何者かわからなくて不安になる自分を支えてくれるものと短歌

電車に乗っているとふと不思議な感覚に襲われることがある。なんと言ったらいいのか、難しいけれど、「お前はいったいどこに所属している?」と聞かれているような気がすることがある。

今となっては、会社員として働いているので、そんな感覚も薄れてしまったけれど、それでも時折ふっと怖くなる時がある。

というのも、会社員の多くはスーツを着ており、中学生や高校生(中には小学生や幼稚園児ですら)制服を着ている。見た目だけで、何者かがあまりにも明白に語られてしまっている。

今の会社に入る前に、フリーターのような生活をしていた時、朝の早い時間に電車を乗ると、周りにはスーツか学生服しかいない。そんな中でジーパンとTシャツなんかでいると、自分が何者でもないこと、この社会に馴染めていないこと、はみ出しものであることがバレてしまう、そんな気分になる時が、何度もあった。

そんな感覚から守ってくれるものの一つに、結婚指輪は確かにあるのかもしれない。


もう怯えないで歩いて行けばいい結婚指輪を指でなぞりぬ

『駅へ』松村正直


この短歌はまさに何者でもない主人公の指に光る結婚指輪にフォーカスが当たっている。その指のきらめきは、出来立てであること、新婚であることを表しているのかもしれないが、それ以上に、魔除けの力を持っている、そんなことまで想像させられてしまう。

また、冒頭の「もう」という一言がとても強い。

主人公はずっと怯えて歩いてきた。自分はこの社会に馴染めていないのではないか。この社会から認められていないのではないか。そんな恐怖がずっとついて回ってきた。

その怯えから救ってくれたのが、薬指に光る結婚指輪なのだ。

そして、この結婚指輪を指でなぞりながら、こう考える。「歩いて行けばいい」と。

何がいいのかは書かれていない。とにかく、いいのだ。それで、いいのだというバカボンの言葉すら思い浮かんでしまうほど、単純明快だ。

主人公は結婚をして、結婚指輪をした。それ以外に、主人公が出世をしたわけでも、いい仕事についたわけでも、大金を手に入れたわけでもない。何も変化していない。

ただ、結婚をして、その証に指輪をはめただけだ。でも、それだけのことが、主人公にとって大きな変化となった。だからこそ、具体的なことはなくとも、それで「いい」と思えたのだろう。

このような力を持ったものは、きっと誰にでもあるのかもしれない。それが、メイクだったり、大好きなぬいぐるみだったり、お気に入りのスニーカーだったり、大切にしているメガネだったり。

自分が信じているものを身につけられたら、人はきっと、それでいいと思えるのかもしれない。

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