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ADHDっぽいを言い訳にしない

ADHDの話し方が話題になっている。

引用元 https://twitter.com/aspergirl_114

私も両親や仲の良い友人から、いい意味でADHDの気質があるよねと言われる。検査した訳ではないが、母親は発達支援学級の先生なので、一定信憑性はあるのだろう。実際に、話題が飛躍したり、長くなったり、パッと行動したり、妄想したり、熱中して周りが見えなくなったり、片付けは苦手だったり、程度の差はあるが、当てはまる。

ただ最近のADHDに関する投稿をみていると、話分かりにくいのはADHDのけがあるからだともうから許してね。忘れものしやすいのはADHDのけがあるから許してね。といニュアンスを含む発言が多々あるようにも感じる。

ちょっとした自分の苦手な分野の言い訳としてADHDが使用されていることに違和感を感じるのだ。

もちろん本当に悩まれている方もいらっしゃる。私が軽度可能性がある程度だから言えることだと思う。

実際の社会では、ADHDの気質あるから、話わかりにくいけれど許してね、ADHDだから忘れものしても許して、というのは残念ながら通用しない。それにも関わらず、表向きは仕方がないとみてもらえたり、自分への諦めがつくADHDという言葉を言い訳に、考えることをやめているケースがあるように感じる。

真に診断も出て、悩んでおられる方の場合状況は異なるが、ちょっと忘れっぽいとか話が長いという場合は、ADHDを言い訳に使わず変わる努力するほうが重要ではないだろうか。

私はADHDの傾向はあるかもしれないが、問題なく日常生活を過ごせている。
むしろ、熱中する点は研究や創作活動の際に非常に役立っている特徴であるし、ちょっと関係あるこぼれ話や詳細を記憶する能力は、関連性を持って物事を覚えたり、俯瞰的に物事を見たり、過去事例からヒントを見つけてくるのに大いに役立っている。

話がわかりにくかったり、長くなりがちなところは、こうやって文章を書いて整理したり、一回自分の中にためて発言するよう心がけたりして改善している。時々しんどくなるから、同じスピード感で話せる友達とマシンガントークするけれど。
片付けは習慣化したり、特に仕事では相手に見せることを意識しファイル整理をする癖をつけているので、やや荒れたデスクのことも多いが問題は起きていない。


ADHDの気質のある社会適合者は、普通の人が持ち合わせないような行動力や洞察力、集中力を発揮しながら、後天的に身につけた明確な表現力を使って飛躍的に活躍できる可能性があると思っている。ADHDは私の中で褒め言葉である。

心身に負担をかけるような無理は禁物だが、忘れっぽい、話がわかりにくいetc.を言い訳にする前に、状況を変えるための工夫をしてみる。
その一歩の積み重ねさえあれば、きっと魅力的な自分になれるだろう。

自分への戒めも込めて、ADHDの気質があることを逆に強みにできるよう、日々過ごしていきたいと思う。






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