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「ノック 終末の訪問者」「エスター ファースト・キル」

どうも、安部スナヲです。

最近観た映画の感想を述べます。

今回はスリラー系を2本。

「ノック 終末の訪問者」

同性カップルのエリック(ジョナサン・グロフ)とアンドリュー(ベン・オルドリッジ)そして彼らの養女ウェン(クリステン・キュイ)は、家族水入らずの休日を山小屋で過ごしていた。

ウェンが原っぱでバッタ捕りをしているところへ突如レナードと名乗る大男(デイヴ・バウディスタ)があらわれる。

物腰こそ穏やかだが、目つきが変だし、筋骨隆々の腕は刺青だらけだし、どう見ても妖しいこの大男をウェンは訝しむが、バッタを捕るのがあまりにうまいので一瞬心を奪われそうに…と思ったところで彼の仲間と思しき3人が手に農器具みたいな武器を持ってあらわれる。

これはヤバい!

ウェンは小屋に駆け込みエリックたちに知らせるが、ほどなくヤツらはやって来てドアをノックし、なかに入れてくれという。

何とか退去させようとするが、ヤツらはドアを破壊して強引に侵入、抵抗むなしくエリックたちは椅子に縛りつけられる。

そこでヤツらはこのような蛮行におよんだ目的を話し、とんでもない要求をする。

「家族の3人のなかから、誰かひとり犠牲になるものを差し出して欲しい。さもなくば人類は全員死ぬ」

ヤツらは終末を予見させる「ビジョン」を見て、世界を救う使命を果たすため、4人それぞれが別の場所からこの小屋を目指して来たと言う。

そんなハナシ、信じられるわけがないエリックたちにはこの4人はトチ狂ってるとしか思えないのだが、事態は終末へ導かれるように不穏な方へ…。

果たして彼らの言うことは真実か?

真実かどうかはさて置き、際どいところをバラしてしまうが、4人の訪問者が見た「ビジョン」は実際の災厄として世に降りかかる。

が、これをどう読むかが醍醐味。

多くのM.ナイト・シャマラン作品がそうであるように、この映画も結末やそこにいたるまでの展開を想像するのが楽しい。

自分が想像したのは、どんでん返しというよりも「終末現象=災厄」にはよくできたトリックがあって、4人の訪問者には別のねらいがある。その因果関係を知った時、空いた口が塞がらないほどビックリ!…みたいな展開だった。

実際の結末は全然ちがっていたので正直拍子抜けしてしまったところもあるのだが、少なくとも映画を観てる最中は「どっちなんやろ?」と想像を巡らし、ずっとワクワクと興奮を保てた。

そのあたり、やっぱりうまいなぁと思う。

訪問者チームのキャラクターも面白い。

モンスター級のマッチョでありながら理知的なレナードの不気味さと、如何にも陰謀論的な思い込みが暴力に転じそうな白人低所得者層のレドモンド(ルパート・グリント)。

一方、女性陣のサブリナ(ニキ・アムカ)とエイドリアン(アビー・クイン)どう見たっていい人である。

個人的にサブリナにはやや胡散臭い印象もあるが、エイドリアンの善人性は疑いようがない。

なのでこの映画で私がいちばん悲しかったのはエイドリアンが「粛清」された場面と息子とのツーショット写真が見つかった場面かも知れない。

残酷描写が控えめというか、いちばん痛そうな瞬間はあえて見せないのも印象的だ。

そうすることで何かが起きる予兆的な緊張感がずっと保たれる。

そのあたりもやっぱりうまい。

テーマ性の部分では「ヨハネの黙示録」のあからさまな置き換えや、誰かを差し出せば全員が救われるという「トロッコ問題」を肯定するかのように示唆している点、罰を受ける対象として選ばれたのが同性カップルという点など、何かと物議を醸している。

これらについてはパンフレットのインタビューでシャマランが語っているように「聖書のストーリーを現実世界に置き換えて想像するのが楽しい」ということであり、思想的な意味はなさそうだ。

個人的には観た人がこういう批判も興味深く受け止められることも映画の意義だと思ってる。

大味ではなく、シッカリと味のしゅんだスリラーという感じだった。

「エスター ファースト・キル」


2009年公開の傑作ホラー映画「エスター」の続編。

主人公のサイコパス少女・エスターを前作同様イザベル・ファーマンが13年越しで演じたことで話題。

前作にて、養女として身を寄せた家族を殺戮地獄に引きずり込んだエスター。

クライマックスで9歳だと思っていた彼女は実はホルモン異常によって発育が妨げられた、いわゆる小人症で、実年齢は33歳だったという衝撃の正体が明かされる。

あれにはド肝を抜かれた。

今作はその前日譚。収監されていたエストニアの精神病院を脱走した主人公・リーナが行方不明の少女・エスターになりすまし、その家族に寄生するハナシ。

ハンニバル・レクターシリーズでいうと「レッド・ドラゴン」にあたるエピソードだが、映画の導入部はモロにクラリスがレクターを訪ねて精神病院を訪れるシーンを想起させる。

しかも脱走のプロセスにおいて、看守を色仕掛けで誘い出したり、飴玉で手なづけた凶暴患者を利用して警備員を襲わせるといった頭脳プレイもレクター的である。

首尾よく精神病院からの脱走を遂げたリーナは、彼女の担当カウンセラーを殺してその自宅に侵入、パソコンで行方不明者のデータにアクセスし、自分と似た顔立ちのエスターという少女に目をとめ、なりすましを決行。

エスターの家族・オルブライト家は4年前に姿を消した我が家の娘がモスクワで保護されたとの知らせを受け、母のトリシア(ジュリア・マイルズ)が迎えに行く。

エスター=リーナはアメリカコネチカット州のオルブライト家へ連れ帰られる。

4年振りのエスターとの再会をもっとも喜んだのは父のアレン(ロッシフ・サザーランド)だった。

しかし、ところどころ記憶の食い違いやロシア訛りの英語を話すなど、疑わしい言動をトリシアは見逃さない。

同様にエスターに疑念を抱く刑事のドナン(ヒロ・カナガワ)をエスターが抹殺しようとした時から、映画は思いも寄らぬ方向に転換する。

ストーリーの面白さはハッキリ言って100点だった。

あのエスターの続編として、これほど意外性に富んだアイディアはないのではないかと思う。

だけどどうしても今作のイザベル・ファーマンはフツウに大人にしか見えなかった。

いや、そもそも子供になりすました大人なんだから理はあるのだが、寧ろ前作のエスターが出来過ぎていたせいで、そのあたりの微妙さを見る目がシビアになり過ぎてしまったのかも知れない。

前作のクライマックスで化けの皮が剥がされたエスターはどう見ても小人症の33歳だった。

それは演じ手のファーマンが当時11歳だったことを思うとあまりに驚異的だ。

今作の撮影時、彼女は23歳。

13年越しの続編、しかも前日譚という設定でありながら続投することじたいがすごいことなのだが、その旨味である筈の話題性が雑味になってしまった。

どんなにメイクを工夫しても、代役によるバックショットを多用したり遠近法を駆使して身長差を誤魔化しても、その人がファーマンである以上23歳、大人なのだ。

だって顔の大きさが明らかにちがうんだもん。

それを言っちゃぁおしまいだし、身も蓋もないと言えばこれ以上身も蓋もないことはない。

映画が傑作なだけに、こんな感想を抱く自分が恨めしいのだが、今作はどうしようもなくそのジレンマに苛まれてしまった。

とはいえ、ファーマン意外にも見どころはたくさんある。

何と言ってもトリシア役のジュリア・マイルズの凄味は、何ならエスターを凌ぐ狂気…というかエスターよりはるかに怖いのだが、さすがにこれ以上は言えません。

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