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浮き輪とシナモンのつれづれに。

 「およげ!たいやきくん」がヒットしたのは、小学3年生のとき。担任は広瀬先生で、教室は3階建て校舎最上階の一番端、どういうワケか我が地元では日本酒の蓋を集めることが男子の間で大流行していて…。ジュディ・オングの「魅せられて」は、中学1年だった。掃除の時間にカーテンを体にまとわりつけて「Wind is blowing from…」とやっているヤツがどこのクラスにも居て、半ドンだった土曜の午後はFMのベストテン番組をカセットに録るのが習慣になっていて…。歌は世につれ、と云うが強烈なヒット曲であればあるほど当時の想い出が鮮明に思い出されるような気がする。

 食べ物——とくに菓子の類にも、似たようなところがある。
 子どもの時分、我が家に頂戴した到来物を思い浮かべると、カルピスのギフトセット、銀座江戸一のピーセン、上野風月堂のゴーフル、そして、泉屋のクッキーあたり。
 あの頃は、どこの家に遊びに行っても、友だちが遊びに来ても飲み物はカルピスと決まっていた。いわば「普段使いのド定番」なのだが、箱詰めされた‘お使い物仕様’には、近所のスーパーではお目にかかれない「オレンジ」と「グレープ」が入っていて、それが楽しみだった。そういえば、あの頃のカルピスは茶褐色のビール瓶のような容れ物に入っていて、栓抜きで王冠をあけた後は開閉できるプラスチックのキャップに付け替えた。自分のやり方が悪かったせいもあるが、あのキャップは液だれが酷くて冷蔵庫のサイドポケットはいつもベタベタしていたような気がする。南国を思わせるシルクハットの黒人、ジャネット・リン、欲しくて欲しくて堪らなかった朝顔グラス…どれも懐かしい。
 江戸一のピーセンは、いわゆる食べ出したら止まらない系。ピーナッツが入っているせいか、親からは「鼻血が出るから」と取り上げられるので、留守を狙ってボリボリ…。エッフェル塔が描かれた缶も、ヨーロッパ調のロゴマークもおしゃで好きだった。
 バニラ、イチゴ、チョコレートの3つのフレーバーがあった風月堂のゴーフル。炭酸煎餅のような薄い生地に甘さ控えめのクリームをサンドした洋菓子で、口溶けの良さが気に入っていた。とくに「イチゴ味」が大好きで大切に残しておいたら「親戚が来たから出したよ」と云われて、逆上するほど怒ったことがあった。そんなことがあったせいか、たまに街へ買い物に出る母に付いていくといつも「ゴーフル、どうする?」と訊かれた。実家は常磐線で小一時間ほどの、田畑が残るベッドタウン。一番の盛り場は上野であり、「お出かけ」というと広小路の松坂屋がお決まりであった。たしか、風月堂の本店は松坂屋の筋向かいにあり、中央通りにはまだ都電が走っていた。いまだにゴーフルときくと大通りの真ん中を行く黄色い電車が浮かんでくる。
 親は喜んでいたが、子どもの自分にはあまり嬉しくなかったのが泉屋のクッキー。シナモンの香りがどうもいただけなかった。缶に入った榮太郎の飴もニッキは嫌いだったし、同じ理由で浅田飴の水飴も苦手。まぁ、シナモン味が好き、という子どもの方が珍しいかもしれない。そんなこんなで長いこと敬遠していたシナモン味だが、中学に上がった頃に「絶対にウマいから!」とマクドナルドのアップルパイを友だちから半ば強引に勧められ、そのとき初めて「おいしい」と思った。甘いりんごに合う、絶妙の風味なのである。


 以来、八つ橋やシナモンロールも大が付くほど好物になった。
 食わず嫌い、ではなく「食べた上で嫌い」だったものでも自分の舌が大人になると、それまでが嘘のように掌を返すこともあるのだな、と実感した。
  この間、ずいぶんと久しぶりに渋谷の東横のれん街をブラつくと泉屋の看板に足が止まった。ショーケースに並ぶ昔ながらの浮き輪型のクッキー。何十年も食べていないはずなのに、あの香りと食感、舌触りが甦った。行き過ぎかけて引き返し、ギフト用ではない袋詰めを一つ買った。
 ちょっと硬めの焼き具合、甘さを抑えた生地。「そうそう、これこれ」と一人で合点がいきながら二つ三つ。半世紀近い昔の、おやつの時間を思い出しながらコーヒーをすすった。

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