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クラシック音楽に愛を持ち続けている。

晴れた。それだけでこんなにも楽になるのか、としみじみした。からだは軽いし頭は痛くないし脳みそはクリアで明晰だ。色々と作業があったが、たまらず最寄駅のふたつ先まで自転車で出かけ、見つけた喫茶店の中で作業をする。当たり前のように捗る。

帰り道、夕暮れの手前くらいの時間、コンビニ前で寄りかかりながらアイスをかじっていたら、小3くらいの少年三人が向こうから自転車で近づいてきた。わたしの目の前を通り過ぎるちょうどその時、先頭の一人が「まあまあでかいスーパーあるけどそこいく?」と「く?」の語尾をあげて後に続く2人に聞く。それはもう、とても良い瞬間だった。たまらなく少年だった。「まあまあでかいスーパー」というスーパーへのマウント取りが絶妙に背伸びを感じさせる。後の二人も「あぁ、いいね」と気取った返答、もう100点満点である。

すっかり元気になったので、帰ってからは2時間半越えの映画、「涼宮ハルヒの消失」を観る。案の定とっても良い。京アニのキャラクターに対する「愛」は何より信頼できる。だから長尺でも観られるのだ、「大丈夫、京アニだから」という信頼がそこにはある。ヴァイオレットエヴァーガーデンとか正にそうだった。

…なんだか観たアニメについて話してばかりの日記になっていっている気もする。夜景と共に流れる「ジムノペディ 第1番」がとても良かったので、観終わったあともそれだけを聴く。ジムノペディを作ったエリック・サティは、生涯にわたって貧乏で、数々の芸術家から尊敬の眼差しを受けながらも、音楽界の異端としてその一生を終える。彼の生き様をただ格好良いものとして学生時代、のめり込むようにして学んでいたけれど、いまはその生き方の不器用さというか、どうしようもなさみたいなものにばかり目がいく。ジムノペディはシンプルで美しく、彼の代表曲には違いないが、その作品からは予想もできないほどサティは深く、ある意味でナンセンスで、かつ軽妙で洒脱だ。あれ、ハルヒの話をしたかったのに、気がついたらサティの話をしている。

つくづく思うのだけれど、わたしがクラシック音楽を通して思いを馳せるのは、感覚の鋭敏な人間が生きたその毎日である。音楽が好きという以前に、わたしは多分感覚をもって毎日を過ごす、自覚的な人間が大好きで、そうありたいと思い続けているから、だからわたしはクラシック音楽に愛を持ち続けているのだと思う。


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