運命論
ご縁があってこの会社に入りました。
あの方とご縁があって結婚することにしました。
ご縁がありますように…
そんな運命論的で非科学的な現象を結構信じる人がいる。
因果関係なんかは証明できないから本当に縁なるものがあるかどうかは誰にもわからない。
ただ僕はわりと運命とやらを信じるほうである。
だって世の中にはいろんな運命が溢れているから。
曲がり角でぶつかったパンをくわえた美少女で、転校生として隣の席にやってくることもある。
もちろん僕は経験したことないが。
思い切って告白したら実は血の繋がった兄妹だったりとか。
僕は経験したことがないけども。
就職面接に向かう途中、老人を助けて遅刻したら助けた老人がその企業の社長だったりとかね。
まあ、残念ながら僕は経験していない。
そんなことが起こりうる世の中だ。
運命の一つや二つ転がっているものだろう。
大学院は外部に進学しようと決めていた僕は大学院説明会に出席した。
まったく身寄りもなく知り合いもいない大学院に進学しようとしているのだから不安マックスだ。
しかも今通っている大学よりもレベルの高い大学院。周りは僕よりよっぽど頭の良い人間ばかりだ。
そんなところに単身突撃しようとしているのだから肩身も狭く説明を聞いていた。
カリキュラムの紹介や入試制度の説明がなされ、個別相談を行う時間となった。教室の前方に何人か人が座っており個別で入試などについて質問ができる時間だ。
不安を抱えていた僕はもちろん個別相談を行った。相手はたまたま誰とも話していなかった50〜60歳くらいのおじさんだ。大学の事務職員だろうか。
僕は抱えていた不安を吐露した
「この大学院に入ってから、周りの学力についていけるか不安です。専門領域も違うのですが大丈夫なのでしょうか」
おじさんは少し考え答えてくれた。
「そんなものは入ってからどうとでもなる。必要なことを必要な時に勉強すれば困ることはない。君がここで学びたいと思うのだったら入った方が良い」
なるほど。至極真っ当な意見だ。
入ってから努力すればどうとでもなる。
そのおじさんの言葉でお墨付きをもらった僕は大学院の外部進学を決意した。
幸いにも入試を突破し大学院に進学することができた。
おじさんの言葉を糧に専門講義にもついていけるように頑張った。
あっという間に月日が流れて、僕は修士論文を提出することができた。
修士論文は自分の指導教官以外の教授陣にも読んでいただき審査をうける。
審査を受ける先生はある程度専門領域が近い先生がランダムに割り振られた。僕はその審査していただく先生の名前が発表されたのち、挨拶を兼ねて審査のお願いをしにいくことにした。
外部進学をした僕にとっては他研究室の先生の顔と名前はほとんど一致していない。だから自分の修士論文を審査してくれる先生がどんな顔かも分からなかった。
メールでアポイントメントを取り、指定の時間に教授室のドアを叩く。
「失礼します」そう言ってドアを開けるとそこには見知った顔があった。
入試相談をしたおじさんだ。
大学の事務職員だと思っていたおじさんは恐れ多くも大学の教授だったのだ。
僕の入学を決定づけた人が僕の修了を決定づけることになるとは…。
もちろんおじさんは一学生の僕のことなんて覚えているはずもなく、何事もなく修士論文を受け取った。
その後も滞りなく審査が終わり、無事修士論文は受理された。
教授の赤ペンがいくつかはいった修士論文が返却されてきて、それを修正して再提出すれば無事に修了である。
ペラペラと修正点をチェックし自分の詰めの甘さを反省していた。
すると最後のページに手書きで一言添えてあった。
「一歩踏み出してよかったね。修了おめでとう」
運命とか縁とかそんなものがあるかどうかなんてわからない。目に見えるものでもないし、科学的に証明できるものでもないのだから。
でも世の中にはこんな出来事が溢れているのだ。運命を信じてみたくもなるだろう。
まあ、もちろん僕はこんな経験したことないけどね。
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