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[前編] 66時間に及ぶ出産に立ち会った旦那は、母親になることの偉大さを知った ~夫は絶対に出産の立ち会いをした方がいい~

2019年10月5日、待望のわが子がついにその姿を世に現した。

生まれ出る瞬間に、胎便吸引症候群* というものになって、2週間ほど入院することにはなったが、それ以外は特に問題なく、順調にすくすく育っている。

* 胎便吸引症候群…出産時のストレスで羊水内に排便してしまい、それを飲み込んでしまうことで肺に便が付着し、呼吸しづらくなる症状

ひとまず、自分のベイビーというものは、控えめにいって、尋常じゃないかわいさを有しており、正直メロメロで溶ろけてしまいそうである。

おそらくベイビーと対峙している間は、毎分12回ほどのペースで「はぅぁ、かわいいぃ...」そう呟いてしまっているのではないか。

丸3日に及ぶ、66時間の戦い

しかし、振り返ってみるとなかなかに壮絶な出産だった。

出産にかかる時間は、平均的に12〜15時間ほどと言われているらしいが、わが家の場合はなんとその5倍ほどの約66時間(ほぼ丸3日!)であった。

幸運にも、理解ある職場の支えもあり、僕はその66時間のほとんどを嫁とともに過ごすことができた。

おかげで、出産という壮絶な戦いを嫁とともに間近で一緒に乗り越えられたのは非常に感慨深い経験だったので、その記録を書いておこうと思う。

数年後には、大きくなったベイビーとこの記事を読みながら「君が生まれてくるときはこんなに大変だったんだよ〜」と話しているかもしれない…なんていう止まることのない妄想を膨らませながら。

Day1: 陣痛開始→分娩室→帰宅

10月3日(木)の早朝6時頃、嫁から「血が出た。お腹も痛い、陣痛かも。」と起こされた。すでに予定日からは6日間ほどすぎていたので、「ついにきたか!」と喜びの顔を隠せない嫁と僕。すぐに病院に向かった。

病院で診察してもらうが、なかなか嫁が出て来ないのでソワソワする僕。

ちなみにこの日は、複業で立ち上げたブランド「GIFT & LEATHER」のECサイトのオープン日でもあり、二重のうれしいソワソワにさいなまれていた。

しばらくして、これは陣痛だろうということで、分娩室に案内された。

ひとまずそこで、陣痛が強くなり、6,7分の等間隔で起こるようになるのを待てとのこと。

高まる期待。

歩くなどの軽い運動をした方がよいと言われ、陣痛の合間に廊下をウロウロ。

しかし、陣痛は少しずつ強くなる気配はあるものの、およそ7〜13分おきに来る陣痛はなかなか等間隔には安定はしない。

その状況が夕方になっても変わらず。もともと翌日朝一で診察する予定が入っていたのもあり、一度家に帰されることに。

本番の陣痛は寝れないくらい痛いと聞いていたが、一応その日の夜は嫁も寝ることはできたらしいので、確かにまだ弱めの陣痛だったんだろう。

しかし、とはいえ寝れたのは3時間程度だったらしいし、その間も10分前後間隔での陣痛は絶えず来ていたので、この時点ですでに大幅に体力は削られてたんじゃないかなと思う。

Day2:診察→入院→深夜にようやく分娩室

10月4日(金)、翌日の朝。診察を受けたが、やはりあまり大きな進展はなさそうとのこと。

しかし、さすがに1日経っていてどうなるか分からないので、そのまま入院して様子を見て、陣痛来たらすぐに分娩室に移れるようにしましょう、ということに。

結局その日も夜まで僕も隣にいたが、強くはなるものの、多少の進展を見せる程度であった。

平日の面会可能時間が20時だったこともあり、僕はひとまず帰宅することに。

この時点で嫁はすでに38時間陣痛と格闘している。

遅くとも丸1日くらいでは生まれるだろうと想定してた反面、相当不安だったと思う。

38時間働いて進捗なしなんて、そろそろ絶望が顔を出しそうだったんじゃないかな。

ちなみに、この間、僕は痛がる嫁の横で普通に仕事をしていた。

どことなく申し訳ない的な気持ち(?)はありつつも、もはやメンズにできることは側にいて、必要なときに買い出し等のパシリをするか、腰をさすってほんのわずかに痛みを和らげるくらいなのである。

あとは少しでも仕事を終わらせておいて、産後のサポートのための時間を確保するくらいかな。そう思いキーボードを叩きつつも、旦那的にはただひたすらメンズの無力さを感じるタイム(序章)であった。

この痛みを半分でもいいので自分に分けてほしい。そんなことを考えるが、考えるだけしかできないのだ。

Day3-1:再び分娩室へ→さらなる死闘の始まり

一度帰宅したものの、ソワソワして何をしていいか分からず、落ち着かない。普段通りに過ごして気を紛らわせようと、金曜はジムに行くDayだったのもあり、なぜかひとまずジムに行くことに。(←本当なぜだろうw)

そして、ちょうどジムから帰ろうとしていた23時頃、嫁からのLINEが入る。

「分娩室に移動することになった!」

「よかった!!!すぐ向かうね!」と返事をし、すぐさま準備をして病院へ。

病院に着いたのがちょうど夜中の12時。

陣痛はかなり強くなっているようで、これまでとは痛がり方のレベルが上がっているようだ。

Day3-2:旦那のサポートの最適解 is 何?

最初の方は、陣痛時に腰をさすってあげるとどうやら楽になるとのことで、陣痛が来るごとにすぐさま腰をさする。

助産師さんがわりと頻繁に来てくれてサポートしてくれるのだが、嫁曰く、やはり助産師さんの"さすり方"は圧倒的に上手いらしい。

なので、助産師さんが腰をさする際は、旦那はスーパー凝視である。

どの位置を、どの角度で、どんな手の形で、どの方角にさするのか。

ひたすら見よう見真似でさすり続けた。

「新入社員のマインドだ。ひたすら先輩の技を見て盗み、実行し、自分のものにして成果を出すんだ。」

さすることしかできない僕は、少しづつ湧き出る眠気と闘いながらそんなことを自分に言い聞かせていた。

しかし、しばらくすると、最適なサポートは腰をさすることではなくなったらしく、「そこ違う!」と言われ始める。

何度か試行錯誤した結果、おしりと腰をさするのがよかったらしく、陣痛のたびに両手を始動させ、必死にさすった。

しかし、さらにしばらくすると、腰は不要になり、次はおしりを抑えてほしいと言われる。

言われたとおりにおしりを抑えてみたが、「違う!もっと!」と言われる。

けっこう強めに押してるつもりだったが足りないらしい。抑える場所も陣痛が回を増すごとに少しづつ変わっている。

また、嫁も極度に痛がりながらの指示出しなので、指示内容のディテールはもらえない。

旦那は、想像力を張り巡らせながら、ひたすらにいろんなサポートを試し、最適な強さ・場所を探すしかない。

「ビジネスと同じだ。グロースハックだ。刻々と変わりゆくマーケットに対し、仮設を立て、最適らしい施策を打ち、高速にPDCAを繰り返しながら最適解を見つけるんだ。」

深夜で強まる眠気と戦いながらも、陣痛がきた時は思った以上に必死にならざるを得ない状況に、僕はそんなことを考えていた気がする。

助産師さんがまたやってきて、「テニスボール、使いますか?」と言ってきた。

そういえば、出産前に友人から「旦那ができるのはテニスボールだけだから!」と言われて、「はて?」となっていたが、そうか、これがウワサに聞く魔法アイテムか。

さっそくテニスボールで抑える。...これはけっこう楽だ。旦那としては抑えやすいし、嫁としても効果は高く感じられたようだ。

そんなこんなを約10分に1回の陣痛に合わせて延々と繰り返すのである。

もちろん深夜3時を過ぎたくらいからさすがに強い眠気も襲ってきて、父母ともにずっと起きていることはできない。

なので、

うっすら寝る(旦那はベッドにうつ伏せ) → 嫁が「痛いっ」って発するか発さないかくらいで反射的に飛びおきる → 全力テニスボール → 1分ほどで治まる → うっすら寝る → 嫁が...

をひたすら繰り返すのである。

ときには『嫁が「痛いっ」って発するか発さないかくらいで反射的に飛びおきる』に失敗し、「なんで寝てんの!?」と怒られても、ひたすらこれを繰り返すのである。

意識も朦朧とする中「早く朝が来てくれ(朝になれば医者が診察に来てなんとかしてくれる)」「そろそろ出産始まってくれ」と、ただただそう念じながら。

(ちなみに嫁はうっすらとすら寝れてないかもしれない)

この間、なるべく時間は見ないように意識していたが、覚えているのは、ふと壁にかかった時計を見上げてしまったとき目に入った「5」という数字を指していた短針。

「まだ...、5時かよ...。」

あのときほどただの壁時計に対して憎悪を抱いた瞬間を、僕はこれまでに知らない。

後半につづく...。


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