ささやかな反抗
「世界が終わる日にどんなことをしていたい?」という質問について、いくぶんか考えたときに「美味しいコーヒーをいれたい」って答えが一番格好いいじゃないか、って閃いて、それからこの答えを乱用して場を微妙な雰囲気にしつづけている。
いきなり、といっていいほど仕事の量、というか質、が増えて、精神的にあわただしくなった。一度そうなるともう中々そこからは抜け出せない。頭がずっとショート寸前のままキープって感じで、すぐにいっぱいいっぱいになってしまうわたしは多分また、数すくない友達の連絡さえもないがしろにしてしまうほどソワソワとした毎日を過ごすのだろう。
そうやって余裕のない自分を許してあげるのと同じくらい認めたくないなぁと思っている。だってわたしの中の理想のひとは大切をまげない。大きな本番の前にだって冗談を言って周りをなごまるし、絶望的な失敗も「大丈夫」とわらって冷静に向き合うし、世界の終わる朝にだってゆっくりと美味しいコーヒーをいれることができる。
すぐに大切を見失ってまわりに迷惑をかける。それが嫌で、だからこうやって今日も言葉を書いてみた。明日はもう書いちゃいないかもしれないけれど。
忙しなさで大切をまげないための練習だと思って。
あぁ、今日も昔の音楽を聴いた。とびっきりの可愛さで「それは鮮やかなポラロイド 色あせていく貴方の心をうつす」と歌ってる。「ポラロイド」なんて言葉をひさしぶりにきいたなぁ、思ったその瞬間、歌声は焦るばかりのわたしからしっかりと時間を取り戻してくれていた。
音楽を聴く、言葉をかく。
世界の終わる朝、美味しいコーヒーをいれる。
わたしの、ささやかな反抗。
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