ きみにこんなに抱きしめられて 外に出る気にも ならない」
容赦なく降りかかる、野生としてのつかれやねむたさの中で、音楽が紡ぎだすものはうらっかわの幻のようだった。思い返せばわたしにだって、そんなふうな今日があったのかもしれなくって、でもそうだ、もしそれが実際にあったら、今日いただいた沢山の優しさもうらっかわの幻になるのだ。
動物的なまどろみの中でわたしは幻をただよう。調子にのって出すぎたことを考えたのだと思うけれど、ふと、音楽と言葉さえあれば、わたしはどの幻の中でだって笑える気がした。その2つがあれば、わたしはまどろみの中で、いつまでも幻を行き来できる気がした。

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