「友部正人ライブレポートの後半」という名の、とある骨折日記

僕は、指を骨折したことがある。


仕事の最中に指を折られてしまった。指に異変が起きた時は、突き指程度かなと思っていたのだが、数時間後、手術が必要な曲がり方をしていることが分かり、その日はそのまま家に帰った。

診断名は「骨性マレットフィンガー」バスケや野球をしている人がよくなるらしい。なんとなくことの重大さがわからず、この時は
手術嫌だなーとか思っていた気がする。

数日後、その指を折った相手と話し合うことになった。相手もわざとではなかったし、深く反省していたので、「もう、大丈夫だから同じことを起こさないように気をつけてね約束だよ」と告げ、和解をした。

その話し合いの最中も左手の薬指は人生で感じたことないじわじわとした鈍い痛みを放っていた。僕は申し訳程度の菓子折りをもらって、持って帰るの大変だなと思っていたが、「いらないです」とも言えないので、痛みと共に
持って帰った。

「患部を濡らさなければ入浴して大丈夫ですよ」と医師が言っていたので、湯船に浸かった。すると、なぜか急に沢山の気持ちが押し寄せて、ぼろぼろと涙が止まらなくなってしまった。

僕は現実に一つも納得してなかった。

どうして指が折れているのかもわからないし、どうして許してあげなくちゃいけないのかもわからないし、どうして許したくせに許せてないのかもわからなかった。

そしてそんな沢山の気持ちの一番上には、
「ギターが弾けなくなったらどうしよう」という想いがあった。

あんなに沢山弾いてきたのに。これからもっともっと沢山の歌を作りたいのに。まだ自分も知らない自分の気持ちを探して見つけて、
抱きしめて歌詞にしたいのに。



人生でたったひとつ、続けてこれたことなのに。


宝物を無くした子供のようにえぐえぐと声をあげて泣き続けた。
そのうち湯船が冷めてきたのであがり、
とても疲れていたのですぐに眠った。
翌朝目が覚めると、指は折れていたままだった。

骨折してから手術の日は近かったので、数日後手術をした。
局部麻酔で意識がある状態での手術だったので、
看護婦さんに「曲が流せるんですけどどれが良いですか?」
と聞かれ、どれでもよかったので「どれでも良いです」と答えると
きゃりーぱみゅぱみゅの曲が流れてきて、
(どれでも良いけど、これじゃないかも)と思った。

僕の指と手術の時間は時折、研修医のための教材として使われていたが、
手術は成功した。指はぐるぐるの包帯で固定され、新種の虫の繭のようだ。

ちょっとグロテスク。


(この状態でも曲が作れたら、気持ちが前を向くかも)と、
指が一つない状態で二曲作った。
作った曲は好きだけれど、現実を受け止めるまでには至らなかった。

沢山の気持ちを抱えながら過ごすこと、数ヶ月。
僕の指は次の段階へ進むことに。
繭から指を解き放ち、固定して過ごす生活になった。
数ヶ月ぶりに外の空気に触れる指は、しわしわと力無く、
またこのまま折れてしまうのではないかと思うほど、頼りなかった。

USBメモリの本当の使い方。

そこから少しづつ指を動かしていく、
リハビリの段階に入る。
僕はこのくらいの時期に、
友部さんのライブを見に行った。

場所は横浜にある「Thumbs up」この日のライブもとてもかっこよかった。
この方、いつもかっこいい。確かこの時「ブルックリンからの帰り道」
か「あの橋を渡る」かどちらかのアルバムを買った気がする。
その時、勇気を振り絞って僕は友部さんに声をかけた。


「あ、あの…!僕も弾き語りをやっていてギターを弾いてるんですけど、
指を骨折してしまって…。また弾けるように勇気をくれませんか…!!」


折れた指先を前に出しながらそう話しかけると、
友部さんは優しく僕の指に手を添えて、



「大丈夫。絶対に大丈夫だよ」と言ってくれた。


僕の折れた指はこの瞬間から「絶対に大丈夫な指」になった。


傷ついたことだったり、苦しかったことはどうにもならないけれど、
「その意味」のようなものは後から作ることができる…と思う。
歌詞を書くこともそうだし、
この時のことだってそうだ。
傷には意味をあげるしかない。
そしてそれにはきっと沢山の時間や
想像の外にあるようなきっかけが必要なのかもしれない。


僕の指が折れた意味は。


ーーーーー


「君が歌うその歌は世界中の街角で朝になる」
「君が歌うその歌の波紋をぼくはながめてる」


その当時の僕ごと包み込んでいくように、最後の
フレーズが会場全体に響いていた。
「もう一つ短い曲を」と、最後にもう一曲歌ってくれて、
ライブは終了した。

余韻の中を浮遊していると、店長さんに声をかけるためか、
友部さんが僕の座っている席の方まで来ていた。
目があったので、
「か、か、かっこよかったです…!!」と告げると、
「ありがとう」と微笑んでくれて、
それもやっぱりかっこよかった。

僕はあらかじめ会場で本を買っていて、
サインをもらえるということ
なので、終わった後も少し会場に残った。
MCで友部さんが、最近鎌倉にできた喫茶店の話をしていたんだけど、
たまたまライブ前に僕はそこに行っていた。

そのお店の店長さんもライブ会場にいたので、
「あのぅ、ここのお店ですか…?」と写真を見せると、
「あぁ!さっき窓側に座ってらっしゃいましたよね!」
と認知をされていて、推せる喫茶店が増えた。

クリームソーダがめちゃデカでした。良っ。


そんなお話をしていると他のお客さんは皆、友部さんとの時間を
終えていて自分の番が訪れた。
かっこよかったことを再び伝え、
ハーモニカのメーカーを聞いた。(Suzukiだそう)
買おう。
喜びと憧れが止まらなかった僕は恐れ多くも、
もう一つ友部さんに質問を投げかけた。

「あのっ。僕も音楽をやってるんですけど、
どうすれば友部さんと一緒にライブができますか…!!」

「今度一緒に歌おう」なんて夢みたいなことがあるわけないんだけれど。
それでも言葉にしなくちゃ何も始まらないような気がして、
振り絞った。

友部さんは僕の目を澄んだ瞳で見つめて、
「続けることだよ。続けていたらきっと交じり合うから」
と、真っ直ぐな言葉を返してくれた。

今日何度目かのありがとうございます!を返して
握手をしてもらい、最後に写真を一緒に撮ってもらい、
再びありがとうございますを一つ重ねて、
お店を後にした。

100億万年に一度の僕の笑顔

暗くなった鎌倉の街を少しだけ歩くことにした。
鎌倉は街は眠るのが早く
昼間に比べて人の数も減り、
時間がゆっくりと流れているような
穏やかな空気に包まれていた。

当てもなくしばらく歩く僕の頭の中には
数分前に聴いた歌が響き続けていた。



「君が歌うその歌は世界中の街角で朝になる」
「君が歌うその歌の波紋をぼくはながめてる」

「君が歌うその歌は世界中の街角で朝になる」
「君が歌うその歌の波紋をぼくはながめてる」


どこかの街角で朝になるのだろうか。
僕が作った歌も。
そしてその波紋は誰かが
眺めてくれているのだろうか。


どうせ続けてしまう音楽に、
憧れの人がまた続ける理由をくれた。
とても優しい夜だった。



【↓友部正人ライプレポート全編↓】

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