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#014 ひとを部族から遠ざけるのは教育だけなのだ|Novel

“That tribal name is the wrong one for me. It is for one who stays home, yet they gave it to me and I have not known a day's peace and contentment in my life.'
'It's because of education,' the old man said, nodding his head wisely. "They should not have given you the education. Take away the little bit of education and you will be only too happy to say, "Mama, please find me a tribal girl and let us plough. It's only the education that turns a man away from his tribe.

(When Rain Clouds Gather, 1968)
「僕にそんな部族の名前をつけるなんて間違いだ。故郷に埋もれている人間のための名前だ。だけど、両親はそんな名前を自分に与えた。今まで生きてきて、一日も平和で満ち足りた日なんかなかったのに」
「教育のせいだな」言いながら、老人は思慮深げにうなずいた。「ご両親は、お前さんに教育を受けさせるべきではなかったのだろう。教育さえちょいと奪い取ってしまえば、きっとお前さんは『母さん、僕に同じ部族の嫁さんを見つけてください。一緒に田畑を耕したいのです』と喜んで言うだろう。ひとを部族から遠ざけるのは教育だけなのだ」

1968年に初めて発表された作家ベッシー・ヘッドの長編小説「When Rain Clouds Gather」より最初のシーン。主人公の青年マカヤは元ジャーナリスト。南アフリカで政治犯として2年間服役し、刑務所を出てきたばかり。今まさに、国境のフェンスを飛び越えて隣国ボツワナへと亡命しようとする直前、南アフリカの国境の村で身を潜めている。彼をかくまう老人に名をきかれ、自分のマカヤという名が部族的であることについて、これまでの強い不満が噴出してくる。彼にとって部族主義は、何よりも避けたいものだったのだ。自由の国を求めてボツワナに行きたいと語るマカヤ。しかし老人は、ボツワナこそ世界最悪の部族主義の国だと諭す。

冒頭のシーンから、この青年が南アフリカで生きてきた苦しみが、アパルトヘイトだけでなく「部族主義」の苦しみでもあったことが明かされる。彼の口を借りて、同じように元ジャーナリストだったベッシー・ヘッドは自らも苦しんできた様々な重圧を語っている。キャラクターは複雑なものを抱えており、それは日本でこれを読む自分にも通じる思いに満ち、心を刺されるような思いが噴出してくる。この作家の手腕の驚くべきところだと思う。

この作品は、プロット的にはシンプルだ。登場人物の心情が、彼女の「人間への愛」を良く表現している驚くべき作品である。

なお、「部族(tribe)」という言葉は差別的意味を含む可能性があることから、通常では使用が避けられる言葉である。ただし、特に1960年代の作家ベッシー・ヘッドの作品を翻訳するにあたっては、彼女の作品の位置を明確にするためにも、あえて「部族」という言葉を残している。特に、この引用箇所だけでもわかるように、彼女は「部族主義」の弊害に疑問を呈している。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照

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