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自分に対する固定概念と生きやすさ

本当は別のnote書きかけてたんだけれども、とても嬉しいこと、考えることがあったので書き直しました。

きっかけはFBでの私の投稿(原文ママ)

【滋賀の方!! 特に不登校問題,教育系の方へ】
G1カレッジの地域活性化でお世話になった小幡和輝くん
#不登校は不幸じゃない  をスローガンに不登校=悪い事 という概念に問題提起をし、自身の経験をもとに発信されています。
今全国でイベント開催場所を探しているとのこと。残念なことに、滋賀の開催場所決まっておらず....誰か滋賀の方ぜひ!!

私自身も拒食で入院したりしてた前後、小中で計2年程学校行ってなかった。 でもだからこそ会えた人もいるし、みえた社会もある。
懸念される勉強も、まぁ独学やらで一定はなんとかなったし、今ならオンラインサービスも増えているし解決策はあると思う。
コミュニティが学校でないといけないという規定はないはずで、ちゃんと学ぶべき事さえ出来ていれば、コミュニティの場所を制限する必要性はないんじゃないかな。

家族には多大なる心配をかけたことは本当に申し訳ないけれど、暖かく見守ってくれたことに感謝です。


これに対して大学時代の先生がコメントをくださったのです。
ラボやゼミ担当であったわけでもなく、みんなが懸念しそうな参加型のディスカッションが求められるような授業の先生。私はそこに参加するよく喋る学生。

わが国では、学校でも会社でも一旦道を外れると不利になりすぎることが多すぎ。別に道草をくっていいと思うし、言うようにそこから新しい視点ができ、成長すると思う。それは福井さんを見ていても思います。そう言う経験は本当に貴重で、社会にとっても必要だと心から思います。
当たり前だけど、経験しないと、失敗もしないと、そして自分を見つめないと成長しないから。


私は大学時代、the優等生で通っていました。
成績優秀、授業態度よし、学校の求める課外活動へも積極的に参加、品行よし。
確かに間違いではないのだけれど、多分みんなのイメージよりは遊んでいたし、
薬学以外のところにもよく出没していたのだけれども。

何れにせよ、the優等生の私にとって、社会でマイナスとされる面を許容したり、表に出すのは簡単なものではなくて、むしろ恐れるもの。
そして、そんな大学時代を知る先生に、the優等生でない一面を認めていただけたことがとても嬉しかった。

私は幸いにも多様な人々に会い続けた結果、今は拒食も不登校もキッカケだったと思うようになっています。

堂々と拒食であったことや、不登校であったことを言えるようになったのは比較的最近やはり周りの目を気にして言えなかったり、自分の中でも恥ずかしいものとして受け取っていたりしたからだともいます。
ただ私は幸運にも多様な生き方の人々に出会うことができたり、ありのままの私を認めてくださることがあったりしたから。
自分に対する、拒食や不登校=マイナス と言う固定概念から脱却できたのだと思っています。
固定概念を全て無くすのは難しいですが、相手に対しても自分に対しても、固定概念で決めつけるのを減らすことでもっと生きやすくなるのではないかと思っています。
道草はいいこととも悪こととも言えません。その人がどのような歩みをするか次第で、結果は変わってくるのだと思いますし、当時は悩んでマイナスが多くても、未来でその経験を生かせればそれはプラスにもなる、変化するものだと考えています。


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自分に対する固定概念をなくしてあげることで、
きっと今も未来も見方を変えることができる。

いまだに悩んだり、恥ずかしく思うこともあるけれど、
自分が自分の可能性を信じない限り、誰が信じてくれるんだ。って思うから。
体験したから。

もう自分のことを見るときぐらい、社会のレッテルなんか無視して、
固定概念を取っ払ってやろう。

そっちの方が∞に生きやすくなるんじゃないかな。

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