銀の手摺か 刷り込まれた青
何かあったらまた違うのだろうけれど、わたしのストレス解消法というか、何かスッキリしたいとき、ワクワクしたいときは本をたくさん買う、以外に今のところない。お酒を飲むとか、美味しいものを食べるとか、それなりに良いのだけれどしっくりはきていなくて、ずっと学生のころに買いたくても買えなかった本とか、古本屋の安いコーナーで買い漁ることしかできなかったというのがあるから、とにかく本を買ってしまうのが一番きもちがいい。というわけで部屋には読んでいない本が増えていて、今日はほとんど本の虫になって読み耽った。
昼前、会社に出て、帰って、ピアノを練習して、ギターを弾いて歌って、学生時代からよく、家に帰ってもすることがないという人がいたけれど、何でそんなことになるのだろうと思うくらい、ひとりの時間はわたしにとってしたいことで溢れていて。
「みんな刹那に生きすぎだよ」と会社の人が、ひょんな雑談の中で言っていた。その言葉はずっと思っていたことでもあったし、自分でも気をつけなくちゃと思っていたことだったから、ふっと目覚めたような感覚になる。
わたしはどこかで、刹那の評価や、誰かのたわいもない一言にすがるように、そういうものを毎日の原動力にしていたりする部分があって、それってとても浅はかだけれど、同時に浅はかな自分の性でもあるから、それのために毎日を消費しないように、せめて気をつけなくちゃいけないね、と思う。毎日が刹那の連続であること自体は多分まだセーフだけれど、刹那に飲み込まれたら終わってしまうのだと思う。終わってしまうというのは、人に届くものが作れなくなってしまうということ。わたしはそうなったら、こうまでして生きてきた意味がわからなくなってしまう、すこし、大げさな物言いだけれど。
「例えば君の探すのは
銀の手摺か 刷り込まれた青か
それはやけに明るい 太陽と月の色なのか」
息を呑むほど美しい歌を聴きながら夜の街を歩いた。出かけに忠告を受けたとおり、夜になると雨がぱらついて、わたしは傘をさすのが億劫なまま、早足で家へかえる。だれにも邪魔されずわたしだけになりたかった。わがままが行きすぎたまま、大型連休になだれ込んでいく。
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