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街を行く時計

「コロナではないと思います」と念をおすようにしたためたメールを上司に送って、今日は会社をお休みした。ご飯以外、ずっと横になっていて、19時くらいになってから動きだした。横になっているあいだに経つ時間がうそみたいにはやくって、え、もうこんな時間?と思ってばっかりだった。

ずっと「なんでこうなっちゃったんだろう」と布団の中で考えてはみたけれど、結局のところ、花粉によって鼻やのどがやられてしまっている中で、休日になっても色々なところに出向いたり、色々考え事をしていたことが今日まで流れ込んできてしまったのだな、と思う。たくさん寝たら案の定からだは軽くなっていて、明日は早速朝一番で「エヴァンゲリオン」を観てから会社にいこうとはり切っている。

なんだか気持ちのねじを緩めるのが昔から苦手だったけれど、最近とくに苦手になってきたな、と思う。この場所をはじめとして、色々な場所で文字を書いたりして活動していることが、結構いろいろな人に伝わって、職場とかふとしたラインとかで、触れてくれたりする。わたしはそれが嬉しくって、けっこうすごく嬉しくって、多分「次は何しよう、次は何しよう」ってそればかりで、心臓が体より数歩前に出てしまっていたのだ。今日の恐ろしいくらいの速さで過ぎた時の流れは多分、心臓を体に戻すための施術だったのだと思う。

施術の邪魔をしないように、ぼやけた木漏れ日のように優しい歌を聴いた。

「夜の影を切る ビルの亡霊 テレビの明かり目印に 街を行く時計」

焦る必要もないし、もっといえば、人がなにを言おうとなんだっていうんだ、という気持ちもちゃんと必要かもしれない。褒められたり、認められたりするって、世界全部が色付くくらい素敵だけれど、それでも自分を置いてけぼりにしたらどこかで今日みたいなつじつまの合わない日が訪れてしまうのだろう。

「のみかけのココアは静か カップの中の小舟 おやすみ 暖かくして」

どんなふうにあっても不器用に考えつづけてしまうわたし。この不安定を見つめながら、言葉をつむぐこれまでとこれからを、どうか、この曲みたいにあったかい気持ちで…。


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