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#006 今日の純粋と高潔は、明日の悪魔かもしれない|ベッシー・ヘッドの言葉|Letter

I don't go along with any God who has the power to remove the sins of the world. I only accept that each soul is responsible for its own actions and that all souls, whether God or the devil walk the razor's edge of good and evil, that the pure and noble of today may be the demons of to-morrow. I throw the accent heavily on self-responsibility.
(KMM38 BHP25, Letter to Tom Carvlin, 1 May 1970)
この世の罪を取り除いてくれる力を備えたどのような神にも、従うつもりはない。私が認めるのは、すべての魂が自らの行動に責任を持ち、神でも悪魔でも善と悪の不確かで危うい場所を歩き、今日は純粋で高潔だったものが明くる日の悪魔になり得るということだけだ。自己責任ということについて、ことさら強く重きを置いている。

これは、出版された本には載っていないベッシー・ヘッドの書簡にある非常に重要な一節である。ベッシー・ヘッド研究者のM. Ledererはこの文章を何度も引用し、「これは彼女の内面の葛藤であり、他者へのもどかしさであり、女性の自立の重要性についての認識であり、フェミニズムや他のイデオロギーに対する批判である」と述べている。

ベッシー・ヘッドという作家にとって、この考え方はすべての作品や文章を貫く重要なものであると私も考えている。

農村における女性の立場や苦しみについて作品の中で多く表現したベッシー・ヘッドであり、フェミニスト的な解釈を研究者にされがちなのだが、本人は「レッテル」を貼られることをひどく嫌った。善と悪の対立でもない、人間を超越した力が解決してくれることでもない。ひとりひとりの人間の中に、善と悪はあり、人間がそれぞれの心を解放していくしかないということを、一生涯かけて書いた作品の中で描いてきたのかもしれない。

安易な解釈がどれほど恐ろしいかとつくづく思う。文学作品とは、そういうものなのだ。


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