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「藁にもすがる獣たち」

謎解きと予定調和のバランスがちょうどいい推理サスペンス。


どうも安部スナヲです。

私は休日に何も予定がなければ大抵、映画を観に行きます。 
それって結局映画を観に行くという予定を入れてるってことじゃないの?と思われるかも知れませんが、これは予定ではありません。

確かに「大抵」といってるくらいなので、その休日を迎える前の段階で、映画を観に行くであろうことはある程度決めています。
何だったらどの作品を観るかもほぼ固まってたりします。

それでも映画を観に行くかどうかはその時が来るまでわからないのです。
つまり「予定がない」ことの開放感と、それとは真逆の焦りや不安の鬩ぎ合いをギリギリまで味わい、満を侍して「よし!やっぱり映画だ」と決定することで得られるカタルシスがあるのです。

こういうのを「予定調和」っていったりしますよね?しませんか?するんです!するっつてんだろ!

…てことで本題に入ります。

先日、「藁にもすがる獣たち」という韓国映画を観ました。

原作は曽根圭介という日本人作家の同名小説。
監督・脚本はキム・ヨンフンという人で、詳しい経歴は知りませんが、本作が長編デビュー作だそうです。

映画全体としての私の印象は、パク・チャヌク(オールドボーイ)、ポン・ジュノ(パラサイト)、ヨン・サンホ(新感染半島)といった、今の韓国映画を代表する監督の作風がすべて反映されているように感じました。

今「韓国映画を代表する」なんて偉そうにいいましたが、本当はこの3人以外知らないだけなんですけどね。

ストーリーは何らかの事情で借金に苦しめられている人たちが、ロッカーに置き去りにされた10億ウォンを巡ってシッチャカメッチカ、さあ大変!という推理サスペンスです。

私は推理サスペンスが大好きです。
だけどあまり難しい話は好みません。

映画やドラマなどの映像作品の場合は特にですが、犯罪や事件が解決するまでのプロセスがあまりに複雑で意外性が多過ぎたり、テーマが哲学的過ぎたり、裏の意味を示すような所謂メタファーが細か過ぎたりすると楽しむよりも疲れてしまいます。

何より話に着いて行けなかった場合、「自分は阿保なのかな?」と半分本気で落胆してしまいます。

何故わざわざ映画を観てまで屈辱を味わったり劣等感に苛まれなければならないのでしょうか?

そこは予定調和でええやろ!

予測不能と見せかけて予定調和。 
それでいいんです。

ぶっちゃけ松本清張も西村京太郎もアガサクリスティも、そういう予定調和があるからこそ楽しめるのだと思っています。

その点、本作はその予定調和加減がいい感じで、そんなに頭使ってないのに、何だかいっぱい頭使ったような気にさせてくれて満足しました。

【主な登場人物】


ジュンマン(ペ・ソンウ)
家業のお店を廃業し、認知症の母を介護しながらアルバイトで何とか生活を支える。バイト先のサウナのロッカーで大金の入ったバッグを見つけてしまう。典型的なツイテナイ系不器用男。

テヨン(チョン・ウソン)
借金をした恋人に行方をくらまされ、その保証人になったばっかりにヤクザな借金取りにいびられる日々。本業は入国管理局員だが影でいけないことをする、小悪党系イケメン。

ミラン(シン・ヒョンビン)
投資に失敗して大火傷を負い、いかがわしげな接待をする店で働く。夫からDVを受けていて、出来ればうまいこと殺したいと思ってる、保護欲駆り立て系薄幸美女。


ヨンヒ(チョン・ドヨン)
ミランが働く、いかがわしげな店の女社長。なんちゅうてもコイツがいちばんえげつない、エロワル系サイコ熟女。

はじめは縁もゆかりもなさそうなこれらの人たちが、物語が進むに連れて次第に交わり、相関と因果のパーツがパズルみたいに組み合わせられて行く気持ち良さ。
そして、あがけばあがくほど事態がドンドン悪化してドツボにハマってもう地獄の果てまで行ってもた…と思いきや意外な結末!

まさに適度な謎解き、適度な予定調和のバランスで、うまくこちらを「推理ごっこ」に導いてくれる楽しい映画でした。

ただ残念だったのは犯行や殺人、あとエロ描写がアッサリし過ぎてスリリングさに欠けるところ。
お金に翻弄されるという、人間の汚い部分を描く話なのに、そこらへんが淡白だと嘘っぽく見えて冷めてしまいます。
もっとネチネチドロドロやるべきです。

そこにこそ「藁にもすがる獣感」を出して欲しかったです。


出典:映画「藁にもすがる獣たち」公式サイト

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