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ニューヨークの9/11メモリアルとテロのない世界

2001年9月11日、スコットランドにいた。

エディンバラ大学のアフリカ研究センターの修士課程に在籍中で、あと一週間で修士論文を提出しなければならない追い込みの時期だった。

わたしは、大学の寮のフラットを二人のアメリカ人とシェアしていた。
その日の午後、大学の寮の部屋にいたわたしたちは、アメリカからの電話で事件を知ることになる。
電話をかけてきたのは、アメリカに住むフラットメイトの親戚。
一機目が北棟に衝突したところで、まだ事故ではないかと思われていたときだ。

とんでもないことが起きた。

フラットにテレビはなかったため、二人のフラットメイトと一緒に寮のコモンルームへ急ぎ、そこに集まった世界各国からの留学生仲間とともに、緊迫したBBCの報道を無言で見つめた。
そうしているうちに、二機目が南棟に衝突。

皆が息を飲んだ。
そのときの様子は、今でもはっきり覚えている。

(なお、もう少し詳しい話は拙著『雨風の村で手紙を読む ベッシー・ヘッドと出会って開発コンサルになったわたしのアフリカ旅』に書いている)

それから世界は変わり、対テロ戦争と称してテロへの「報復」を行い、結果として罪のない民間人を無差別に虐殺し続ける歴史へとページを進めてしまった。

その後。
留学を終えて様々な仕事をし、仕事やプライベートを通じて多くの国を訪れた。

その間、世界ではどれほど多くのテロや虐殺が行われ、命が失われていっただろう。
あのとき、報復へと向かう世論が存在すること自体が、恐ろしかった。

やがて時が経ち、あの日から23年の月日が流れた今年の夏。

わたしは初めてニューヨークを訪れた。
大学の寮のコモンルームで見たニュースの画面に映された恐ろしい光景は、きれいに整備された9/11メモリアルになっている。

このメモリアルの異様な広さだけが、あの日まで存在した建物と多くの命のことを思わせ、胸が苦しくなった。

テロのない世界へ。戦争と虐殺のない世界へ。

何かとてつもなく巨大な恐ろしいものを人類は背負っている。わたしは、生きて声を上げ続けなければならないと思った。

エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【30/100本】


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