行ってみてわかったアフリカってこんなとこシリーズ その2 西部と東部

代表の白川ことニモ🐠です。

前回に引き続き、アフリカ大陸をエリア別に、私の勉強したことや体験したことをシェア致します!
その2では、西部、東部について共有。

西部アフリカエリア


西部地域は、ナイジェリア、ガーナ、コートジボワール、セネガル等、比較的有名な国が多いです。
西エリアは、典型的な黒人さんが中心です。

歴史的には、ポルトガルに真っ先に発見され、奴隷が数多く出てしまったのがこのエリアとその1で触れた中央エリアです。
奴隷にされてしまった方々は、大西洋を渡って、北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカと広く連れていかれ、今のアメリカやジャマイカにいるような黒人さんの祖先となりました。
つまり、北部はもちろん、南部や東部のアフリカは、さほど奴隷という時代は経てないんです。

その後、石油や鉱物といった天然資源が西~中央エリアで多く発見された為、フランスとイギリスは、こぞってこの西アフリカの領地を取り合いました。
植民地時代の始まりです。
改めて、以前、どれだけ資源が採れるのか調べてみましたが、出るわ、出るわ、石油、天然ガス、ダイヤモンド等など…
日本が第二次世界大戦の際に、石油を求めて東南アジアに領土拡大したのと同じですよね。

その名残で、西アフリカの国は、今でもその多くが、フランス語を公用語とし、フランスとの交易が盛んです。

去年のサッカーW杯で、フランスチームを見て驚きました。
選手がほとんど黒人さん。
ジダンのイメージが強かったので、今まで気にしたことなかったのですが、どうやら元植民地のセネガルやコートジボワールから、優秀なキッズ選手をたくさん連れてきて、競争に勝ち残った上位者だけがフランスナショナルチームの選手になり、こぼれた選手は、母国の選手になるそうです。
だから、西アフリカのサッカーチームは、強い!!

植民地は、悪いイメージ強いですが、実際に”今”アフリカを見ていると、
優秀な黒人さんはフランスに留学することが普通だし、フランスで差別されるわけでもない。フランスには、アフリカ料理も多く普及しているし、恨んでいる人が多いわけではなさそうです。

植民地時代、真っ只中では、搾取による人権侵害や発展阻害もあったと思いますが、今生活している世代は、その頃が過去となろうとしていますし、”今と未来を見よう!”という意味では、日本とアジア各国の関係性と変わりないです。

とは言いつつも、フランスは、元植民地の国々から未だに搾取しているという話も聞くので、引き続き、調査しようと思います。

さて、西アフリカの人柄は、アフリカ大陸の中でも、特に陽気!!
陽気なジャマイカのイメージは、西アフリカから来ていると思います。東アフリカでは、あぁはならない。
わかりやすく言うと、短距離が強いのが西アフリカで、長距離が強いのが東アフリカです。感性とパワーで生きてるって感じ。

この違いの原因の勝手な推測ですが、東アフリカと異なる、以下の3つじゃないかな、と思っています。
① 都市が海岸地域の熱帯地域にあり、暑いということ。
② 資源に恵まれて、仕事が自然と湧いて出たこと。
③ フランスの影響。

ちなみに、アフリカといえば、サバンナと思いがちですが、西アフリカには、めぼしいサバンナがありません。
西アフリカの人は、東部や南部にサバンナ観光わざわざ行くと聞いています。

観光情報は、あまり持ってませんが、セネガルは、誰しもが良い国だと褒めます。人が良いんだとか。

料理やファッションも、東よりユニークでインタレスティングな物が多いと思います。
良いところ!!

東部アフリカエリア


ようやく来ました!東部エリア!

と、言いたいところですが、西アフリカを長々と書いてしまったので、その②はここまで!
その③で東部エリアについて書きたいと思います!

以上

この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

52,384件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?