【第4話:マスク作りとメディア掲載】海外で全ての願いを叶えた実話
こんにちは。
ブログ歴13年、香港のオレンジゴミ箱が大好きなASAKOです。
2015年〜2020年まで、夫の駐在に帯同し香港で生活しました。
この6年間で、
そんな私のことと、
と言われるようなことでも全て叶えてきたことについて、
香港の想い出とともにストーリー形式で書いています。
香港好きの方だけでなく、願いを実現したい全ての方に役立つ「ヒント」をお持ち帰りいただけると思うので、
ぜひ最後までお読みいただけたら嬉しいです。
第3話で『外国で活動することの大変さ』についてを書きました。
まだの方は、そちらを先にご覧になってからの方がいいかもしれません。
2020年1月、世界中が騒がしくなってきた。コロナウイルス感染症の流行ね。
とにかく得体が知れなかったので、かからないことに集中し、手洗いうがい、買ってきたものは消毒液で拭いて、家に閉じこもる、、ってことを、皆さんと同じようにしておった。
幼稚園、学校は休校、子どもはずっと家にいてオンライン授業になったりして、いやはや、母親たちは皆、大変だったよね。
その年齢、その家なりの事情、大変さがそれぞれの親子にあったと思う。ウチも大変だったよ。
普段はテレビを見ないのだけど、この頃は日本のテレビニュースを時々見ていたその時に、高齢者施設がインタビューを受けていて知ったの。マスクが無くて困っていると。
いっとき、マスクが手に入りづらい状況の時があったでしょ?
とくに高齢者介護はどうしても、人と人が密着する仕事。ただでさえ肉体労働で大変な仕事なのに、今は感染のことも気にしなくちゃならない。
もし、自分が感染していて、高齢者に移してしまったら。
そんな大変なプレッシャーの中で働いているんだなと思ったら、マスクがなくて困ってるなら送ってあげたい!って思った。そしてふと思いたち、祖母がお世話になった施設にマスクがあるか聞いたら、足りなくて不安だと。
祖母を大切にしてくれた施設へ恩返しできるチャンス到来、私は一時帰国の時に会いにいくだけで何もできなかったから、いまなら助けになれる!
その時ちょうど香港の化学博士が考案した、医療用マスクの標準「N95」に近い機能性を発揮する布マスクの存在を知ったこともあり、パターンも公開していたからウチにある余り切れで作ることにしたの!
ただ、布はウチにあるものを使うとしても、ワイヤーやゴム、ガーゼは買わなければならない。ボランティアするにもお金が必要なんだよね。それで販売してお金を貰って、それを材料費や送料に当てようと思い、
1枚30HKD(約450円)で販売、そのうち20HKDを材料費&ボランティア向け送料に。残りの10HKDは現金で溜めて、寄付しようと計画。
私のブログを読んで共感してくださった方がマスクを購入してくれ「お釣りは寄付に回して下さい」と言ってくださる方も出現、有り難くいただいた。
そして直接受け渡しのできる香港内限定で140枚を販売、その売上金でフランス、アメリカ、日本へとマスクを送った。
お金はあったから高い送料でも送ることができたよ。寄贈先はタイミングよく私と目のあったところに決めた。
この緊急募金はコロナ流行以前から、紛争などによって医療体制が脆弱な途上国の子どもたちを最優先に使われ、日本を含めた先進国は支援対象にはならないってやつ。
少しでも多く寄付したいから、振込手数料は私のポケットマネーからね(笑)
でこの20,300円が、何に変身したと思う??
N95マスク84枚分になったんだよ奥さん!!!!
めっちゃくちゃ、嬉しかった。。これも多くの方がマスクを買ってくれたおかげ!!!
約2ヶ月の間に、合計254枚のマスクを作った。ひとりでやれるのは微々たるものだけど、それでもゼロじゃない。
少しずつ助ける人が、あちこちにいっぱいいたら、大きな地球にじんわりと浸透していくよね!
だから自分が助けられる相手がたった1人であったとしても、やる意味は大きくあるんだよね、そう思っていつもやってる。
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そしてマスク作りを一旦お休みしていた8月のある日、インスタにメッセージが来た。
「こんにちは、私は香港アップルデイリーの記者です。香港で興味深い手作りの話を探しています。あなたのデザインはとても素敵です、お話を伺えましたら幸いです」
手作りっていうからマスクのことかと思ったら、私の作品だった。私は香港柄をモチーフにしたbagや額作品を作っている。
しかし製作とかしてるとこういうメッセージはよく来るので、またかーと思いながら、一緒に貼り付いてた名刺を友達に見せて「こんなのが来た、知ってる?」と聞いたら、
「APPLE DAILY?!すごい、香港主要紙だよ」
ってまた無知っぷりを披露してしまったワタス。。
あ、でもちゃんと見たら知ってたなんとなく (*´∀`*)ノ
そしてまずはオンラインで1時間くらい取材を受け、私が日本でどんなことをやってきて、香港では洋裁教室してますとかの話をしてから、別日に撮影をすることになった。
自宅に来てインタビュー、製作している風景を撮る。
その時に、私がなんで「香港オレンジゴミ箱が好きか」って話をしたんだけど、ここまで読んでくれた皆さんも、もしかして気になる?
香港のゴミ箱ってね、たいていが溢れていて、汚いの。それを香港人に「好きだ」というと、やっぱり怪訝な顔をされる。
飲みかけのジュースが捨ててあったり、傘が突っ込んであったり、花束が放り込まれていたり、洋服がごっそり入っていたり。
だけどその溢れ方が、私には『アート』に見えるの!!ほらいま書いてるだけでもゾクゾクしてくる!!どれとして同じ溢れ方のゴミ箱はない!!
溢れているゴミ箱を眺めながら通り過ぎるでしょ?その5分後にそこへ戻ってくるでしょ?ゴミ箱はさっきとは違った表情になってる。
ゴミ箱の口からはみ出ても、そこへまた積み上げられて、引っ掛けられて、支えられて・・・ってことが、まるで見ず知らずの通りすがりの他人たちが協力しあって作品をつくりあげているようで、
私にはたまらんモノなのですわ。
通り過ぎる一瞬、一瞬がそのとき限りのもの!!
それとデザイン自体も好きなの。オレンジと黒の配色で愛おしいフォルム、さらに頭のてっぺんが灰皿になってて機能的なところも、ぜんぶ好き♡
溢れているゴミ箱が多いエリア、モンコックでも撮影をする。
そんなことを語った。これって間違った伝わり方をすると、下手したら「そんな汚いゴミ箱だって、バカにしているのか!」って受け取られかねないんだけど、
APPLE DAILYの記者とカメラマンの腕、またそこへ繋いでくれた超優秀な通訳のおかげで、私の想いは間違いなく、そのままちゃんと同じまんまで伝わり、動画にまとめてくれたんだよね、ウレシ、、
これはアップルデイリーのFacebook, YouTubeで公開され、私の熱い暑い、香港オレンジゴミ箱への想いと、香港柄をモチーフにした作品たちが、
またたく間に沢山の香港の方々の目に触れることとなり、YouTubeだけでなく私のFacebook、インスタに、公開してないのにわざわざ調べてコメントくれたりした。
その多くは「ありがとう」と書いてあるものが多くて、それはこの動画で私の想いが正しく伝わったことを証明していて、本当に有難かった。
こちらこそ、ありがとうだよね。
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メッセージを沢山もらって、私に会いに来てくれる人までいて、よしこれからもゴミ箱作品いっぱい作るぞ!ってところだったんだけど・・・
夫の仕事の都合で、バンコクへ行くことになりまし、、た。
私はもっと香港に居たかったから寂しかったんだけど・・・静かに(ああそう来たか)とも思ったのよ。
実は遡って香港に来て1年目の時、なんかまたその直感よね、そのとき夫に言ったの「私たち、香港のつぎはタイに行く」って。
行きたいね、とかじゃなくって「行く」って私いつも断言するんだけど。でもこれって私たちにはどうすることも出来ないことじゃない?夫は当時、
「ウチの会社はスライド(外国から外国への転勤)は今までにも例がないから、それは絶対にない」
と言っていたけど、私がその時に思ったことは(じゃあ、私たちが前例になるのか)ってこと。
オカシイよね、私は預言者でもなければ霊能者でもないよ。タイに行きタイなんて会社に希望も出してないよ。
で時は流れ・・・だからやっぱりこうなる運命だったんだ、とも思ったんだよね。
ああ、ついに香港を去る!ってなったとき、強く思った。
「香港のオレンジゴミ箱、そのものズバリ本物が欲しい!!」
だけどコレ、香港政府の持ち物なのよ。もし万が一盗んで(笑)国外に持ち出したなんてバレたら、わたしゃ国際指名手配♡
さすがのワスも今回はムリだなと、諦めてた。
そんなことをTwitterで呟いてたら「中国で作れる」って情報をいただいて!!早速オーダーしたの。デザインは完ぺきではなかったけど、それでも見た目は香港のオレンジゴミ箱!
まずはさっそく、自分がゴミになる。
そうか、ニセモノならっていう抜け道があったか!と、この件は本当に面白かったし、ホラやっぱり、
Twitterでつぶやくという行動をした。情報を貰い「即」特注するという行動をした。
ことで、犯罪者にならず、限りなくホンモノに近い香港オレンジゴミ箱を、私は手に入れた。すごくない?やっぱり願いは胸に秘めないで、言った方がお得!
しかも「即」動いたことで、バンコクへの船便荷物にも間に合った。
して2020年11月、我ら家族はバンコクへ引越し、現在新生活の基盤を整えているところであります。
諦めないって、だいじね。
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ここで急に話は変わるんだけどね、こんな楽しそうに見えてる?私なんだけど、実は若い頃からなんだか得体の知れない生きづらさを抱えてて、
自分のことも、人のことも信用できなくて、周りはぜんぶ敵だと思って生きてきたっていう過去があるのよ。
人の好意も受け取れなくて、そのクセ詐欺にはあっけなく騙されて、自分が嫌い、なんの価値もない、こんな私を誰かが好きになるワケがない!!
ってもがき苦しんでた時、香港時代に偶然、その黒幕を突き止めたの。
それからが大変だった、麻酔なしで割腹手術をするような苦しみに襲われて、泣いて、泣いて、泣きまくって、古くて腐った膿を出しまくって、
ウツになった。
だからね、こんな私、明るくて元気で行動力があって、なんでも手に入れて人生悩みなんかなさそうだな!
って印象を受けた人が、いるかもしれないけど、
そのウラ側には、ちゃんとそれらを支える苦しみも、それなりに経験しているんだよってこと。
別にそれをアピールしたいワケじゃなくて、辛いことも苦しい経験も、活かせば武器になる、前向きな真逆のエネルギーにだって変えられるってこと。
過去に色々あったけど、いつも勘で生きてる私だけど、いま最高にしあわせだわい!って、そんなことを伝えたかった。
私の内面は、本当に変わった。激変した。
私を苦しめてきた、その黒幕とはいったいなんだったのか。どうやってソイツを倒したのか。それも書こうと思うんだけど、
ちょっとここまででもう、かなり長くない?笑
続きはまた次回にするわ。なんとなく生きづらさを抱えてる人へ、私の経験から何か伝えられることがあるんじゃないかと思って。
香港に来る前、子供のころから結婚するまでの若いころの話にまで、遡ってお話します。
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それじゃあまたね!!ばいばい!!
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