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ハンドボール投げに参加した魔法使い

今日も今日とて起きれない日。昨日早く寝たのにしっかり起きれない。まだ頭痛は強くないものの、重力が二倍にも三倍にもなったような感じで地面に張り付くばってスマブラの実況配信を観ていました遅刻した。

わたしは自分でいっていて呆れるくらいには自惚れ上手で、だからこそ簡単に傷を受ける。そういうタイプなので、本当に好きなものや続けたいことがあるのなら、できるかぎり競争の場所に行ったり、順位のつくようなことをやらない方がいい。特に表現とかそういった、数字ではっきりと出るような順位のないものの場合。でも同時に、いい締め切りというか区切りになるからという浅ましい理由で、コンペティション的なものに結構これまで応募して、無様なまでに落選し、その度に案の定傷ついてきた。至極客観的にみて、応募したコンペの中には、ハンドボール投げに参加した魔法使いのご老人みたいな、筋違いなものもあった。けれど落ちると、なぜか自分全体を否定されたような気がして、傷つく。

てかそもそもおかしいよね表現に順位がつくなんてさ、とか、いくらでも口を尖らせることはできるのだけれど、今まで何せ選ばれたことがないから、ただの「実は選ばれたいやつ」にしか見えなくってそれも自分が矮小に見えるだけだった。

今日、詳しいことは何も書けないけれど、大きなコンペティションで初めて選ばれた。結果発表の瞬間に思ったことは、何よりも、これでもう変にコンペに挑戦しなくってもよくなったな、という、自分のコンペコンプレックス(言いづらい)が霧散していくことへの静かな喜びだった。短編小説集を出したいな、自費出版で。もう文芸賞とかいいんだ。空いた時間で少しずつ書きためて、とかなんとか、高速で頭を駆け巡る。でも上辺で喜ぶのがこういうとき頗る下手で、ヘコヘコしていつも通り、あるいはいつもよりも暗いような感じで今日はやり過ごしていた。

「世界の限界も 自分の限界も 心の中に ぼくら託しあってる」

それでも帰り道には最も気分の上がるアルバムを親指で探りながら聴いていく。わたしはもう無理してコンペ受ける必要ない、少なくともしばらくは。誰かに「見て!」って言わなくても、すれ違うだけで、「こいつもしかして面白いかも」と思ってくれる人がいると、それだけを信じることができる。岩の隙間でひっそりと身を潜める天然記念物のように。素敵な人と「素敵だね」って笑い合えるわたしでいられるように、しずしずと毎日を生きるということにだけ、丁寧にあろう。



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