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たったひとりのきみとぼく

昨日も人のうちに泊まって、ぼんやりと帰り道。
薄い雲が透明なカーテンのようにかかった空と、金曜日から身につけている流石に匂いとかベタつきとか気になってきた衣服と、さらさらと流れる春の風と、日常から切り離されたまばらな人混みの一番線ホーム、次の電車が来るまでにはまだ随分と時間があって、優しさに満ち満ちた曲を何度か繰り返して聴いてしまう。
「だって今日は素晴らしい日 二度とこないやわらかいシーン」
まだしっかりとしないといけないのだけれど、それでも本当、ようやっと、大きな山を越えたといえそうな休日、2日に跨いで人と会い続けて、それは一人っ子で可愛げのないわたしにとってはずいぶんと珍しいことだった。「一人は一つだけれど、だれかとやるって無限だから」というようなことを、やわらかく、少し茶化しながらそれでも真面目に言っていた会社の人のことをなんとなく思い出す。昔より随分と、その言葉が身に染み込みやすくなってきた身体。これからの毎日、わたしが作るもの、わたしが携わるもの、それと未だなお、最も近しく、一緒に日々を過ごす孤独や、たくさんの本、音楽。
山を越えて、なにかを失ったり、逃げ出した方が良いんじゃないかと思ったりしたけれど、それでも山の向こうに立つことができそう。成長なのかなんなのかわからないけれど、たしかに体内は息づいていて、鼓動が良く聞こえる。走ってきたのだ、わたしは、と日々を思い返して思う。それが果たして大きな価値なのかはわからないけれど、兎にも角にも、今までにないペースで、長く険しい山を越えてきたのだ。
「たったひとりのきみとぼくで 愛をみにいこう」
改めてあまりにも良い歌で、帰ったらギターを取りだして歌いたいな、と思う。このひとまわり強くなった心臓で、擦り切れる感性を労ったり、たくさんの本や音楽で思い出したりして、忙しなくも息の切れるそんな日々の中で、ほのかな愛と馴染み深い孤独によりそって。

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