初めて「F」が鳴ったのもこんな夏だった。
初めてギターに触れてから約三年が経った。
今、毎日noteを更新しているのだけど、
文章を書こうとするとき、思い出というものは
とても便利だなと感じます。
思い出せばそれについてかけるわけだから。
今日のように寝過ぎて頭が働かない時なんて、
とてもぴったり。
過去が入っている箱に手を突っ込んで、
ガサゴソ探せば、何かしらにぶつかってくれる。
と、思っていたんですが、
自分が元々あまり記憶力がない
タイプの人間ということを忘れていて、
「過去の箱」が結構すかすか。
あるいはこういう
実験的なnoteに書くんじゃなくて、
歌詞にしたいから行方を
くらませているのだろうか。
自分のことなのにわからない。
楽しませてくれるじゃん、僕。
そんな追い込まれた状態ですが、
自分でやると決めたので、
noteを書かなければいけません。嫌なわけじゃなくて、困っているということです。
色んな思い出に対して、
僕は、メモとかとった方がいい人間なのだなと
気づいた。
先日、初めてギターに触れた時のことを書いたので、
今回は、初めて曲を作った時のことを
書いていこうと思う。
「記憶力がない」と言っても、
こういうときのことはわりと覚えてるものだ。
初めてギターを弾いたのが15歳だった。
当時はとある目的だけ(上のnote参照)
でギターを始めたので、
曲を作ろうとか、
なんなら別に上手くなりたいとか、
そもそも弾けるようになりたいとか
何の志もなく通っていた。
その目的も意味がなくなり、
教室の先生も全然良くなかったので、
一年経った頃、通うのを辞めた。
晴れてギターは部屋のインテリアに!
…なるかと思っていたのだが、
なんとなく触れてることが多かったので
「インテリア以上、楽器未満」という
地位に落ち着いていた。
その日は、確か夏だったと思う。
当時欲しくもない運転免許証を、
誕生日が明けてすぐ取らされていた僕は、
うだるような暑さの中、
教習所と家を連日往復していた。
実技試験を終え家に帰りテレビを付けた。特に何か見たいわけでもなかったので、平日午後の気が抜けたバラエティは娯楽としてもBGMとしても中途半端な状態だ。真夏の侵入を許した
まだ冷え切ってない部屋の中で、
虚しく流れ続けていた。
よくないギター教室だったが、
辞めてからもずっと守っていたことがある。
それは、
「テレビを見ながらギターを弾く」ということ。
もっと真面目にやればもっと早く上達すると思うが、特にモチベーションがなかった僕は
(それでもなぜか、毎日触っていたけれど)
牛の歩みで、CやGを鳴らせるようになっていた。
ギターにはよく難関と言われるコードがある。
「F」というものだ。
数多の初心者たちがこの「Fの壁」を前に
ギターから離れていったということをよく聞く。
(個人的にはBの方が壁じゃね?
と思うのだけど価値観は人それぞれ)
いつものようにテレビに体を向けながら、ジャカジャカ右腕を動かし、
おぼつかない左手で、コードを変えていく。その形はCになり、Gになり、やがてEm、Am、Dmと、
教則本の最初に書いてある形を順番に
渡り歩いていく。
それらを全部終えた後、
僕はいつも「ご褒美」としてFに挑んでいた。
(いつか鳴るのかねぇ)と思いながら、この日も相変わらずジャカジャカと忙しない右手のために、左手を最後の形にしていった。
コードチェンジが終わらないまま、ピックは弦にあたり、ただびびと震えているような音だけが、ほんの少し過ごしやすくなった部屋の中に響く。
いつか、寄せては返す波のようになりたい右手のストロークはそれでもまだ、動く事をやめず、
ティアドロップの丸みを帯びた三角は上に登り、
また下に下がっていった。
何度も繰り返すその動きの何度目かで、
ただ指先が弦に触れているだけの音をさせていた
ギターから、
まだ聞いたことの無い音色が確かにこぼれた。
右手のスピードを緩める。ピックは真実を確かめるように六弦から、さらにその先へ一つずつ弦を下る。六弦、五弦、四弦、三、二、やがて一弦
にたどり着く。
ギターを始めてから、約三年が経っていた。
この日初めて「F」が鳴った。
画面の中では、タカトシと温水洋一が閑静な商店街ではしゃいでいたのだが、もしかしたら僕の新しい一歩を祝ってくれていたのかもしれない。
それからの日々も毎日毎日ギターに触れていた。
当時は特に憧れたアーティストなんていなかったし、耳コピとか、ギターフレーズを
コピーするだとか、
そういうことも何一つ分からなかったので、
曲のコードをネットで知らべ、
好きな時に好きなように弾いて
好きなように歌っていた。
Fを弾けたのは嬉しかったけれど、
今思い返すと喜びの大きさ自体は、
CやGが弾けた時と、
そんなには変わらなかったような気がする。
(F、いつ弾けるようになるのかなぁ)と思い続ける
長い日々でもあったけど、
絶対鳴るって信じてもいたから。
でもこんなに覚えてるから、
やっぱり特別嬉しかったのかなぁ。
今、もしもFでつまづいている人がいたとしたら、
CもGも最初は鳴らなかったことや、
それが鳴った時の気持ちを
ただ思い出せばいいだけなのではないかと思う。
楽しさと喜びを信じてれば、案外どうにかなる。
気がする。
大抵のことは。
…曲を作った時のことを書こうとしたら、
「Fが鳴ったこと」で沢山書けてしまった。
新しい技を手に入れた僕は、
ここからしばらくして曲を作るようになります。
…5年後くらいに。
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