Yuichi

本をよく読む。短歌をよく詠む。

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最近の記事

学生から社会人へ、その振り返ることのできない跳躍の先にあるものと短歌

社会に出る。ここでは、おそらく就職することをいうのだろう。 学生から就職するという変化には、学生にとってあまりに激烈である。その変化の激烈さに嫌気がさして、社会に出ることを拒むことをモラトリアムと呼んだのはもう過去の話なのだろうか。 大学をわざと留年をしたり、大学院に進学したり、別の学校に入り直したりする人たちが、私が学生の頃には多くいた。そして、私自身も大学院への進学や留学など、モラトリアムを繰り返した。 この短歌の主人公も、社会に出ることは自分を根本から変えてしまう

    • 平穏である毎日への居心地の悪さを気づいてしまう短歌

      いつまで経ってもたどり着けない城、理由のわからないまま巻き込まれる裁判、そして、朝目が覚めると蟲になっているサラリーマン。 チェコ出身の小説家フランツ・カフカは、不条理という言葉がよく似合う作家である。そして、その不条理は不条理らしく、最後まで理由が説明をされない。いや、理由などないのであろう。だから不条理なのだ。 この短歌で参照されているのは「変身」という小説で、主人公のグレゴール・ザムザは目が覚めると、自分が大きな蟲になっていることを発見する。そして、彼は自分が蟲にな

      • 「君たちはどう生きるか」の不可解なストーリーを、父親の言動から解釈してみた

        この文章は、ネタバレを一切気にせずに書いていますので、ネタバレが嫌な人は、戻るボタンを押してこのページから離れてください。 以下、ネタバレを含みます。 母親を求める、その過程を乗り越えることで、継母を愛せるようになる。簡単に言ってしまえば、これが、宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』のストーリーである。 しかし、それだけでは不可解な点が多すぎる。なぜ、眞人はみずからの頭を石で傷つけたのか?なぜ父親はあれほど躍起になって犯人探しをすると言ったのか?なぜ夏子は別の世界で子

        • 男のやさしさは、本当にやさしさになっているのだろうか?

          男は、加害者であることを忘れてはいけない。それは、実際に加害性があるかどうかではなく、加害の経験があるかどうかではなく、男であることとこの社会との相性を忘れてはいけないという意味である。 それは、ゲームの世界で、戦士は魔法が使えないことを忘れてはいけないということと似たような意味を持つ。男に生まれるということは、加害性を否が応でも持たされてしまうということである。 こんなことを書くと多くの男の人からは反発を受けるのであろう。こんなこと考えずに済むのであれば、心もざわつかず

        • 学生から社会人へ、その振り返ることのできない跳躍の先にあるものと短歌

        • 平穏である毎日への居心地の悪さを気づいてしまう短歌

        • 「君たちはどう生きるか」の不可解なストーリーを、父親の言動から解釈してみた

        • 男のやさしさは、本当にやさしさになっているのだろうか?

          手触りのない世界に生きるということを短歌で感じる

          近づくだけで、あるいは、手をかざすだけで、ドアが開く。少し前の時代から考えてみたら、魔法としか言いようのない状態が、当たり前になっている。 魔法が当たり前になっている。そして、私たちは、電車のドアが、コンビニのドアが、レストランのドアが、百貨店のドアが、勝手に開くことに疑問も抱かなくなってしまっている。 そして、私たちはドア以上に多くのものから、重みや手触り、そして、手応えを奪ってきた。 たとえば、twitterやライン、メールなど、手触りもなく遅れてしまうメッセージが

          手触りのない世界に生きるということを短歌で感じる

          選ばれなかった私へ、そしていつか短歌に出会うあなたへ

          短歌新人賞の結果が発表された。少し前のこと。そして、その結果で、落ちこんでいる人がいた。自分の歌が掲載されていなかったからだ。 掲載されなかった、もしくは、思っていたほどの評価を得られなかった人の多くが悔しくなり、悲しくなって、否定された気持ちを味わうのだろう。誰だって、選ばれたいと思って、出しているのだから。そして、選ばれる人は一握りで、選ばれない人の方が圧倒的に多いのだから。 どんなものであれ、賞であれ、コンペティションであれ、抽選であれ、選ばれない人が生まれる。どん

          選ばれなかった私へ、そしていつか短歌に出会うあなたへ

          軽やかな歌から、生きやすくなるためのアドバイスを勝手にもらってみた【好きな短歌を味わって】

          恋人同士のハイキングだろうか。なんとなく気まぐれに登り切ったその場所で、お茶を飲みながら、雲を見ている。そして、ビニールシートもないし、お弁当もない、カメラも持ってくればよかったね、なんて話をしているのかもしれない。 そんな微笑ましい光景が目に浮かぶ。 ただ、それだけと言ってしまえば、言えるのだが、ただ、なぜかそれ以上のものを感じ取ってしまう。 お茶を持ちながら、大切なひとの横にいながら、この短歌の主人公はなんにも持たずに来たことを感じている。 それは、ここまでのハイ

          軽やかな歌から、生きやすくなるためのアドバイスを勝手にもらってみた【好きな短歌を味わって】

          イルカショーで泣きそうになるなんて、思いもしなかった。

          2頭のイルカがプールから飛び上がった。きれいな弧を描いてまたプールに戻る。大きな水飛沫とそれ以上の拍手。 とても幸福な土曜日だった。それなのに、なぜか涙がこぼれそうになる。 それは、海沿いの水族館らしい潮風のせいではない。イルカショーの何かが刺さってしまったからだ。 イルカショーを見るのは大学の卒業旅行以来だった。その時は、大学の同級生たちと水族館を訪れ、イルカショーをみんなで鑑賞し、それからお昼ご飯に地元の名産を食べる。そんな流れだったはずだ。 ただ、そのイルカショ

          イルカショーで泣きそうになるなんて、思いもしなかった。

          自分には居場所があるのかと考えたときのための一首(短歌一首鑑賞)

          誰もが一度は考えたことがあるだろう。自分はなぜ生まれたのだろうか、と。 気づけば生とは自分の中に当たり前にあって、そこから先に人生という道が伸びている。その行き先は誰も教えてくれない。というか、誰も知らない。親も友人も、そして自分でさえも。 その道には必然はひとつもなく、ただ振り返った時に必然だったと言いたくなるだけかもしれない。 それほど私たちの生には、約束されたものがない。悲しいほどに。 しかし、それと同じくらい強く強く願ってしまうのも事実である。自分の生には意味

          自分には居場所があるのかと考えたときのための一首(短歌一首鑑賞)

          鮮魚売り場に並べられているのは、魚ではなく死だったことに気づいてしまう一首(短歌一首鑑賞文)

          歌自体はとてもシンプルである。歌の主人公がスーパーの鮮魚売り場でサバを見た。それだけのことである。 しかし、ここには、それだけでは済ませられない暗さがある。執拗に迫ってくる暗さが。その暗さとはなんだろうか。 主人公が見つめている鮮魚売り場とは、スーパーマーケットの中で新鮮な魚を販売する空間である。白いライトと、新鮮さを売りにする魚の生簀や氷が敷き詰められた売り場が特徴である。 そこでは活きがいいことが評価され、価値となる。 有り体に言ってしまえば、「さっき死んだばかり

          鮮魚売り場に並べられているのは、魚ではなく死だったことに気づいてしまう一首(短歌一首鑑賞文)

          ふと海を思い出すときに、胸にしまっておきたい一首(短歌一首鑑賞)

          学生時代、悲しいことがあると海に足が向いた。一人で電車に乗り、波の音が聞こえる改札をくぐり抜けて、そのまま砂浜に腰を下ろす。このまま風か波か、もしくは時間が、自分を消してしまえばいいのに。そんなことを考えていた。 海を見ていたのか、海に見られていたのか。ただ、何もしない時間に身を任せていた。 そして、夕日が沈むと、一気に空気は冷たくなり、海は海でなくなってしまう。大きな真っ黒な塊へと姿を変えて、人間の世界に帰れと音を立てる。 その音を耳に残しながら、帰りの電車が少し明る

          ふと海を思い出すときに、胸にしまっておきたい一首(短歌一首鑑賞)

          失敗ばかりの人生を生きている僕たちのための一首(短歌一首鑑賞)

          私たちは、誰もが勝者である。人類が誕生してからの長い年月を振り返って、現在にまでたどり着いているということは、それは勝者だったということである。 進化の過程にて、弱肉強食の世界を生き抜いてきた。戦国の時代を、幕末の激動を、2度の世界大戦を、私たちの祖先は生き抜いてきた。 その結果、ここに生きているとすれば、それは勝者となってしまうのだろう。 しかし、このような大きな視野を脇に置いて、勝者として生まれたはずの自分に目を向けると、話は一転する。 人生はうまくいかないことば

          失敗ばかりの人生を生きている僕たちのための一首(短歌一首鑑賞)

          人生の半分を損しているなんて言うくらいなら、葱餅を食べる。

          電話の向こうでは、泣き声が聞こえる。その泣き声を捉えるように、席を立ち上がり、レストランを出る。 店の前には、年始らしい賑わいと人通りがあった。そこに泣き声の主はいない。見えないと分かっていながら、あたりを見回す。そして、もう一度、電話の向こうへと耳を澄ます。 「ゆういち、どこー!」 姪っ子の声が耳をぶん殴ってくる。ベソをかきながら、何が欲しいか明確に主張している。その声の強さをいつも羨ましいと思う。 電話越しに姪っ子を励ましながら、レストランに姉家族がたどり着いたの

          人生の半分を損しているなんて言うくらいなら、葱餅を食べる。

          自分を変えたいと思った時に、忘れてはいけない一首(短歌一首鑑賞)

          ビジネス書か何かで、自分を変えたいなら、時間配分を変えるか、付き合う人間を変えるか、住む場所を変えるかをしなさいというアドバイスを読んだことがある。 成長しよう、頑張ろう、もっと〇〇になろうと思ったところで、その思いだけでは難しいから、環境や行動をガラッと変えるべきだ。そんな主張だったはずだ。 確かに、時間配分を変えれば、行動が変わり、能力やスキルが変化するだろう。また住む場所や付き合う人を変えれば、自然と行動が変わり、これまた能力やスキルが変化するだろう。それらに伴って

          自分を変えたいと思った時に、忘れてはいけない一首(短歌一首鑑賞)

          知りたくなかった悲しみを教えられる取扱いに注意したい一首(短歌一首鑑賞)

          この歌がもっているものは、悲しみだろうか、諦めだろうか。どちらにしても、美しい景色を見るときの心持ちとは大きく異なっている。 美しい景色を目の前にした時、それが、山でも、海でも、夜景でも、もちろん、思いがけなくあらわれた虹であっても、吸い込まれるような感覚を覚える。 雄大な自然を前にして、自分がその自然と一体になったような気になる。息を呑むほどの風景を見て、時間が経つのも忘れて見惚れる。初めてみる光景に、心が奪われる。 そんな忘我と言われる感覚は、多かれ少なかれ、誰にで

          知りたくなかった悲しみを教えられる取扱いに注意したい一首(短歌一首鑑賞)

          この世界の歪さを、明快でわかりやすい31音で暴き出してしまった一首(短歌一首鑑賞)

          この短歌を読みながら、どんな客を思い浮かべるのだろうか。私は、くたびれた男性のセールスパーソンを思い出した。それは、自分がそうだからだろうか。 もしかしたら、こんなふうに自分と似たような人が出て行った席に座ったこともあるのかもしれない。 そんなことを想像し始めると、この「ほぼ同じ客」はどこまでも連鎖していてき、合わせ鏡のように、気の遠くなる先の未来まで、その席はこの「ほぼ同じ客」に占められているとまで考えることができてしまう。 考えすぎだろうか。おそらく、考えすぎだろう

          この世界の歪さを、明快でわかりやすい31音で暴き出してしまった一首(短歌一首鑑賞)